1960年代のファッション・デザイナー
このページでは、1960年代のファッション・デザイナーのうち欧米で活躍した人物を取りあげています。
アンドレ・クレージュ、ピエール・カルダン、マリー・クワントは長めの個別ページがあるので、こちらでは取りあげません。
ミラ・ショーン
彼女は1958年からクチュールの分野で活難していましたが、1965年に自分社を設立しました。1966年にはミラノのモンテ・ナポレオーニ通りにも店を開店し、ニューヨークのファッション・オスカー賞を受賞。急速に国際的な地位を確立していきました。
1966年のショップ開店ラッシュ
1966年は多くのメゾンが誕生した年でした。イギリスではジャネット・ライルとマギー・ケズウィックが〈アナキャット〉というファッション・ハウスを開店。1967年の終わりにマギーが抜けてジャネット一人となりますが、彼女は1970年秋にレスリー・プールと提携しました。
同じくロンドンにはレイモンド・クラークも登場しました。1942年生まれのクラークはマンチェスタ一美術学校を卒業後、王立美術学校で学びます。在学中からチェルシーのブティックヘ〈クォーラム〉のデザインを手掛けるようになりました。1966年にはクォーラムのための最初のコレクションを発表しています。彼の作品は〈オッシー・クラーク〉の名で知られています。
1934年に日本の神戸で生まれたジーナ・フラティーニも、クラークと同じ玉立美術学校の出身で、1966年に会社を設立しました。彼女は当時再び登場してきたロマンティックなスタイルを率先して打ちだしていきました。
エマニュエル・ウンガロ
フランスではエマニュエル・ウンガロのメゾンが誕生しました。ウンガロはエクサン=プロヴァンス生まれのイタリア人で、父親が仕立て屋でした。彼は父親のもとで修行を積むのですが、22歳でパリヘ上り、バレンシアガの店に入りました。そこで6年間クリストバル・バレンシアガの片腕として働き、同僚だったアンドレ・クレージュとともにバレンシアガの店を去り、クレージュが開店したメゾンに移りました。
ここでウンガロはクレージュの1965年のコレクション開催に協力。その成功を見てから独立を決意し、自分の店を構えました。
クレージュと同じように、ウンガロもバレンシアガから構築的な服づくりと素晴らしいカット技術を受け継いでいます。それに加えてウンガロは類い稀な色彩感覚の持主でした。ウンガロはモードの創造を大衆レベルで考える新世代のクチュリエであり、1968年にはプレタポルテ部門を開設しました。さらに彼はソニア・クナップと共同して新しいプリントを次々に考案し、ひとつの服のなかで様々なプリントを混ぜて使うなど、ブリントを生かした作品を多く手掛けるようになります。
https://mode21.com/emanuel-ungaro/
バコ・ラバンヌ
同じ1966年、バリには一種独特の個性を持っ天才的な未来派も現れました。バコ・ラバンヌです。彼は昔の騎士が着ていた鎖かたびらなど、普通の衣服にはまったく使われなくなった金属素材に強い関心を寄せていました。メタルの球でつくったドレスや、プラスチックを金属の糸でつなぎ合わせたドレスなど、大胆に肌を透かした奇妙な形の服を作りました。1967年にブリジット・バルドーは金属を編んでつくったパコの超ミニドレスを着て、かぶとのような帽子をかぶって現れたことがある。この帽子はうなじを覆い隠し、弓なりになった先端が額の真ん中にかかったものでした。
こうしたパコの風変わりな服は今まで一般に広まってはいませんが、彼はアクセサリーの分野に大きな影響をもたらした。メタリックなハンドバッグ、プラスチックや洋銀でつくったアクセサリーなど、パコの作品はヒッピー世代に大流行したのです。
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