ロバート・カロック(Robert Kalloch)は1893年に米国ニューヨーク市に生まれたファッション・デザイナーです。
ドゥワイト・プレパラトリー・スクール(Dwight Preparatory School)、ニューヨーク・スクール・オブ・ファイン・アンド・アプライド・アート(New York School of Fine and Applied Art)で教育を受けました。
ルシール社へ就職
多くのアメリカ人のドレス・デザイナーと同様、カロックはニューヨーク、ロンドン、パリのルシール社の支店で仕事を学びます。そこでは第1次世界大戦前にスケッチ・アーティストとして勤めました。
ルシールの最も有名な顧客の1人であったレネー・キャッスル夫人はとてもエレガントでした。彼女は展覧会のボール・ルーム・ダンスのキャリアでかなり尊敬を集めていました。
カロックは彼女のドレスをたくさんデザインしました。彼女はまた、バレエ衣装の一部を含むバレリーナ、アンナ・パブロワ(Anna Pavlova)のためにもデザインしました。
コロンビア・ピクチャーズへ移籍
1930代前半、カロックはコロンビア・ピクチャーズ(Columbia Pictures)に移籍しました。1920年代後半、このスタジオは低予算の写真を制作していたため、長期契約を求める大スターたちを引き付けることが出来ていませんでした。
スタジオ・ヘッドのハリー・コーンはコロンビアのイメージを改善するために、アイリーン・ダン(Irene Dunne)、ナンシー・キャロル(Nancy Carroll)、グレース・ムーア(Grace Moore)、リリアン・ハーヴェイ(Lilian Harvey)、フェイ・レイ(Fay Wray)などの女優を説得し、映画に出演してもらいました。
ロバート・カロックはコロンビア・ピクチャーズ社の最初の優れたデザイナーでした。常に映画雑誌でたくさん宣伝されるような時代映画を主に担当し、洗練された衣装類を大量にデザインする機会が与えられました。ハリー・コーンは主な女優たち用の衣装スケッチをチェックし、彼女たちが「良い味で」服を着ていることを確かめました。
MGMからフリーランスへ
カロックは1941年までコロンビア社に滞在し、その後にMGMへ移籍し2年間勤めました。MGM退社後彼はオケージョナルなフリーランサーとしてデザインの仕事をしました。
関連リンク
- Luxury Lingerie – Hand Made Designer Lingerie in London, UK : ルシール社の公式サイト。「カンパニー・ヒストリー」に同社の歴史がまとめられています。同社は映画の衣装デザイナーたちが登龍門によく働いた店です。創業者のダフ・ゴードン女史は下着を必要性からオシャレに変革したデザイナーとして有名です。ハーパース・バザー誌、グッド・ハウスキーピング誌、ハースト・ニュースペーパー誌などにファッション・コラムを連載しました。
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