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台湾少女、洋裁に出会う:母とミシンの60年

台湾少女、洋裁に出会う : このページは「週刊読書人」に掲載された書評記事です。同社許可のもとに転載しています。(初出)「週刊読書人」2016年12月9日号、6面
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ブルマーの社会史:女子体育へのまなざし

『ブルマーの社会史』を書評しています。ブルマーの社会史 は、日本で1910年代から体育の授業で着用が義務付けられ、90年代に廃れていったブルマーの近現代史をまとめたものです。20世紀初頭から流行り始めた女子教育と運動を関係づけて述べています。19世紀的な袴が世紀転換期にはくくり袴となり、1910年代にブルマーが定着しはじめました。
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チャイナドレスをまとう女性たち : 本書は、同時代の広告や雑誌記事を参照して社会史的な関心を合わせながら、近代における旗袍女性(モダンガールや新女性)と「伝統の創造」の関係を追っています。チャイナドレスの中国語は旗袍(チーパオ)。中国国内のデパートや高級レストランで見ることの多い旗袍は、日本でも人気が高いです。
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ミシンと日本の近代:消費者の創出

このページは「週刊読書人」に掲載された記事です。同社許可のもとに転載しています。〔書評〕著:アンドルー・ゴードン/翻訳:大島かおり『ミシンと日本の近代―消費者の創出―』(みすず書房) 単著 2013年8月
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ヴィヴィアン・タム(谭玉燕):斬新なトレードマーク「東西融合」

ヴィヴィアン・タム (谭玉燕)は、ニューヨーク・コレクションに参加する中国人女性のファッション・デザイナー(衣服設計師)。1983年に自身で設立したEast Wind Code, Ltd.のCEOとチーフ・デザイナーをも務めます。斬新でトレードマークにもなっている「東西融合」(East-meets-West)姿勢に貫かれたファッション・デザインは国際的に評価が高いです。
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アントニオ・カスティーヨ:パカンやシャネル等を遍歴

アントニオ・カスティーヨ:Antonio Castillo は1908年にスペインのマドリードに生まれたファッション・デザイナーです。1963年にランバンを離れ自分のメゾンをオープン、コレクションを発表しました。
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ロバート・メイプルソープ:女性カメラマンの心を掴んだ写真家

1952年にブルックリンに転居し、プラット・インスティチュートで絵画や彫刻を学ぶ。当時活躍していたアンディ・ウォーホルらの作品に傾倒。
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プリングル:英国王室御用達のカシミア・メーカー

プリングル:Pringle
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イシドール・パカン:女性初オートクチュール組合会長

イシドール・パカン Isidole Paquin は、1890年にパリのリュ・ド・ラ・ペに創設されたオートクチュールのメゾン。イシドール・パカンが製作、夫が経営に当たった。夫の方は元銀行家(のち早世)。表記上、イシドール・パキャンとも。
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アツキ・オオニシ:メルヘンタッチの強い個性的なファッション

アツキ・オオニシ:Atsuki Ohnishi
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クロード・モンタナ:バルーン・シルエットで有名に

クロード・モンタナ:Claude Montana
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パコ・ラバンヌ:プラスチック小片を針金でつないだ未来感覚のドレス

1964年に最初のコレクションでプラスチックの小片を針金でつないだ未来感覚のドレスを発表。カルダンやクレージュとともにラバンヌもまた未来派デザインを構築しました。ラバンヌだけは生地素材を刷新し、裁縫ではない別の接合方法で衣服を制作したわけです。
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ヨシエ・イナバ:デザイナーブランドの先がけ「ビギ」設立

ヨシエ・イナバ:Yoshie Inaba
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アン・ドゥムルメステール:90年代初期グランジ・ルックの代表格

アン・ドゥムルメステール : 1959年ベルギーのコートヤックに生まれたファッション・デザイナーです。1981年アントワープ王立芸術学院卒業。フリーランスで活動後、1985年に自社設立。翌年には学院の卒業生たち6人でロンドンの展示会に参加。「アントワープの6人」として紹介されました。
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エドワード・モリヌー:イギリス王室のお抱えデザイナー

エドワード・モリヌー Edward Molyneux は、1894年、イギリスのハンプステッド生まれのファッション・デザイナー。作品は清楚で上品なのが受け、イギリス王室のドレスを全て任されるようになった。第1次世界大戦中、陸軍大尉として従軍し、片眼の視力を失う。通称「キャプテン・モリヌー」は、この時につけられた。負傷のため、戦後、王室向けのドレス製作はノーマン・ハートネルに代わった。
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ヒロミチ・ナカノ:キュートな作品群の根底にあるもの

ヒロミチ・ナカノ Hiromichi Nakano は、1951年に日本の宮城県で生まれたファッション・デザイナー。中野のキュートな作品群の根底には、ポップ・アートの遊び感覚と、時間が自在に前後する歴史主義的な側面の二つがある。
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エルメス:フランス第二帝政期に繁栄した鞄会社

エルメス HERMES (HERMÈS) : オートクチュールなどの奢侈品産業が栄えた第二帝政期(1850~1870年)に繁栄したブランドの一つで、四輪馬車と従者にHが打ちこまれたロゴが有名な、超一流ブランド。衣料では、サンディカのプレタ・ポルテ部門のメンバー。
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ミラ・ショーン:クリスチャン・ディオールとピエール・カルダンの狭間で

ミラ・ショーン(Mila Schon)は1919年に旧イタリア領のユーゴスラビア、ダルマジオのトルーで上流階級の家に生まれたファッション・デザイナー。イタリアのオート・クチュールを代表する女流デザイナーの1人です。
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マルタン・マルジェラ:商品にラベルをつけず匿名性を重視

1980年にアントワープ王立芸術学院を卒業し、その後、ミラノで5年間、フリーランスのデザイナーとして活躍。1984年から、パリでジャンポール・ゴルチエのアシスタントに。