人物
ピエール・カルダンは1922年にイタリアのヴェネツィアに生まれたファッション・デザイナーです。両親ともフランス人。
1960年代に宇宙服のデザインとライセンス戦略でオート・クチュール界を陳腐化させたデザイナーとして有名です。
その軽快で簡潔なデザインはアンドレ・クレージュと並んで称賛されます。
無機質な素材を使った幾何学的ラインや大胆で独特なシルエットが特徴です。
経歴
1930年代末、16歳の時にヴィッシーの仕立屋で働きはじめ、フランスがドイツから解放された1944年にパリへ出ました。
1945年からイシドール・パカン(パキャン)の店で働きます。
ここで知り合ったアントニオ・カスティーヨとともにジャン・コクトーの映画『美女と野獣』のコスチュームを担当します(実際に衣装デザインを行なったのはクリスチャン・ベラール)。
その後、エルザ・スキャパレリ、リュシアン・ルロン、ピエール・バルマンの店を駆け足で遍歴。
映画『美女と野獣』で協力したコクトーやベラールを通じてカルダンはクリスチャン・ディオールを知ります。
1946年に創業したばかりのディオールの店に移り、舞台衣装や紳士服などを手がけました。1947年2月にクリスチャン・ディオール店初のコレクションで著名な「ニュー・ルック」が発表されました。
このショーでピエール・カルダンはタイユール(テーラード仕立て)のアトリエ主任として参画しました。
当時、クリスチャン・ディオールのメゾンには、イヴ・サンローラン、ギ・ラローッシュもおり、ピエール・カルダンを含めて、ディオールの「若き3プリンス」と呼ばれました。
アパレル部門の多角経営
1950年代
1950年にディオールの店を去ったピエール・カルダンは1951年に演劇の舞台衣装とマスクを制作する店舗を開店。
1953年にはフォーブール・サントノレ街118番地にメゾンを構えました。
さらに1957年にメンズ・ブティックをオープン。男性向けと女性向けとに分け、それぞれを「アダム(Adam)」と「イブ(Eve)」と名づけました。
そして1957年秋の「投げ縄ライン」以来、次々と意欲的な試みを発表し、布地の魔術師といわれたほどの前衛的な才能がいかんなく発揮されていきます。
1960年代
そして、宇宙時代といわれた1960年代、とくに1964年の「スペース・エイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画しました。
さらに、1966年のヌード・ルック、金属製の装身具、ユニセックスの宇宙服スーツ、チュニックとタイツの組合せなどは、斬新さのオンパレードといえるデザインでした。
ピエール・カルダンは、早い時期からプレタ・ポルテも手がけ、子供服やジュニア服まで創作活動を広げました。
ピエール・カルダンは、1962年にプランタン百貨店でカルダン・コーナーを開設し、自店のオート・クチュール作品のコピーを自店舗で作成した安価なプレタ・ポルテを売り出しました。
これによって、クチュール業界のプレタ・ポルテ進出の主導権を取り、オート・クチュール(注文服)のブランドとしてプレタ・ポルテ(既製服)を初めて発表。
1963年、紳士物既製服業者ブリルの要請で「ジュニア・コレクション」を出し、これが大当たり。婦人服プレタ・ポルテを中止。
そしてブリルと提携して紳士服業界に進出しました。ユニセックスな紳士服で新風を吹き込んでいます。
1960年代に女優ジャンヌ・モローはフランソワ・トリュフォー監督の映画『突然炎のごとく』などスクリーン上でよくカルダンの服を着たためカルダンはさらに人気を高めました(同映画の衣装担当はフレッド・カペル)。
きっかけは『エヴァの匂い』(1962年)か…、二人は1960年代前半の一時期に同棲しました。
他部門の多角経営化 : ディオールに続き乱発したライセンス
ピエール・カルダンの名は、既製服だけでなく、魔法瓶、ボールペン、タオルなどにも冠され、中国人や日本人が最初に認知した高級ブランドとなりました。
しかし、多くの海外ブランドが日本に入ってきた1980年代以降、そのライセンス商品がかえってブランドの高級感を損なうことになり、今はライセンスを減らしイメージの復権に力を入れています。
現在、上記以外にも、ワイン、生活用品、かつら、航空機など、ライセンス数は100カ国以上で900に及びます。経営難は免れず、21世紀になってピエール・カルダンは自社を中国企業に売却しようという意向を示しました〔モードと中国 : ピエール・カルダンの動向〕。
1992年、フランス最高の栄誉あるアカデミー・フランセーズの会員に、モード界からは初めて選出されました。
東アジア進出
1959年に高島屋の招きで来日した際、ピエール・カルダンはファッション・モデル松本弘子の個性を高く評価してパリに招き、店の専属にしたことは有名です。
とはいえ日本国内で内輪話ネタで喜ばれること。1985年にカルダンは中国人女性を9人を招聘して、パリのファッション・ショーに立たせています。
カルダン自身、日本の伝統的な意匠に興味を持っていました。続く1960年代に日本では百貨店がピエール・カルダンの作品を輸入し始めました。
これによって、ピエール・カルダンは、ブランド名をあらゆる分野の企業に貸し出す「ライセンス・ビジネス」を展開。
東京にライセンス管理会社「ピエール・カルダン・ジャパン」が開業されました。1979年には東京・有楽町で芸術家具の店「エボリューシオン(Evolution)」を開設。
この頃、ピエール・カルダンは1978年に韓国に進出、同年に中国からも招かれ、服装の西洋化を指導し、初の外国人ファッション・ショーを北京で実現させました。
モード業界が中国とソ連に代表される共産主義圏に注目する事例は珍しくありません。
カルダンもその一人で、1986年に旧ソ連と紳士服・婦人服・子供服のプレタポルテの現地生産契約を締結。
次いで翌1987年には万里の長城国際救済教会をフランスで文化事業団として設立、その委員(発起人)として世界に呼び掛けました(ソ連と万里の長城のエピソードは「ピエール・カルダン 時代とモード」ピエール・カルダン・ジャパン、2002年、7頁)。
作風
ピエール・カルダンの作品は、ビニール、アルミ、プラスチックといった無機質な素材を使った幾何学的なラインをもった「コスモコール・ルック」が有名です。
女性服では大胆で独特なシルエットをみせ、カートリッジ・プリーツ、スカラップ、くりぬき、金属製のジッパー、ベルト、ヘルメットなどの新しい素材も多用しました。
次の写真は向かって右がカルダンのダンス・ドレス。向かって左がパコ・ラバンヌのドレス。
「コスモコール・ルック」は1966年のカルダン作品の特徴です。
このルックに関連して1965年には幾何学的カッティングを披露し、1968年には化学繊維の生地にレリーフ上の型押しをしてドレスに凹凸を出した作品(ローブ・ムレ)を公開しました。
1970年代・1980年代になると布地の裁ち方や使い方に一層趣向を凝らすようになります。
この時期の作品は大きく二つに大別できます。
- パコダ・ライン、コンピュータ・ライン、オリガミ・ルックのような肩を張らせたあるいは目立たせたタイプ。
- センシュアス・ルック、モービル・ライン、トゥルバドゥール・ルック、フープ・ラインと続くスカート裾やコート裾が柔らかく広がりやすいタイプ。
次の画像は1979年に発表されたパコダ・ラインの代表的な作品です。
芸術振興家としてのカルダン : アート・スペースの運営
1970年にカルダンはパリ・コンコルド広場に近い劇場「エスパス・ピエール・カルダン」をオープンしました。
これを機にカルダンは劇場やアートスペースの運営に勢力をつぎ込みます。
「パリの劇場-エスパス・ピエール・カルダン | フランス観光 公式サイト」では大々的に「エスパス・ピエール・カルダン」を紹介しています。
エスパス・ピエール・カルダンは劇場だけではなく映画館、多目的ホール、ギャラリーを備えている。元はカフェ・デ・ザンバサドゥール(Café des Ambassadeurs)として財務監査人のアベ・テレ l’abbé Terray によって1772年に建てられた。外国から来た大使らの住居として提供されていたようだ。その後、移転し、1929年に解体、1931年に劇場として建物が建てられデ・ザンバサダー(Des Ambassadeurs)と名づけられ、1938年にはテアトル・デ・ザンバサダー(Théâtre des Ambassadeurs)と名を変えた。 この劇場はジャン・コクトーが戯曲を書いた「恐るべき親たち Parents terribles」の初演を1939年1月にしているが、その内容が問題視され、パリ市議会から上演禁止のお達しを受けた歴史あり。http://jp.france.fr/ja/information/124987
1981年にはパリのロワイヤル通りに開業していた老舗レストラン「マキシム」(1893年創業)の所有者となりました。
同店の2階にはカルダン自身が50年以上にわたり収集したアール・ヌーボーのコレクション約750点を展示しています。
1993年には南仏カンヌ近郊に円形劇場「パレ・ビュル」(泡の城)、2001年にはマルキ・ド・サドゆかりの南仏ラコスト城の所有者となり、芸術活動振興の為に野外劇場を設営しています。
近況
2017年6月17日、の95歳の誕生日を祝いアメリカのロードアイランド州ニューポートでファッション・ショーが開催されました(ピエール・カルダン、95歳を祝ってファッションショー開催 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News)。
一目惚れのドレス
カルダンはアンドレ・クレージュに次いで2番目に好きなデザイナーなので選びにくいです。見ていて可愛かったりカッコよかったりする作品が多いです。
全体的にはミニのワンピース・ドレスが素敵。
緩やかなエー・ライン(A-line)が多く、選ぶ決め手は配色になります。
ドレス:ピエール・カルダン制作、1960年代
その中でこれほどシンプルなものがあったのかと驚くのが次の作品です。
ファッション史の本をみても出てこない作品です。
紅色が良いですね。
所蔵しているヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の説明を見ますと、4歳児くらいの子供服とのこと…。
言われてみればトルソーの長さが短めか…。
せっかくですからデザインが新鮮なので作品解説をまとめてみます。
作品の説明(作品批評)
写真のキャプションにも書きましたが、このドレスはピエール・カルダンが1960年代にデザインしたもので、手縫いとミシン縫いの両方で縫製されています。アップリケ付き。
首後のラベルには「Made in France expressly for Neiman-Marcus」と「Dimensions」の2点が縫い付けられているので、ニーマン・マーカス百貨店専売のディメンションズ・シリーズだと分かります。
百貨店向けのこのドレスは量産品で生地はウールとポリエステル。
肩幅は24センチ、丈はネックラインから裾中心の突き出た縁までで58センチ。胸囲は31.5センチ。ノースリーブのエー・ライン。裾中心の突き出たハートは後部中心にも設置されています。
ハートも含めドレス裾を周囲に5センチ幅でアップリケが施されています。これは手縫い。
フロント・パネルは前部に1枚・後部に2枚。後部には首から腰にかけてジップ・ファスナー。クリーム色部分はポリエステル製で、手縫いで赤色の縁が縫い付けられています(裏打ちされています)。
赤色の生地が説明されていませんが消去法でこれがウール製か…。
ミシン縫製の箇所も述べられていませんが、アップリケ以外の部分はおよそミシンかと思います。
トリビア
横溝正史原作の『犬神家の一族』をテレビドラマ化した『蒼いけものたち』にカルダン風のミニドレスやミニスカートが登場します。
このドラマは1970年8月から9月まで放送された全6回完結ものです。
原作や映画『犬神家の一族』とは異なり、放送時期に合わせた60年代ファッションを楽しめます。
といっても、主役の酒井和歌子の衣装だけですが。
酒井和歌子はこのドラマで三つの60年代ファッションを着用しています。
このうち、とくに、室内で着用の多い6つボタンのミニ・ワンピースドレスが、パステルグリーンとド派手。
大きいボタンは白色で、バリバリのカルダン風ミニドレスに仕上がっています。
一見、クレージュ風にも見えますが、酒井和歌子の着るドレスにパイピングはなく、やはりカルダン風だなあと感じます。
もったいないのは、女優にストッキングやタイツを穿かせなかったか、あるいはベージュのストッキングを穿かせたか、とにかく、脚部を目立たせなかったことです。
関連情報
ドキュメンタリー
ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン
- 製作年:2019年
- 製作国:アメリカ合衆国
- 映像時間:101分
- 監督:P・デヴィッド・エバソール、トッド・ヒューズ
- 音楽:ジェームズ・ピーター・モファット
- 製作:P・デヴィッド・エバソール、トッド・ヒューズ
ピエール・カルダンの晩年に収録されたドキュメンタリー映像です。
カルダン デビュー以後の貴重な映像をベースに、カルダン自身の語録をはじめ、次のようなモード関係の方々からインタビューをまとめあげた映像作品です。
- ジャン=ポール・ゴルチエ
- フィリップ・スタルク
- ナオミ・キャンベル
- シャロン・ストーン
- ジャン=ミシェル・ジャール
- アリス・クーパー
- ディオンヌ・ワーウィック
- 高田賢三
- 森英恵
- グオ・ペイ
- ジェニー・シミズ
- 桂由美
カルダンがパリへ連れていった日本人モデル 松本弘子の貴重映像も一分間ほど見られます。
リンク
- pierre cardin / ピエール・カルダン ― Japan official website : ピエール・カルダンの公式サイト。コレクション、ニュース、ヒストリー、全国店舗一覧など。
- Paris Enthusiasms: Introducing Pierre Cardin. | : ピエール・カルダンが掲載された「ヴォーグ」誌の記事を集めたページ。「帝国ロマン主義を表現しぶらぶらしたスカーフを日中でも吹き飛ばします」と宣伝されたアンサンブルが圧巻。(“ensemble expressing an empire romanticism, with the daytime razzle-dazzle of a flung scarf”)
- シルヴァナ・ロレンツ『ピエール・カルダン―ファッション、アート、グルメをビジネスにした男―』永瀧達治訳、駿河台出版社、2007年 : ピエール・カルダンの伝記。著者はカルダンの文化スペース「エスパス・カルダン」で芸術部長を長く務め、学芸員や番組記者としても活躍しました。ピエール・カルダンとともに25年間にわたり活動してきました。
- Cecil Beaton, Catalogue Exposition Espace Cardin, Paris, 1984 : フォトグラファー兼デザイナーだったセシル・ビートンがエスパス・カルダンで行なった写真展のカタログ。
図書
- Benjamin Loyaute, Pierre Cardin Evolution: Furniture and Design, Flammarion, 2006
- シルヴァナ・ロレンツ「ピエール・カルダン:ファッション、アート、グルメをビジネスにした男」永瀧 達治訳、駿河台出版社、2007年
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