ヘルムート・ニュートン:ヌードのモードへの格上げをめざした写真家

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ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)は1920年にドイツのベルリンに生まれたの写真家です。

実家はユダヤ人の裕福なボタン製造業者でした。2004年に交通事故で他界。

エロティックで挑発的な作品や退廃的でスキャンダラスな作品をたくさん撮し、従来の明るく健全なファッション写真のイメージに挑戦したとされます。

しかし、私は、ヘルムート・ニュートンはヌードをモードに格上げしたかったのかなと感じます。

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経歴

ニュルンベルク法による学校内でのユダヤ人生徒とアーリア人生徒の分離政策が始まるまで、ハインリヒ・フォン・トライチュケ・レアルギムナジウムで学びました。

のち、写真家を志して、ベルリンのアメリカン・スクールに通学しますが、水泳と女性ばかりに関心が向いて退学。

職歴

報道写真家へ

1936年にベルリンのシュリュター通りにあった写真家イーヴァ(エルス・ジーモン)のスタジオに勤務。

イーヴァがナチスのアウシュビッツ強制収容所で殺害されたのを機に、ニュートンはナチスから逃れるために1938年にベルリンから中国を経由してシンガポールへ移住します。

そこで『シンガポール・ストレイト・タイムズ』紙の報道写真家の職業に就きました。しかし無能を理由に2週間で解雇。

1940年、オーストラリアで兵役に就き、兵卒として5年間もトラックの運転や鉄道の土木作業で生計を立てます。除隊後にメルボルンで小さな写真スタジオをオープンし、1945年にヴォーグ誌(オーストラリア版)の仕事を始めました。

1948年にジューン・ブリュネル(ブラウン)と結婚。ニュートンは1970年にアリス・スプリングズの名で写真を始めた彼女から大きな影響を受けていました。

モード写真家へ

1961年5月からはヴォーグ誌(フランス版)で活躍しました。エロティックで挑発的な作品や退廃的でスキャンダラスな作風で、従来の明るく健全なファッション写真のイメージに挑戦しました。

その間、ヴォーグ誌(アメリカ版、イタリア版、ドイツ版)をはじめ、「マリ・クレール」「エル」「リネア・イタリアーナ」「クイーン」「ノヴァ」「ジャルダン・デ・モード」などのファッション雑誌に作品を掲載し続けました。

今でも大人気の展覧会

アメリカやヨーロッパをはじめ、日本でも幾度となく写真展が催されています。

最近では2002年に「ヘルムート・ニュートン写真展」が日本の有名百貨店で開催されました(感想はこちら / カタログはこちら)。2004年1月に自動車事故によって他界。

故郷ベルリンでは2003年にヘルムート・ニュートンの作品を常設展示する国立の写真美術館建設計画があがっていました。

これは死後数年たった頃に展示をスタートするという美術館側とニュートン側で合意されていました。2004年の急死によって常設展のオープンが早まりました(遺族側の合意済)。

ヌードとモード

ヘルムート・ニュートンにはエロティックな作品が多く、ファッション写真で初めてヌードとモードの境界を揺さぶった人です。

作品はおよそ、動作があるのに静止しているか束縛されて静止しているか(ボンデージ)に大別されます。露骨なヌード作品も多く、マネキンかのようなテカテカ肌の女性の作品をたくさん写しています。

そこで北山晴一『ヌードとモードの間―欲望の考現学―』(日本経済新聞社、1993年)を思い出しますが、残念ながら「脱毛」や「マネキン」の項目に一切ニュートンの名前が出てきません。

伊藤俊治『20世紀エロス』

かといって伊藤俊治『20世紀エロス』(青土社、1993年)ですと、ドミニク・バケのヘルムート・ニュートン論を引用しまくった≪エロチック写真≫の説明が空回り。ちょっと肩に力が入っているというか、気取り過ぎ。

とりあえず、ニュートンがファッション写真(ファッション雑誌の写真)への挑戦をしただけでなく、従来のヌード写真に抵抗して、中間点のようにモード写真を確立していったことが、ニュートン自身の言葉の引用から分かりました(苦笑)。伊藤自身の言葉で勉強になったのはニュートンのモデルたちが

死んでいるようにも、生きているようにも見えてしまう(同書116頁)

点です。ニュートンの作品を見てもどかしい印象を受ける理由がこれかと分かりました。

飯沢耕太郎『写真とフェティシズム』

次いで飯沢耕太郎『写真とフェティシズム』(トレヴィル、1992年)はニュートンを異端の写真家と位置づけた点が明快です。念頭に置く作品をちゃんと載せているので説得的です。とりあえずお勧めできます(to amazon.jp)。

この本はニュートンの作品群の中から、胸当てやコルセットやギブスをモデルが着用した写真類を取り上げ、健康であるという日常とは別の≪病者である世界≫をニュートンの作品が表現すると見ます。

生身の肉体と機械仕掛けの肉体が混じりあっている(同書114頁)

点が飯沢のニュートン論です。

が、モデルが病者である点と見る者が病者である点を区別していないので、健康vs病気・怪我という単純すぎる構図に陥っているのが残念。

コルセットやギブスによって、偽の病気を作り(中略)モデルたちの肉体は(中略)医療用器具によって、魔術的な力を発揮するエロティックなオブジェに移行させられている(同書114頁)

このように書かれても、≪魔術的な力を発揮するエロティック≫をエロティックと感じるのは読者であって、≪魔術的な力≫もまたモデルと読者の間にしか成立しないので、それは読者の趣味の問題でしょと言いたくなります。

ニュートンの箇所(病者へのオマージュ)はSM雑誌『S&M スナイパー』1988年10月号に掲載されたもので、ボンデージやビザールが流行していた1990年頃の本だから仕方が無いともいえますが。

一目惚れ

ヌードとモードの境界を崩したニュートンの作品は、やはりヌードやエロスとの関わりが強く論じられる傾向がありました。

そんな中、私が好きなのはあっさりした作品。

普通、モード写真に笑顔はありませんが、このモデルは車・バッグ・サングラス、リア充全開よろしく笑顔です。ニュートンの作品で一番明るいのではないでしょうか。

この写真については、写真に貼ったリンク以外に「Fashion photograph by Helmut Newton – MAAS Collection」もぜひご参照ください。

もう1枚は、さりげないエロです。どうもニュートンの多くの作品は≪頑張ったエロ≫にしか思えないので、さりげないエロで。こちらからどうぞ。「Alice Springs at Helmut Newton Foundation, Photography – Art Limited(外部リンク)」

最後に

私見ながら、ヘルムート・ニュートンはモードにヌードを持ってきたというよりも、ヌードをモードに格上げしたかったのかなと感じます。

飯沢耕太郎の論点「病者へのオマージュ」を積極的に評価したとしても、美(または美人モデル)が病者である以上、私にはその美がマゾヒズムを帯びているように思えます。

どれほど衣装や女体の一部をクローズアップしてフェティシズムを強調しても、モデルがマゾに転化するといえば良いのでしょうか。

ニュートンがマドンナを撮影した作品は無いのでしょうか、もし存在するならどんな写真になるんでしょう。わくわくです。

美は女権的でなければならないと言えば「それは読者の趣味の問題でしょ」と反論されて黙るしかありませんが(笑)。

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この記事を書いた人

いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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