ベルリン・モード:1990年代のポスト・カード
ベルリン・モード:ドイツ歴史博物館(Deutsches Historisches Museum、外部リンク、英語版もあり)で販売されていた、映画の広告ポスターなどの絵はがきを6点紹介しています。19世紀後半から20世紀中頃のドイツの都市状況やモードシーンの一端を垣間見ることができます。(ベルリンへ行ったのは1996年11月、この記事を書いたのは2000年頃です。2018年1月31日に分かりやすく書き直しました)
Großstadt
Hugo Krayn (1885-1919)
Großstadt
1915; Öl/Leinwand, H 134cm, B 94cm
(DHM 1987/113)
フーゴ・クライン(1885-1919)
大都市
1915年.油彩、カンバス
(ドイツ歴史博物館 1987年 113番)
Drei Kostproben von den Deutschen Friseurmeister-schaften in Berlin
Mai 1958
Drei Kostproben von den Deutschen Friseurmeister-
schaften in West-Berlin / Deutsches Historisches Museum, Bildarchiv
1958年5月
ドイツ理美容選手権でのサンプル三点。西ベルリンにて
(ドイツ歴史博物館蔵)
この「ドイツ理美容選手権」は、国内の理美容師だけが参加したイベントなのか、あるいは、各国の理美容師が参加したものであったのかは分かりません。理美容選手権では、理美容業界の腕前を競うものとして「世界理美容選手権大会」が広く知られています。この大会には、団体部門と「アーティスティック部門」「レーザー・スカルプチア・クラシカル部門」「コマーシャル・イン・ファッション・コンシュマー部門」という個人の3部門、計4部門で争われます。「世界理美容選手権大会」は開催から半世紀以上を経た歴史をもっており、1992年には田中トシオが史上初の全部門制覇を達成しました。
Die blonde Venus (Filmplakat)
Kupfer Sachs
Die blonde Venus (Filmplakat)
1932; Farboffset, H 204cm, B 95.5cm
(DHM P 62/599)
クプファー・ザックス(銅版画家ザックス)
ブロンド・ヴィーナス(映画ポスター)
1932年.カラーオフセット.204cm × 95.5cm
(ドイツ歴史博物館 P 62/599)
マレーネ・ディートリッヒ『ブロンド・ヴィーナス』(ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督、パラマウント・フィルム)
マレーネ・ディートリッヒはグレダ・ガルボと並び20世紀前半の映画界を席巻した名女優。彼女主演の映画『ブロンド・ヴィーナス』(1932年、アメリカ)の宣伝ポスター。彼女の公式サイトはこちら → Marlene Dietrich [marlene.com]
Theo Matejko, 1920
Plakat aus dem Bestand des Deutschen Historischen Museums, Berlin
aus dem Buch >>Kunst! Kommerz! Visionen!<< Editions Braus, Heidelberg
テーオ・マテイコ、1920年
ドイツ歴史博物館(ベルリン)所蔵ポスター
『芸術! コマーシャル! 未来!』(ブラウス書店、ハイデルベルク)より
ウーファ社「寵姫ズムルン」監督:エルンスト・ルビッチ(ルービッチュ)、主演:ポーラ・ネグリ(以下、制作・出演者数名の名前と思われます)。「ウーファ/UFA」 = Universum-Film-AG は1917年創立のドイツの映画会社。ポーラ・ネグリ(POLA NEGRI)については以下をご参照ください。
女優ポーラ・ネグリはドイツから招かれて米国に渡り、無声時代、性格派の名優と謳われたが、その後はトーキーの発達の波に押されて活動を休止していた。それが久々に(管理人注:「マズルカ」という作品で)このむずかしい役をこなして、名演技を見せた。・・中略・・トーキーの高波のに呑まれたサイレント時代の俳優たちはほとんど消えたままとなり、返り咲いたものはきわめて稀れだった。強いて探せば、名花グロリア・スワンソン、リリアン・ギッシュくらいのものではないだろうか。しかしこの二人共、年をとって大年増、ないしは老婆の役で蘇ったのだから、純粋の意味でのカムバックとはいえない。ポーラ・ネグリはその難事を見事にやってのけた。彼女の場合、初めから絶世の美女ではなかっただけに、歳月による容色の衰えもカムバックの妨げにならなかったのかもしれない。猪俣勝人『世界映画名作全史―戦前編』社会思想社(現代教養文庫)、1974年、224-225ページ(ツイネ・アリアンツ監督『マズルカ』(Mazurka)の解説より)
Das Parfüm dieses Winters VOGUE
Jupp Wiertz (1888-1939)
Das Parfüm dieses Winters VOGUE
Um 1927; Farblithographie, H 119cm, B 83.5cm (P 57/1584, P 56/424)
ユップ・ヴィールツ(1888-1939)
この冬の香水(ヴォーグ)
1927年頃.カラーリトグラフ.119cm × 83.5cm(P 57/1584, P 56/424)
このポストカード下端には「F. Wolff & Sohn」の文字が記されています。これは、この商品のボトルをデザインした者の名前です。19世紀末までの香水ボトルのデザインは、ベル・エポックの雰囲気のなかでとかく伝統的で複雑なエレガント調・フランス調が主流でした。しかし、ボトル・デザインは世紀末に大きな転換をみせます。綿密な真鍮製のキャップがついた、ゆったりとしたクリスタル(水晶)のようなボトルが登場したのです。ボトル本体は古典的なデザインが続きましたが、真鍮のキャップは華美な金色のラベルや箱に似合いました。ボトルデザインの変化の一端を担ったのが、F. Wolff & Sohn でした。1910年代に入ると香水ボトルは新しい伝統を生みました。心理学の発展に相まって、新しい香水製作者たちはさらに複雑なボトルや名前を作り出したのです。それは、ボトル各面に三角形や螺旋状のモチーフを施した、革新的なものでした。
Louis Schmidt, 1888
Louis Schmidt, 1888
Plakat aus dem Bestand des Deutschen Historischen Museums, Berlin
aus dem Buch >>Kunst! ! Kommerz! Visionen!<<
Editions Braus, Heidelberug
ルイス・シュミット(1888年)
ドイツ歴史博物館(ベルリン)所蔵ポスター
『芸術! コマーシャル! 未来!』(ブラウス書店、ハイデルベルク)より
これは電気会社の宣伝カードです。通称AEG(アー・エー・ゲー)とよばれる総合電気会社で、正式名称は ALLGEMEINE ELEKTRICITÄTS-GESELLSCHAFT BERLIN。AEGは、ジーメンスやボッシュとならぶドイツの代表的な電気産業のコンツェルンでしたが、1990年代後半に倒産しました。家庭用の電化製品や電気製品では、女性のイメージを付与したコマーシャルや女性をターゲットにした広告が家庭内に浸透することが多いです。それは、この頃の広告にも確認できます。ドイツでは、19世紀中葉までは、エネルギーの代表格であった蒸気機関に力強い男性神が用いられていましたが、19世紀末には電気の普及とともに妖精や女性神が利用されるようになったといわれます。
終わりに
以上、6枚のポスト・カードをご覧いただきました。19世紀末から20世紀前半のドイツをまとめて見てくると、なにがしかの文化が良かれ悪しかれ、若くエネルギッシュに華やいだものだと感じます。ベル・エポックというには第1次大戦を含んで長期すぎますが…。1930年代にはドイツではプロパガンダの効果が出て、強い男女のマッチョ的な絵画などが好まれるようになります。その意味では、このページでご紹介した6枚のうちの数枚は華やかでいて危うい最後の華が咲いているようにも思えます。
今回、このテーマを作成するにあたって、ベルリン在住の野崎恭夫氏に手伝っていただきました。スペルミスから社会史的な話まで、幅広くご指摘・お話ししていただき、末尾ながら深く感謝します。氏のサイトberlin im bau – ベルリン工事中にも是非ご訪問下さい。
関連リンク
- Purfume history bottle 1800 – 19世紀後半から20世紀初頭にかけての香水ボトルの変化を丁寧に解説。
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