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ミニスカートを生み出したアンドレ・クレージュの衝撃

スカート
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ミニスカートを生み出したアンドレ・クレージュの衝撃

1965年のアンドレ・クレージュ

アンドレ・クレージュは1965年に行なったコレクションにあたって、3つの点を強調しました。

行動性・機能性

女性も働く人たちが多く、男性だけでなく車を乗りまわして活発な生活をしています。そのため、服は嵩張らず、動きやすいことが基本です。女性の服は気取るものではなく、行動性や機能性を重視したものでなければなりません。

男女平等

女性は男性と平等であることを望んでいて、実際、ますます男性と対等な存在になってきています。もはや女性は男性からみられる対象(オブジェ)ではなく、男性をみる主体(シュジェ)になろうとしています。女性は服装をつうじて男女平等を表現すべきです。まずは男性の服を女性のものとして捉えることで実現されるでしょう。

タブーからの解放

女性は自分を縛る性のタブーという鎖をすべて放り投げてしまいたいと思っています。自分の性の衝動や欲望がノーマルなものとして認められ、受け入れられることを望んでいます。ですから、女性は自分の肉体を魅せることが大切です。服でごまかさすのではなく、あるがままの肉体を強調する必要があります。

アンドレ・クレージュの一撃

平坦なウール・ギャバジンとストライプのウールサテンのアウトフィット。トップステッチ縫製。カットアウトトップの白色子供風キッドオープントゥブーツ。

Spring-Summer collection 1965. Photo: Willy Rizzo. Marie Claire 1 march 1965. © Marie Claire.

これらの観点は、長年にわたって女性モードを変遷させてきた主軸です。少なくとも1920年代からガブリエル・シャネルが考えていたことです。1965年のコレクションで、アンドレ・クレージュは、これらの観点を部分的にも満たすことになりました。

機能的な男性服のような女性服

まず、クレージュは、男の服かと思えるデザインの女性の服を提案しました。その服づくりの技術には明らかにバレンシアガの影響があります。しかし、クレージュは女性の自由な身振りを重視したため、作品群は非常にしっかりした作りであるものの、大げさで硬直したようなものにはなっていませんでした。彼は女性の肉体を束縛から解放したのです。
クレージュのモデルたちはのびのびと動き回りました。でも、くっきりした服のシルエットはまったく崩れませんでした。それらの服にはモデルたちがダンスを踊ってみせることができるほどの適度な広がりがありました。

脚の露出と性タブーからの解放

クレージュの衣装には大反響を呼ぶ重大な点がみられました。モデルたちは脚を露出していたのです。しかも、ただの露出ではありませんでした。
先進国や文明国といわれる国々では、この数世紀の間に決してみられなかった、膝と腿を露出していたのです。エロティシズムにおいて腿という肉体部分がどれほど重要な役割を演じています。
クレージュが1965年のコレクションで取りあげたテーマは、あらゆる性のタブーを解放することだったのです。コレクションのニュースはすぐに全世界を駆け抜けたそうです。
脚を露出する影響は1967年まであらゆるファッションに反映されていき、一つのモードを作りだしました。この時期には、デザインの抽象化と丈の短さがモードの重要な要素となりました。それを軸に様々なバリエーションも生みだされます。
しかし、クレージュの変革はそれを越えるものでした。

アンドレ・クレージュの衝撃

ウール・サテン地のドレスとジャケット。水平のストライプ付き。白色パナマ帽子。

Spring-Summer collection 1965. Photo: Willy Rizzo. Marie Claire 1 march 1965. © Marie Claire.

ラシャと白色の衝撃

まず、当時まで広く使われていた柔らかい生地はクレージュのスタイルに合いませんでした。彼はフェルトに似た厚みのあるラシャに注目し、硬質の素晴らしい作品に仕立てあげました。さらに、彼の個人的な好みでしょうが、ラインそのものを際立たせるために、非常に純度の高い白色をたくさん使いました。この色は生地づくりで色出しが最も雛しい色の一つです。
ですが、クレージュは厳しい要求を出すことで染色技術を大きく向上させました。当時は白が大流行になったからで、その秋には歌手のフランソワーズ・アルディも白いパンツとチュニックを着てステージに立っていました。

様々な方向に炸裂したクレージュの影響

そして、クレージュの影響は様々な方向に炸裂していきます。

ロンドン

ロンドンのジンジャー・グループ社はただちに丈の短いスカートを取り入れました。短さを誇張したミニスカートを生みだし、マリー・クワントの名前で売りだしました。このニューモードは導火線に火をつけたかのごとく、イギリスの若い女性の間に広まっていき、アメリカのティーンエイジャーのもとにまで飛火しました。
スウィンギング・シクスティーズとスウィンギング・ロンドン
スウィンギング・ロンドンは、1960年代にイギリスで発展したファッションや文化のシーンのこと。その中心に位置するのがスウィングロンドン。この若者中心の現象は、輝くような楽観主義や快楽主義の時代として新しく近代的なものすべてを強調していきました。

以後、スカートのへムラインはどんどん上がりました。太腿の中程までに達したときにはこれが限界であるようにみえたが、そこで止まることはなく、1966年末から1967年にかけてスカート丈は股間までわずか数センチという長さになりました。

パンティストッキングの登場

ここまでヘムラインが上がると、ストッキングをガーターベルトで吊るして穿くリスクが高まりました。
そこで、伝統的な吊り方式が衰退し、パンティとストッキングをひとつにしたパンティストッキングが開発されました。パンティストッキングはすさまじい売れ行きを示しました。
頑固に普通のストッキングをつくり続けていたメーカーは業績不振に陥りました。パンティストッキングの生産に乗りだしたメーカーは急成長していきます。
ストッキング:意味や歴史とタイツとの違い
ストッキングとは爪先から大腿部分を密着して覆う靴下のことで、主に編まれた靴下を指します。アングロサクソン語の木製編針(ストック stock =木の枝)を用いていたことが語源。日本語で長靴下、英語でhoseやhosieryといいます。

サンクトペテルブルクのミニスカート

ミニスカートは世界中に現われました。ソ連のレニングラード(現サンクトベテルプルグ)にもミニスカートが現れたといわれています。
ミニスカートは、若い女の子の間に行き渡ったあと、大人の女性の間にもじわじわと広がっていきました。

大人の女性が穿くミニスカート

大人の女性がミニスカートを取り入れたことは大きなパラドクスでした。なぜなら、そもそもアンドレ・クレージュが流れをくむ〈スタイル〉のモードは、若者による若者のためのモードだったからです。
若者たちにしてみれば、スタイルとは挑発です。挑発は大人のモードに対立するものとして生みだされたものでした。ミニスカートはその代表的なモードです。
ですから若い女の子たちはミニスカートに飛びついたのであり、彼女たちは、実自分より年上の女性が自分たちの真似をしないと思っており、また、伝統的なモラルや美学的な見地からしても、大人の女性が極端に短いスカートを穿くことはありえないと確信していました。
ところが、若い人たちやファッション・デザイナーにとって、思わぬ計算違いが二つありました。一つ目は、若い女子たちがみんなミニスカートを穿いているのをみて、長いスカートで膝を隠した女性たちは何よりもまず、自分が老いたことに気づいたことです。とにかく若者人口の多さと彼らの消費能カに目をつけた広告業界は、挙って若い階層をターゲットにしはじめました。そのなかから理想の女性像として18歳の若い娘が登場しました。
それだけ、大人の女性たちの動揺は大きかったのです。こういう風潮にあっては、30歳以上の女性はいうまでもなく、20代女性ですら年寄り扱いされかねなくなりました。
つまり、大人の女性の多くがスカートを短くしたのは、こうした状況と闘うためだったのです。そして、実際に年を取った女性と勇気のない女性は膝上までの長さのスカートを穿きつづけましたが、それ以外の女性は果敢にも太腿のなかほどまで脚を出すようになっていきました。
もっとも、30歳以上の女性は超ミニを穿くことはありませんでした。例外はありますが、必ずしも目の保養になるものでありませんでした。

性の解放に対する願望

とにかく、ミニスカートは、クレージューが打ちだしたあとスタイルのモードに浸透していき、工業国のほぼすべての女性に影響を与えました。多少の違いはあったにしても、一般的なスカートのへムラインは確実に上がりました。そして、すべての女性がミニスカートを取り入れたこと、これがおそらく第二の理由に起因するものだったように思えます。
つまり、性の解放に対する願望です。ミニスカートはこの願望を表現したものでした。だからこそ、大人の女性まで魅きつけたのです。このことはあまり意識されませんでした。しかし、ミニスカートがエロティックな衣服であることは明らかです。そう考えると、このエロティックな衣服がこんなにも容易に受け入れられたということは、性の解放がそれだけ進んでいたということを示します。
とくに19世紀と20世紀初頭が女性に課してきた束縛を思い起こすとわかりやすいです。当時の自由への希求に比べると、1960年代は束縛も解放も、それほど深刻なものではなくなっていたともいえるわけです。

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