オリー・ケリー(Orry-Kelly)はオーストラリア系アメリカ人のファッション・デザイナー(衣服設計師)です。主にハリウッド映画向けに衣装をデザインしました。
生い立ち
オリー・ケリーはオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州キアマに生まれました。父親のウィリアム・ケリーはマン島に生まれ、キアマで仕立屋(tailor)を営んでいました。
オリーはマン島の古代王の名です。
17歳の時にオリー・ケリーは金融を勉強するためにシドニーに送られました。しかし、そこで彼は芸術を勉強し、劇場に関心を持ちました。そして、俳優になることに決め、彼はニューヨークに出帆します。
職歴
演技の経歴は実を結びませんでしたが、彼はナイト・クラブで壁絵描きの仕事を手に入れ、得意客たちのスケッチをしました。この経験はフォックス・イースト・コーストのスタジオで無声映画のタイトルを描く仕事につながりました。
彼はシューベルトの演劇と「ジョージ・ホワイトのスキャンダル」のための衣装と風景をデザインしました。
エセル・バリモアは彼の作品を賞賛し、彼がデザインした服を複数の舞台で着用しました。
キャサリン・ヘップバーンのブロードウェイ・デビュー「Death Takes a Holiday」1934 (ミッチェル・ライセン監督)の衣装類もオリー・ケリーがデザインしたものです。
彼は不況時にナイト・クラブを運営しようとして幾度か失敗し、西海岸に渡りました。しかし、事業の合間にセント・ルイス・オペラ社(St Louis Opera Company)のためにデザインをしました。
1932年に彼はハリウッドに到着し、ワーナー・ブラザーズ・ファースト・ナショナル・スタジオで仕事を始めました。
ニューヨーク時代の古い友人ケーリー・グラントは、ワーナーズ社のワードローブのヘッドに彼を推薦し、その後にオリー・ケリーは11年間勤めました。
彼の最初の重要な映画はルース・チャタートン(Ruth Chatterton)出演の映画「The Rich Are Always with Us」1932(アルフレッド・E・グリーン監督)でした。
彼はワーナーズ社を1943年に去り(ベッテ・ディヴィス Bette Davis 主演の映画類の仕事だけは行ないました)、Fox、Universal、Radio Keith Orpheum Entertainment、MGMで働きました。
スタジオ契約の俳優たちが服を上手に着れば、デザイナーの仕事は最大の利点を発揮します。
オリー・ケリーはケイ・フランシス(Kay Francis)、ベティ・デイヴィス(Bette Davis)、ベリー・ティーズデール(Veree Teasdale)、ドロレス・デル・リオ(Dolores Del Rio)、ヘレン・ヴィンソン (Helen Vinson)らと一緒にワーナーズ社にいて幸運でした。
同社はこの頃ほとんど写真を作成しなかったため、「Stolen Holiday 」(マイケル・カーティス監督、1937)や「First Lady」(スタンリー・ローガン監督、1937)のようなケリーによる映画のファッション・デザインは、出展者に送られた宣伝キャンペーンで大きなセールス・ポイントとなりました。
彼は晩年に映画音楽を担当しました。それには、かつてブロードウェイのショーでの若い時期の経験が活かされました。彼は1964年に死去した時、ビリー・ワイルダー監督の映画「ねえ!キスしてよ!」(Kiss Me), Stupid, 1964に取り組んでいました。
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著書に Women I’ve Undressed: The Fabulous Life and Times of a Legendary Hollywood Designer, Allen & Unwin, 2016.
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関連ページ
- Orry-Kelly – Wikipedia : オリー・ケリーが担当した映画衣装のクレジット(Costume design credits)に詳しい。
- Exhibition celebrates costume designer Orry-Kelly’s Hollywood career | afr.com : ACMI (オーストラリア映像博物館)で開催されたオリー・ケリーの展覧会を記念して彼の経歴を詳しくまとめている。
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