アントニオ・カスティーヨ(Antonio Castillo)は1908年にスペインのマドリードに生まれたファッション・デザイナーです。
フルネームは、アントニオ・キャノバ・デル・カスティーヨ。表記上、アントニオ・カスティロ、アントニオ・カスティリョ、アントニオ・カスティーリョ、アントニオ・カスティヨ、アントニオ・カスティロとも。
経歴
マドリード大学とエル・サクロ・モンテで建築と法律を学んだ後、パカン、シャネル、ロベール・ピゲ等でドレスやアクセサリーなどでオリジナル・デザインを手がけました。
1945年にニューヨークへ渡り、オート・クチュールを手がけた始めたドイツの化粧品ブランド「エリザベス・アーデン」社のデザイナーとして活躍。オペラやブロードウェイの舞台衣装もデザインしました。
1950年にパリへ戻り支配人としてランバン社と契約。ジャンヌ・ランバン亡き後のブランド<ランバン>をランバン・カスティーヨに変更し、自ら主任デザイナーとしても一時代を築きます。
1961年、それまでの半年間をクリストバル・バレンシアガのクチュール・メゾンで働いていたオスカー・デ・ラ・レンタを、ランバン・カスティーヨのアシスタント・デザイナーにヘッド・ハンティングしました。
自店舗開店からニューヨークへ
1962年に病気でランバンを休職。ジュール・フランソワ・クラエに主任デザイナーを委任したまま、1963年にランバンを離れ自分のメゾンをオープン、コレクションを発表しました。
この年、デ・ラ・レンタを連れて、カスティーヨは再びニューヨークへ渡り、エリザベス・アーデンのオート・クチュールとレディ・トゥ・ウェア(プレタポルテ)両部門で、ともにデザイナーとして働きました。
カスティーヨの名は1966年までのオートクチュールの名簿で確認することができます。1964年頃にはアンヌ・マリー・ベレッタがカスティーヨのメゾンで働きました。
1971年、デザイナーの一人として参加した映画『ニコライとアレクサンドラ』でアカデミー賞衣装デザイン賞を獲得(もう一人はイヴォンヌ・ブレイクですが、もう一人の協力者ジョン・モロは除外されました)。
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