ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)は裕福な株商人の娘としてインドのダージリンに生まれた女優です。
映画「風と共に去りぬ」や数々の舞台をこなしたハイパー美人女優です。映画でも実生活でも天衣無縫の人生を送りました。
1913年11月5日~1967年7月8日。160cm、55kg。髪はレッドブラウン、瞳は緑。
経歴
5歳でロンドンの寄宿学校に入り、14歳でイタリアのサン・レモ、その後フランスのパリと移住。その間、上流家庭の子女専門の教育と躾を厳しく受けました。
小学生の頃から演劇に憧れパリ在住時にコメディ・フランセーズの女優アントワーヌ・ヴィテーズ(Antoine Vitez)から演技指導を受け、18歳でザ・ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート(The Royal Academy of Dramatic Art : RADA)に入学。同校の情報は次のリンクをご参照ください(RADA: The Royal Academy of Dramatic Art – Home)。
https://www.rada.ac.uk/
結婚・出産後に映画・演劇デビュー
1932年(19歳)に弁護士のハーバート・リー・ホルマンと結婚、翌年娘スーザンを出産。しかし女優への夢は消えず、1935年に知人の紹介で「探しだされるもの」(Things Are Looking up)の端役で映画デビュー。
続いて3本の映画に出演した後、1935年2月に英国ロンドンにあるキュー・シアター(Q Theatre)で「The do Green Sash」に出演、待望の初舞台を実現させました。
同1935年5月のアンバサダー・シアターで出演した「The Mask of Virtue」が評判となり、彼女の資質を認めたロンドン・フィルムのアレクサンダー・コルダと契約しました。
ロンドン・フィルムに所属したヴィヴィアン・リーは「無敵艦隊」(1937)に出演し、共演者のローレンス・オリヴィエと恋に落ちます。1938年に「嵐が丘」出演のためハリウッドに渡ったオリヴィエを追ってリーは出演中の舞台を踏み倒してアメリカへ。
「風と共に去りぬ」
リーはハリウッドでヒロイン未定のまま「風と共に去りぬ」の撮影を開始していた製作者デヴィッド・O・セルズニックと出会いました。ここでヒロインに起用されます。美貌、気品、身のこなし、そして激しくて分裂症的な性格を表現し、完璧なスカーレット・オハラを演じました。衣装デザインはウォルター・プランケット。
この映画を機にヴィヴィアンは永遠のヒロイン、スカーレット・オハラと共に映画史に不滅の名を残すことになりました。1940年3月にアカデミー主演女優賞受賞。同1940年8月に彼女はホルマンと離婚、オリヴィエも離婚が成立して晴れて二人は結婚できるようになりました。
オリヴィエとの共演
1941年にリーはイギリスへ戻ります。大戦中は映画「美女ありき」や数々の舞台に夫婦で共演しました。しかし、体の弱いヴィヴィアンは1945年の「シーザーとクレオパトラ」の完成直前に肺結核に倒れ、この病が彼女の後半生を暗く覆うこととなりました。
1948年にオリヴィエの献身的な看病で心身ともに体調を取り戻し、「欲望という名の電車」や「マクベス」などオリヴィエ演出の舞台で最高の演技を見せました。「欲望という名の電車」は映画化され1951年に2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しました。同1948年にも映画「アンナ・カレニナ」に出演。セシル・ビートンが衣装をデザインしました。
体調不良
ヴィヴィアンが元気だったのはこの頃まで。1953年に「巨象の道」を撮影中に強度の神経衰弱に襲われて降板。エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)が引き継ぎました。リーの感情の起伏の激しさや神経衰弱はオリヴィエを悩ませ、1958年遂に別居します。
オリヴィエとの別れと死
オリヴィエは新進女優ジョーン・プロウライト(Joan Plowright)を愛し始め、二度とリーの元に戻らず、1960年に離婚。失意のリーは舞台に熱中することで悲しみに耐えようとしましたが1963年に結核が再発。
その後も映画や舞台に闘志を燃やすのですが、1967年7月8日にロンドンのアパートで一人淋しく人生を閉じました。発見者は彼女を敬愛し、結婚を噂されていた俳優ジョン・メリヴェールでした。ヴィヴィアン・リーは前日まで次の舞台のセリフ覚えに余念がなかったといいます。
アントニオ・カスティーヨが制作したイヴニング・ドレス
このドレスは1957年にアントニオ・カスティーヨが制作したイヴニング・ドレスです。これは英国ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムに所蔵されています。これと同型のものをカスティーヨはヴィヴィアン・リーのために制作しました。セットで作られた紫のガウンを上に羽織りました。
ヴィヴィアン・リーの着たドレスは2003年にサザビーズ・オークションにて1,320GBP(日本円で約195,000円)で販売されました。作品の詳細は「アントニオ・カスティーヨのイヴニング・ドレス : 1957年」に記したのでご覧ください。
またリーのこのドレスと紫のガウンに特化した説明は「 Vivien Leigh: Castillo」をご参照ください。ドレスのボディス部分に胸ダーツと脇ダーツが施されている点など詳しく分かります。
People in Vogueから
この写真はジョン・ローリングス(John Rawlings)が撮影したヴィヴィアン・リーです。チュール・エッジのスカートの付いたタフタ・ドレスを着ています(スティーベル社製)。
「風とともに去りぬ」をはじめ彼女のサザン・ベル・ルック(Southern Belle look)はとても人気を呼びました。市民戦争前の米国南部で上流階級の理想とされた女性像をサザン・ベルといいます。
https://mode21.com/people-in-vogue/
関連リンク
- Vivien Leigh : ヴィヴィアン・リーのファン・サイト。リーの様々なエピソードや写真が豊富に載っています。またリーに留まらず古典映画、映画関連書籍、伝記、写真、ファッションなども広く扱っています。
- From Hollywood to Raleigh: the biggest collection of Gone with the Wind memorabilia | Comet Over Hollywood : NC Museum of History (the North Carolina Museum of History in Raleigh) で開催された「風と共に去りぬ」展覧会の様子が詳しく書かれています。
関連商品
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