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マリー・クワント:ミニスカートの女王とモッズルックの元祖

ワンピースとスカートの歴史
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マリー・クワントは、1934年にイギリスのブラック・ヒースに生まれたファッション・デザイナーです。

1960・1970年代のイギリスを席巻したミニスカートの女王やモッズルックの元祖といわれます。

2023年4月13日、自宅にて93歳で死去。

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経歴

16歳の時、ロンドンの美術学校、ゴールド・スミス・カレッジの絵画科に進学。

在学中に、夫であり最大の協力者でもある故アレキサンダー・ブランケット・グリーンを知りました。

美術学校の教員資格試験に失敗し、ロンドンの帽子店に就職。

店舗展開

1955年、マリー・クワントはブランケットとその友人の3人で、キングズ・ロードにてロンドン初のブティック「バザー」BAZAAR を開店。

ここから、デザイナーの道を歩みはじめた。

2年後の1957年、「バザー」 BAZAAR 2号店をナイツ・ブリッジにオープン。

イギリスのファッション・デザイナー  マリー・クワント の店舗「バザー」。ロンドン南西部のチェルシー、キングス・ロード。1966年8月25日撮影。

ミニスカートの女王

1959年、マリー・クワントは画期的なミニスカートを発表し、世界のミニスカート時代をスタートさせました。

当時の彼女のデザイン料は、なんと400万ポンド(約32億円)といわれています。

フランスのオートクチュールでは、1965年のコレクションで、アンドレ・クレージュがミニスカートを発表しています。

ミニスカートはマリー・クワントとアンドレ・クレージュのどちらが先に開発したかについては論点が絞られていません。

この点については「ミニスカートの考案者」をご参照ください。

多角化と多国籍化

1962年、マリー・クワントは洋服・下着のデザインに関し、JCペニーとライセンス契約を結び、アメリカ市場へ進出します。

翌1963年には GIMEGER GROUP を設立し、マリー・クワントのデザインによる洋服製造と卸売業を世界的規模で着手しました。

1966年、「マリー・クワント・コスメティックス」を発表。1960年代は有名ブランドがこぞって化粧品部門や香水部門へ進出した時代です。

当時の広告を見てみましょう。

1973年5月号の「ヴォーグ」フランス版40頁に載ったマリー・クワントのコスメティックス広告(via Vogue France, No.536, 1973, Mai, p40)

この広告には次のような文章が付されています。

マリー・クワント : 流行のメイクアップ
マリー・クワントは、ファッション・デザイナーとしてイギリスで有名です。始まりはミニスカートでした。彼女のファッションとメイクアップを完成させるのはあなたです。あなたの顔がファッショナブルになれば、マリー・クワントを一歩進めることになります。最初のメイクを開発した時のことをマリー・クワントは覚えています。明日のあなたの「トータルルック」を作って下さい。マリー・クワントがファッションを決して忘れないように、新しいマリー・クワントはまだこれから先へ進みます。メイクアップ、アイデア、カラー、そして他のすべてのものに。Vogue France, No.536, 1973, Mai, p40.

1970年にはインテリアとテキスタイルのデザインも始めました。

1971年には日本で化粧品の販売を開始し、翌年に初来日。日本では、1983年にマリー・クワント・コレクションとして、レオタード、タイツ、ソックス、レッグ・ウォーマーの販売が開始されました。

1985年にフランスのプレタ・ポルテ・ファッション連盟から賞を受賞。

イギリスのモデル ツィギー。身につけているのは、薄ピンク色のミニ・ドレスと大きな安物飾り風イヤリング。1966年12月3日、ポッパー・フォト撮影。

現在、マリー・クワントはインナーウェア、靴下、帽子、インテリア小物から、コスメティックスまで、あらゆる分野の商品を手がけ、ビジネスとしても大いに成功しています。

なかでも、化粧品では、「ノン・ルール・メイキャップ」(好きなときに好きな色を使って化粧する)というキャンペーンを打ち出すなど、自分のためのお洒落という観点を強調するのが特徴的。

オードリー・ヘプバーンの映画衣装をデザイン

1960年代は新しいタイプのデザイナーが生まれ、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アートから数時間の距離に自分のビジネスを運営する人たちがいました。

その代表的ファッション・デザイナーがマリー・クワントです。

彼女は『ジョージー・ガール』(1966年)主演のシャーロット・ランプリングの服をデザインしました。

古いスタジオ・システムはほぼ終わりを迎え、映画の制作会社はフリーランスのデザイナーを使って専属裁縫師たちに仕事をさせたり、自分の仕事場を持つ若いデザイナーを使ったりしました。

マリー・クワントはオードリー・ヘプバーン主演の映画「いつもふたりで」(1967年)の衣装を担当しました。ヘプバーンが一時的に自分の好きなジバンシーを放棄したからです。

フォールとトゥフィン(Foale and Tuffin)もこの映画の雑貨を担当。

また「カレイド・スコープ」に出演したスザンナ・ヨークには広範囲でワードローブを提供しました。

与えた影響

マリー・クワントはミニスカート、カラー・タイツ、ロング・ブーツ、スキニー・パンツ、ヒップ・ボーンなど、1960年代を代表するさまざまな新しいファッションを生みだし、当時、世界で最も影響力をもつデザイナーといわれました。

1966年、外貨獲得の功にたいしビートルズとともに、エリザベス女王から第4等英国勲章を受章しています。
敬愛するデザイナーはガブリエル・シャネル。働く女性のためのスタイルづくりが二人の共通点です。

1971年8月21日、イギリスのロンドン。3人のモデルがマリー・クワントの最新デザインをロンドンのファッション・ショーで披露。左: 「春の到来」、クレープ地のスケート風スカート、上衣と同生地。中: 「ペパーミント」、赤色のショーツにカラフルなストライプのベスト。右: 「ディジー・リジー」、赤色のクレープ地の巻衣に襞状スカート。

モッズルックの元祖

マリー・クワントの信条は「古いルールへの反抗」。

この信念が「ミニスカートの女王」や「モッズルックの元祖」と呼ばれる所以となり、ロンドンを世界でもっとも影響力の大きいファッションセンターに作り変えました。

ファッション常識をくつがえしたマリー・クワントのアイデアは、カラー・ストッキング、ロング・ブーツをはじめ、シャギー・セーター、ビニール加工のレイン・コート、リブ・セーター、ホット・パンツなどの他、デニムをファッション素材にすることで、ファッション界に目くるめくばかりの衝撃波を投げかけました。

私の一目惚れ

マリー・クワントの作品の印象はポップ・カルチャーとヒッピーに引き裂かれています。

ポップ・カルチャーというとツィギーを思い出し、どちらかというとシンプルでかわいい感じ。

ヒッピーというとミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」に繰り返し出てくるバンドマンたち。ごちゃごちゃしていて暗い服装…。

そこで、少し視点を変えてアンドレ・クレージュとの対比でミニスカートからマリクワのベストを選ぶとウール・ジャージー地のミニ・ドレス(1964年)です。

彼女のドレス色で赤系ならオレンジ色が多いのですが、このドレスはやや紅がかっていて、フロントにファスナーというポップさが良いですね。

ウェスト切替線と下のスカート部分のタックが派手なので一見ツーピースに見えますが、ワンピースです。

紅系の赤色を着本に白のストラップを入れたのは対照性が強まって、私は好きです。

衿を寝かさず立領にしていたら、もっと格好良かったかも知れません。

  • 形態の特徴 : 赤褐色のウール・ジャージー・ドレス、長いウエスト、短いトップスのフレアー・スカート付。 センター・フロント・ジップ、折り返しのクリーム・ピーターパン色の襟と袖口
  • 寸法 : 長さ:首から裾まで81.5cm、袖丈:55cm袖周り:ウエスト約80cm

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