クレア・マッカーデルは、アメリカ合衆国のメリーランド州に生まれたファッション・デザイナーです。
コットンやウールのジャージー生地をよく用い、機能性や実用性を重んじる現代のスポーツウェアの基礎を作ったとされています。
1枚の赤い布で作ったサロン風のドレス(次の写真)や伸縮性のチューブ形のタンク・トップなどが有名です。
クレア・マッカーデルの経歴
クレア・マッカーデルは1926年にパリで勉強し、マドレーヌ・ヴィオネとガブリエル・シャネルに触発されました。
シャネルが以前にしたように、マッカーデルは自分のライフ・スタイルのために服をデザインしました。彼女は「タイム・マガジン」 の1955年5月2日号の表紙を飾り、アメリカン・ファッションの出現に関する記事が取り上げられました。
その生地で「私は自分に必要なものをいつもデザインしてきました。多くの人々もそうしています」と述べています。
パリからニューヨークに帰国後、クレア・マッカーデルはニューヨークのパーソンズ・デザイン学校を卒業し、1929年から独立デザイナーのロバート・タークの店で働きました。
1931年からは既製服メーカーのタウンリー・フロックス社でスケッチ画家として働きました。
ハッティ・カーネギーに移籍した数年後、タウンリーに戻ってヘッド・デザイナーになりました。
この間に作成されたスケッチは9,800枚以上にのぼります。これらはニューヨークのニュースクール大学「Fashion Design History Collection (The New School Archives Digital Collections)」に保管されています。
このスケッチ類からは、エルザ・スキャパレリやガブリエル・シャネルたち、パリのデザイナーの名前が記されていて、マッカーデルが彼女たちの作品類を勤勉にコピーしたことがわかります。模倣によってパリからのニューヨークの独立を実現させたわけです。
その後、1938年にバイアス・カットを用いてウェストをラフにしたドレスを制作して人気が出ました。
1940年に独立し、1940年代・1950年代に次々と斬新なデザインを発表し、アメリカン・ファッション(アメリカン・ルック)の一大傾向を作りました。
彼女の死亡した1958年までタウンリー・フロックス社との契約関係も継続ました。
クレア・マッカーデルの作風
マッカーデルの作品の数々は必要から生まれています。
たとえば、ヨットに乗って風にそよがれる時にツイード地の衣装を着たり、耳が冷たくなるスキーをする時にはウールのジャージー地のフードを着たりしています。
彼女の特徴を示す最も重要な点ですが、ヨーロッパ旅行で荷物が多すぎた時、マッカーデルはセパレーツ(分離した衣服)を作って、トップとスカートが何枚も交換可能なドレスをデザインしました。
さらに、トップにはズボンで着用しても合うようにできていました。
彼女の衣装類は、ジャージー地のホルター・ネック仕様のトップとジャージー地のスカートに基づいていたのです。
クレア・マッカーデルのジーンズ
同時に、クレア・マッカーデルは1940年代のアメリカでは女性ジーンズの大流行も生みました。
- 1942年、ジーンズ生地で“Pop Over” dress(ポップ・オーバー・ドレス)を制作。ジーンズにくるまれた繋ぎのドレス。
- 1943年、ジーンズ素材のshirt waist dress(シャツ・ウェスト・ドレス)を制作。シャツ・ウェスト・ドレスとは、当時流行していた、衿と袖口留(カフス)の付いた、腰まで釦のあるドレス。
- 1944年、男性作業員向けの頑丈な2本縫を施して、アメリカンスリーブの上衣と丈長のスカートの組み合わせ(アンサンブル)を制作。(次の写真)
ジーンズ史におけるクレア・マッカーデルの活躍は「ジーンズとデニムの起源と歴史」に記していますので、そちらもご参照ください。
参考ページ
- Claire McCardell – The American Look | Colette Blog:クレア・マッカーデルの略伝。特徴的な作品類を紹介した説明が分かりやすい。
- Claire McCardell fashion sketches, 1931-1958 KA.008 : クレア・マッカーデルの学んだ美術学校(パーソンズ・デザイン学校、現・The New School)のサイト。彼女の略伝やスケッチ作品群。スケッチはページ下部の「Collection Inventory」より。
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