ウォルター・アルビーニ
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ウォルター・アルビーニ : Walter Albini, Foto Gian Paolo Barbieri via Biografia | Walter Albini
経歴
トリノのアート・デザイン・ファッション研究所で唯一の男子生徒として入学。
アルビーニはわずか17歳で新聞や雑誌で仕事を始め、ファッション・ショーのスケッチを描きました。
その後はまずローマから、次いでパリから。1961年から1965年にかけて4年間留学しました。ローマとパリで修行を終えた後、1965年にミラノで自社を設立しました。
アルビーニはパリでガブリエル・シャネルと出会い彼女の個性に驚きました。そしてノベラスコ・テイラー・スタジオ(the Noberasco tailor’s studio)からファッション雑誌のヴィンテージ版を大量購入してシャネルの知識をさらに吸収しました。
1963年に彼はジャンニ・バルディニ(Gianni Baldini)のために自分の最初のコレクションを作成しています。
![ビリー・バロがモデルの1969・70秋冬コレクション「グリジオ」](https://i0.wp.com/mode21.com/wordpress/wp-content/uploads/walteralbini_220-e1542030986334.jpg?resize=395%2C800&ssl=1)
ビリー・バロがモデルの1969・70秋冬コレクション「グリジオ」。 via Billy Ballo, AI 69/70, “Grigio” | Walter Albini Foto abito.
独立後
ビリー・バロ、クリツィア、バジーレなど各メゾンと協力して、デザイン、広告イラスト、ファブリックデザインなど、幅広く活躍しました。
1983年死去。
作風
ユニセックスな衣服を中心に、無駄のないシルエットが特徴です。
気品溢れるスタイルと、得意なイラストレーションは、多くの人々に影響をもたらしました。
イタリアの1960年代・1970年代はフランスのオートクチュールを真似ていた時期で、アルビーニはプレタ・ポルテの衣装をもたらし、イタリアのプレタ・ポルテ(既製服)の基礎を確立しました。
そのためか、オートクチュール至上主義の日本の服飾辞典やファッション辞典では掲載されている場合は少ないです。
関連リンク
- Walter Albini – ウォルター・アルビーニの公式サイト。コレクション一覧、デザイン一覧など。
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