ミニスカートの発明者は誰でしょうか。
男女を問わず人類は貫頭衣を着ていた時代から既に膝頭を出してミニのドレスやスカートを着ていたのですから、本当の開発者は原始人か古代人といわねばなりません。
この記事では、戦後のミニ・ドレスやミニスカートはどのように登場してきたのか、そして誰が普及させていったのかという点に絞って真相に迫ります。
モードの歴史としてはミニドレスがあって、その後ミニスカートが追従したと思われます。
ミニスカートの発明者:クワントかクレージュか…あるいは?
ミニスカート & ミニドレス @ マリー・クワント
ミニスカートの発明者はイギリスのマリー・クワントだといわれます。
たとえば、1950年代後半からロンドンでDolly Birdと呼ばれた女子たちが既製スカートの丈を自分で短くする流行を受け、1958年頃にマリー・クワントは最初のミニスカートを販売したようです。
イギリスびいきの同書はクレージュのミニ・ドレス発表前から
ロンドンのストリートでお洒落なコ、そう、「チェルシー・ガール」たちは、それよりずっと以前からミニスカートを穿いていた。長澤均『BIBA スウィンギン・ロンドン1965-1974』ブルースインターアクションズ、2006年、39頁
と記していますが、このページの冒頭で述べた貫頭衣を思い起こせば、そのチェルシー・ガール(chelcy girl)たちよりずっと以前からミニスカートを穿いていたともいえます。
ところで、マリー・クワントは次のようにも指摘されています。
アンドレ・クレージュのミニ・ドレス発表後、「ロンドンのジンジャー・グループ社はただちに丈の短いスカートを取り入れ、その短さを誇張したミニスカートを生みだし、マリー・クワントの名前で売りだした」
ミニスカート & ミニドレス @ アンドレ・クレージュ
19世紀末以来、パリ・モードはスポーツウェアを一つのアイデアの源泉としてきました。
アンドレ・クレージュの作風は直線・簡単で丈が短い。脚の露出が強まるのでブーツが組み合わされることが多い。丈の短い靴にはハイ・ソックスが似合います。
中国女性の纏足と同じようにハイ・ヒールが馬鹿げていて、それに比べてブーツは合理的で論理的だとクレージュは感じていました。
他の企業がスポーツ服をハイ・ファッションのアイテムの一つとして取り込んだのに対し、アンドレ・クレージュおよびクレージュ社はドレスを含めスポーツ・スタイルを発想の中心に据えたことに特徴があります。
つまり、機能性を重視し、スカートは必然的に膝上ということになります。
ミニスカートの発明者はクワントかクレージュかそれとも?
イギリスのマリー・クワントは、1950年代後半からロンドンで「Dolly Bird」と呼ばれた女子たちが既製スカートの丈を自分で短くする流行を受け、1958年頃に最初のミニスカートを販売したようです。
他方、クレージュのミニ・ドレス発表後、「ロンドンのジンジャー・グループ社はただちに丈の短いスカートを取り入れ、その短さを誇張したミニスカートを生みだし、マリー・クワントの名前で売りだした」とも言われます。
そして、フレッド・M・ウィルコックス監督『禁断の惑星』(1956)で、アン・フランシスがミニ・ドレスを着用していることから、これを起源に求める意見もあります(「ファッション・ボックス」292頁)。
『禁断の惑星』では男優衣装をウォルター・プランケット、アン・フランシスの衣装をヘレン・ローズが担当したので、ミニスカート、ミニ・ドレスの発明者にヘレン・ローズの説も加わってきます。
また、「ロンドンの流行と並走していたクレージュは、マリー・クワント同様、ミニスカートの創始者であると主張」(『世界ファッション・デザイナー名鑑』113頁)、「どちらが先に発明したかについては、いまだに論争がある」(『もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー』52頁)。
多くのファッション史ではどちらが先かの論争は避けていますが、アンドレ・クレージュは1960年代中期にミニスカートやミニ・ドレスを発表していきますから、クレージュを発明者とするのは少し無理がありそうです。
以上のことから、ミニスカートの発明者はヘレン・ローズにあり、マリー・クワントが大量販売し、アンドレ・クレージュがオート・クチュールのコレクションで初めてミニスカートを披露したと考えられます。
そして、ミニスカート開発によって膝頭が露出されて以来、スカートの裾はどんどん上昇し、従来のガーター・ストッキングが忌避され、新しくパンティストッキングが登場しました(ブリュノ・デュ・ロゼル『20世紀モード史』400~402頁)。
ディオール対ミニスカート
『週刊サンケイ』(1966年10月3日号)がデイリー・ミラー紙の報道をまとめた記事によると、イギリスのミニスカート協会がディオールのコレクションに対して抗議したとのこと。
ディオールは膝丈にまでスカートを上げた業績がありますが、ミニミニスカート協会にとっては、それでもまだ丈が長いということになります。
下りを引用してみましょう。
ミニ・ミニスカート族
(デイリー・ミラー紙)
クリスチャン・ディオールの秋のモードの発表会が先日、ロンドンでひらかれ、スソをヒザ下まで長くしたスカートが発表された。
ところが、イギリス・ミニ・ミニスカート協会がこれにたいし、「ロングスカートは女性の美をかくすもの」とはげしく抗議している。
この協会はヒザ上20センチのミニ・ミニスカート(超ショート・スカート)愛好の少女たち200人がつくっているもので、プラカードを持ち、ディオールの発表会にデモをかけた。
◇ミニ・ミニスカート協会万歳!『週刊サンケイ』(1966年10月3日号、通算801号、30・31頁
当時のミニスカート愛好運動がなかなか過激だったことは次の記事「Miniskirts Forever: How One Piece of Clothing Came to Symbolize Women’ | W Magazine」でも伝わってきます。
ミニスカートとナイロン
ミニスカートに脚光を当てたのはファッション・デザイナーたちだけではありません。
1960年代、アメリカのデュポン社の有望な繊維として「スパークリング」と「キャントリース」が新しく開発されました。いずれもストッキング用繊維でわずかな期間に作られたものです。
ファッション・デザイナーたちは挙って、自分の時代に合わせて類似のシルエットやアイディアを同時に生み出しました。
ミニスカートはアンドレ・クレージュ、マリー・クワント、ピエール・カルダンに代表され、ファッションに欠かせないものとなりました。
とくに有名な作品が、ポリ塩化ビニール(PVC)のアクセサリーを添えたピエール・カルダンの特許ユニットの繊維「カルディーヌ」で作られた三次元ドレス(1968年製)。
PVCはアンドレ・クレージュやマリー・クワントも多用した素材です。
ファッション・デザイナーたちが考える無限の色とパターンはあらゆる合成繊維メーカーにとって大きな幸運と業界牽引力をもたらしました。
キアナ(Qiana)は、ファッション業界向けの新しいナイロン・ブランドで、デュポンがパリのクチュール業界で紹介しようとしたものでした。
キアナ繊維を使って織物を作る織物工場にはアブラハム、ビアンチィニ、ブコル、ナティア、スタロンなどがあり、これらの工場名の刻印が生地を使うメジャーなデザイナーにもマイナーなデザイナーにも要求されました。
また、デュポンはディオール社のマルク・ボアンがデザインしたキアナ製ウェディング・ドレスをすでにスポンサーしていましたが、その値段は4,437ドルと非常に高く設定されました。
このドレスはニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈されました。
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