スウィンギング・シクスティーズとスウィンギング・ロンドン
スウィンギング・シクスティーズは、1960年代にイギリスで発展したファッションや文化のシーンのことです。その文化拠点となったのがスウィンギング・ロンドン。
この若者中心の現象は、第2次大戦後の緊縮財政の後に栄え、消費主義が開花して余暇を味わう風習が出てきたのです。
輝くような楽観主義や快楽主義の時代として新しく近代的なものすべてを強調していきました。
スウィンギング・シクスティーズでは、ファッション、芸術、エンターテイメント業界が新しいアイデア、新しいサウンド、大胆な新しいルックスで爆発しました。すべてがアイコンのように見えました。
ファッション・デザイナーたちは新しい素材やスタイルを追求しました。とくにフランス人のアンドレ・クレージュと英国スタイルの第一人者マリー・クワントは先を争うかのように実験を繰り返し、ミニスカートの発明を突き進めました。
デイビッド・ベイリーのようなトレンディな写真家は、女性モデルのジーン・シュリンプトンや、60年代の顔ツイッギーたち、官能的なモデルの刺激的な画像を撮影しました。
そして彼女たちは1959年に、ヒップでファッショナブルな人々のための普遍的な存在へとのし上がっていきました。
イギリスの国旗「ユニオンフラッグ」もスインギング・シーンのシンボルとして使われました。愛国心の高まりは、1966年のワールドカップでイングランドが勝利したことに支えられています。
ポップミュージックは、カリビアン・ラジオ局やレディ・ステディ・ゴー(Ready Steady Go!)などの人気テレビ番組が放送され、10年間にわたり新しい「国歌」を次々に作っていきました。
ポップスの殿堂といえば、ビートルズ、ザ・フー、ザ・キンクス、ザ・デイブ・クラーク・ファイブのようなグループが挙げられます。
スウィンギング・シクスティーズやスウィング・ロンドンとは、英国のポップバンドの出現を見た10年間でもあるわけです。のちにスーパー・グループとなる初期クリームをみると、検閲の緩和で寛容の時代だったのです。
検閲の寛容さは、いろんなシーンで見られました。
たとえば、舞台や映画ではヌードや性的で露骨な表現につながるものがたくさん出てきます。
また、若い女性は避妊薬ピルによって解放され、10年後にはヒッピーがドラッグに夢中になって「オン、チューニング、ドロップアウト」しました。
良くも悪くも活気のある10年間のファッション、音楽シーン、ライフスタイルは、いま愛情を込めて振り返られることが多くなっています。夢中になれた時代だったということでしょうか。
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