このページではフランス語と英語を参照して、モードとファッションの意味や関係を考えています。
現代からみて、モードに「高級なファッション」、ファッションに「俗なファッション」を当てはめるのは妥当でしょうか?
また、「モード系」の言葉で何か思想的にこだわりのある言葉や人を想像するでしょうか。
「モード系」はブランドを探すときによく使われる用語ですが、一時代の一ジャンルをさして、モード本来の意味とは違うものです。
さて、モードとファッションの意味や関係を結論づけることは難しいですが、皆さんと一緒に考えたいと思います。
さまざまなモード
モードと名前のついた学校、商店、企業はいろいろあります。
- I AM LA MODEはファッション・デザイナーやデベロッパーにとって初めての国際的なクラウドファンディング・システム。
- ふりそでMODEは成人式の振袖や着物のレンタル・販売を行なう店舗。
- 美モードは40代・50代向けの衣料品を販売する店舗。
- MODE™ for Luxuryはライフ・スタイルに関するニュースやレビューを行なうウェブサイト。
- モード学園は服飾、ファッション・スタイリスト、ヘア・メイク、 インテリアの専門学校。
- La Mode avec Styleはファッション・デザイナーがスタイル・コンサルティングを行なうウェブサイト。
- Mode in Belgiumはベルギーのトレンドに特化して、食べ物、デザイン、ファッション、アート&カルチャー等の情報を配信するウェブサイト。
このようにモード(Mode)は衣料品、ファッション、デザイン、スタイル等に関する言葉だということがわかります。
しかし、モードとは英語にもフランス語にも存在します。カタカナのモードは一体、どうなっているのでしょうか…。
外国語辞典、次いで服飾辞典から、モードに迫ってみましょう。
モードとファッションの意味や関係
フランス語のモード(Mode)を説明する時、しばしば用いられるのが次のような文章です。
≪Modeとは、モード、ファッション、流行の意味≫。
これは最も酷い説明です。
説明文の「モード」や「ファッション」のようにカタカナで処理していますが、「ファッション」は英語のカタカナ化なので説明になりませんし、「モード」は英語を念頭においたものかフランス語を念頭においたものか、明記されないことが普通です。
モード(Mode)には最頻値の意味があります。
最頻値は流行値とも呼ばれ「度数の最も多い階級に対する値」(最頻値とは – 統計学用語 Weblio辞書)です。そこから、主流や大勢の意味を引き出せます。
また、服飾に関わる部分では、フランス語の「Mode」は流行と様式に大別されます。
女性名詞(la Mode)なら流行・流儀・新型、男性名詞(le Mode)なら様式・方法・種類です。女性名詞の複数形では流行の婦人服・装身具・それらの製造販売の意味に広がります。
フランス語では次のように使われます。
- a la Mode ア・ラ・モード… 流行(=the Fashion)
- Magasin de Mode マガザン・ド・モード… 流行品店や婦人用帽子販売店(=Fashion store)
英語の「Mode」は様式の意味に限定され、流行の意味は「fashion」が担っています。派生語・類似語には「Model」「Mood」「Modern」「Moderate」等があります。
モードには、流行、様式、やり方、形態、風(ふう)などの訳語が充てられます。
このように、フランス語と英語でモードの意味が異なる点は、≪服装文化協会編『服装大百科事典』増補版、下巻、文化出版局、1976年≫に明記されていて、さらに詳しくフランス語の女性名詞として流行(英語の fashion)、男性名詞として様式(英語の mode)の意味を持ちます(同上書、436頁)。
しかし、次のような記述は辞書の客観性を損なっています。
英語の「mode」は…
ファッションと同義に用いられはしても、特に社交界の上流人に見られる流行や観衆をさすことが多く、この場合は意識的に一般の流行とは区別しているとみなければならい。服装文化協会編『服装大百科事典』増補版、下巻、文化出版局、1976年、436頁
結局のところ、フランス語の「mode」も英語の「mode」も、英語の fashion より上流階級に属する人々に使うものだと見なし、fashion の方は一般向けという認識が横たわっています。
モード、ファッション、ヴォーグ、スタイル : 服飾辞典から
このような差異は他の服飾辞典にも踏襲されています。
服飾辞典でモードは「ファッションと同義語」か「パリのオートクチュールのハイファッションの原型」(文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年、889頁)と簡潔に記されます。それがマスファッションの原型となると理解されます。
つまり、服飾関係のモードは、オート・クチュールを型(Model)にしたハイセンスな衣服のことで、それが大衆衣装の原型となります。
そこには高級物が大衆物を誘引するというような図式が見え隠れし、モードは、汎用物を誘導する高級物の方を指すように理解されてきました。
他方、田中千代は、このような高級対汎用の二項対立が、あくまでも「デザイナーや服飾研究家たちと間では」使い分けされていると限定づけています(田中千代『服飾事典』同文書院,1969年、861頁)。叙述を追ってみましょう。
モードには、試みという気持ちがふくまれている。モードは一つの創作であり、新鮮でなければならない。田中千代『服飾事典』同文書院,1969年、861頁
一般にモードはデザイナーがつくり、ファッション(流行)は大衆がつくるといわれる。同上書861頁
しかし、田中はやや混乱しています。
この説明の後に、
一時期の流行をこえて、きまった形として定着したものはスタイルとよばれる。同上書861頁
この例としてシャネルのスーツを挙げています。
次いで、
モードと似た語に、ヴォーグ(Vogue)がある。この語にも、試みという意味があり、モードに先んずるものとしてもっとも新しい傾向のものと考える事ができる。同上書861頁
先に紹介した文化出版局〔1979〕よりも、その10年前に出版された田中千代〔1969〕の方が遥かに多い分量をモードの説明に割いています。
このことから、田中〔1969〕で位置づけられたモード関連の用語配置が文化出版局編〔1979〕の頃にはすでに定着していたことを示しています。
田中によるモード関連の用語配置は次のようにまとめられます。
1st. Vogue > 2nd. Mode > 3rd. Fashion > 4th. Style
つまり、1960年代日本ではモードに「ハイ・ファッション」の意味合いが付加され、1970年代にはそれが根幹的な意味を持つようになりました。
そして、報道記者、バイヤー、顧客などを招待してファッション・デザイナー(衣服設計師)は自分の作品を自分の店舗で披露します。
これがコレクションやコレクション・ショーです(同上書861頁)。上記の配置でいえば、ショーは2番目のModeが完成した後に行なわれます。
1999年に出版された『ファッション辞典』(文化出版局編、219頁)では田中〔1969〕に戻って詳しく説明されています。
『新ファッションビジネス基礎用語辞典』(バンタンコミュニケーションズ編、チャネラー、2001年、787頁)では文化出版局編〔1979〕に似て「ハイ・ファッション」を重視した簡潔な説明となっています。
モードとファッション : フランス語と英語から
フランスとアメリカの2地域の衣服・服装が日本に導入されて以来、高級なフランスと低級なアメリカという区分、そしてオーダーメイド(注文生産)のフランスとレディ・メイド(既生産)のアメリカという区分が日本で確立していきました。
そこで、服飾に関わる言葉の幾つかをフランス語と英語を比べてみます。
フランス語 | 英語 |
mode | fashion |
magasin | store |
boutique | shop |
maison | house |
Nouveau | new |
Prêt à porte | Ready to wear |
Prêt à faire | ready made |
haute couture | high fashion |
beauté | beauty |
style | style |
vogue | vogue |
カタカナにすると馴染みのある言葉がたくさん出てきます。
フランス語、英語の順で並べていくと、
- モード=ファッション
- マガザン=ストア
- ブティック=ショップ
- メゾン=ハウス
- ヌーヴォー=ニュー
- プレタ・ポルテ=レディ・トゥ・ウェア
- プレタ・フェーア=レディ・メイド
- オート・クチュール=ハイ・ファッション
- ボーテ=ビューティ
- スタイル=スタイル
- ヴォーグ=ヴォーグ
モード=ファッションをはじめ、マガザン=ストアやブティック=ショップ、ヌーヴォー=ニューなど、フランス語で言えば格好良い言葉が、英語で言えば安っぽく聞こえる言葉が多いですね。
逆にいえば、日本では聞き飽きた程に深くアメリカ文化が浸透しているといえます。
それでは、日本にとって「高級おしゃれ」?の先生となったフランスは、20世紀中頃にどのような実情を抱えていたのでしょうか。そして、日本にフランスの衣料品や服飾文化はどのように導入されたのでしょうか。
仏日双方の状況を見ましょう。
フランスの実情と日本のフランス受容
戦後日本では、服飾系専門学校及び女子大学家政学部系に導入された裁縫教育はフランスのモード産業化の影響を受けた経緯があります。
フランスの繊維産業・アパレル産業の歴史
この事態には、19世紀後半から20世紀転換期にかけてリヨンを始めとするフランス絹織物業の国際的地位が低下する背景がありました。
イギリス産業革命の成果としてマクルスフィールド等の織物産地が絹織物生産を開始したためです(以上、岩本真一「一九世紀後半の日本絹織物業における機械化過程と世界史的背景―杉田定一の海外視察旅行に関連して―」大阪経済大学日本経済史研究所『経済史研究』第12号、2009年)。
そのため、フランスでは代替産業としてモード産業が選択されました。
その後、1954年にフランスの衣料・服飾品とそれに付随する高級感を世界的に普及させることを目的とした企業団体「コルベール協会」(現コルベール委員会)が設立され、積極的な既製品販売が導入されました。
このようなブランド産業化の一環として、1958年以降、ピエール・カルダン(Pierre Cardin)がしばしば来日した事例が挙げられます。
当時の日本では闇雲に歓迎されました。
しかし、トイレにもカルダンと揶揄されたライセンス戦略は、カルダンのブランド力を低下させた一面もありました。
ファッションやブランドの後進国であり糠喜びが絶えなかった日本の企業は競い合ってライセンス戦略に順守したのです。
カルダンだけでなく、その師匠だったクリスチャン・ディオールもまたライセンス戦略を用いて果敢に利益を追求しました。日本ではカネボウがライセンス利用権をディオールから得ました。
ピエール・カルダンやアンドレ・クレージュ(André Courrèges)はオート・クチュール業界の内部から既製品を推進しました。
それを受容した日本はオート・クチュールの権威を借りて、オート・クチュールでは無い製品(つまり既製品)を製造販売しはじめた訳です。
次の写真はフランスのポーにあったクレージュのアトリエです。
トルソーがあり、アイロンがあり、ミシンがあり、そして人間がいます。ごく普通の製作所です。
ピエール・カルダンの来日と仏日関係
日本の高度成長期、ピエール・カルダンは、1957年に日本デザイン文化協会から招かれて初来日し「立体裁断を日本のファッション関係者に紹介」しました。
その時、文化学園で作品ショーも開催したり(外部リンク:学園の歩み | 学校法人 文化学園)、特別技術講習会を開催したり(外部リンク:ドレメの歴史 | Doreme ドレスメーカー学院)しました。
続く1960年代に日本では百貨店がカルダンの作品を輸入しはじめ、1970年代になると日本のデザイナーたちが渡仏しはじめました。
カルダン訪中の様子は「モードと中国 : ピエール・カルダンの動向」をご参照ください。
20世紀中期のモード産業における仏日関係は、大英帝国の没落と日本帝国の上昇が交錯した20世紀初頭の日英同盟に近しい事態に思えて仕方ありません。
参考 蓮實重彦・山内昌之『20世紀との訣別―歴史を読む―』岩波書店、1999年
服飾研究者やファッション・デザイナーの誤解
20世紀後半に日本で洋裁が大流行した時、日本で先鞭を切っていた服飾研究者やファッション・デザイナー(衣服設計師)たちは、挙って高級品や一品物の流行をモード、汎用品・量産品・低級品の流行をファッションと捉えました。
この誤解は日本が服飾後進国であったことを物語り、また現在でもこの性格から抜け出られていません。
この点を物語る的確な指摘を次に紹介しましょう。
戦前から戦後にかけて、ファッションということばのうえでの誤解はが生じたのは、日本人にファッションへのあこがれを最初に教えてくれたのが、パリのオートクチュールのデザイナーたちの名前だったためもある。その誤解とはファッションとモードのつぎのような区別だ。パリの少数のデザイナーたちの、芸術作品ともいうべき創作物がモードであるのに対し、そのパテントが主としてニューヨーク7番街のアパレルメーカーに売りわたされ、アレンジされて、大衆化したかたちと価格で普及したものがファッションである、という説明だ。大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年、530・531頁
大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』のすぐれた書評はこちらをご覧ください(日本人のすがたと暮らし:明治・大正・昭和前期の「身装」)。
フランス詣 : モードとファッションに関する日本人研究者たちの欠陥
フランスのモード業界の事例が示すように、栄光もあれば没落もあります。
モードは格好良いがファッションは普通とか、ブティックは選ばれた店だがショップはどこにでもあるとか、このような意識には、フランスに対する服飾コンプレックスがにじみ出ています。
次の写真2枚を写したのはフランスの写真家エフゲニ・アジェでした。
- 窓とカメラに収まるコートやジャケットを着た5人の女性たち。Eugene Atget / Biography & Images – Atget Photography.com Videos Books & Quotes
- 窓とカメラから微笑む4人の女性たち。Eugene Atget / Biography & Images – Atget Photography.com Videos Books & Quotes
これらの写真に写し込まれたモードやファッションは、これらの写真撮影から1世紀近く経った21世紀の日本では、残念ながらごく一部を除く研究者たちに理解されてきませんでした。
一例に、モードを分析の出来ないまま教科書や啓蒙書を書き続けてきた、西洋ファッション史の代表者とされる深井晃子の著書群を見てみましょう。
『フランス・モード基本用語』(深井晃子・原由美子・石上美紀編、大修館書店、1996年)に顕著なように、服飾におけるフランスの動向は未だに研究上の規範とされています。
深井晃子は「最も頻繁に話題に上る最強の高級ブランドの多くを生んだフランス」(深井晃子編『ファッション・ブランド・ベスト101』新書館、2001年、16頁)との認識を示しています。
この引用文からは「最強」と「高級」が根拠無きままブランドに形容されることによって、説明項に転化されています。
転化のさいに着目されるのは「いわば経済学者が数値化しにくい曖昧な部分。しかしそれこそが、多くの人々をひきつける価値を生む部分」(同、15頁)です。
〈多くの人々をひきつける価値〉って一体何なのでしょうか?
このようなファッション本は繰り返し現れてきました。
また、この「曖昧な部分」は「伝統の技、吟味された材料、時代を読み込んだ美的センスなり新鮮さ、そうしたものがその商品には詰め込まれている」(同上)という隠蔽を経た上で読者の理解を要求しています。
このような神話化がブランド品と同様にモード論やブランド書籍では頻繁に行なわれてきました。
引き合いに出されている「経済学者」という比喩は「曖昧な部分」を曖昧なままに残すことで何某かの価値が存在するかのような錯覚効果を読者に与えるには都合が良いものです。
なぜフランスのブランドが高級なのかは説明をせずに、フランスのブランドは高級であるがゆえにフランスのブランドを紹介するといった姿勢がモードやブランド関係の著書群を貫いています。
いわばフランス・モードならぬ「フランス詣」(フランス・モーデ)という態度です。その意味で衣服史研究や服装史研究における文明開化は現在も継続され、留学を権威とした帰朝報告が後を絶ちません。(フランス詣については、岩本真一「衣服用語の100年─衣服史研究の諸問題と衣服産業の概念化―」に詳しく論じたので、そちらもご参照ください。
私が考えるのは、先に引用した大丸弘・高橋晴子〔2016〕の見通しの良いファッション観を元に、ファッション史研究・服装史研究を出発すべきだということです。
近代日本のモードと現代のモード
高級衣料品も大衆衣料品も立派なモードであり、お手本も使う者にとって手本である限り、それはモードです。
そして、モードは時として規律的な強度をもって私たちを縛り付け、ある時は楽にもさせてくれます。
大丸弘・高橋晴子〔2016〕で見た通り、近代的な「高級vs大衆」の前者をモードと捉えたのは、まさに洋裁導入期であった日本近代の状況を示します。
それは身分であるとか家の格であるとかに左右された閉塞的なものにも繋がりました。
「高貴なvs卑賤な」という枠組みが、そっくりそのまま「素晴らしい人格vsダメな人格」といった対抗関係にまで簡単にずれ込んだ近代を私たちは嫌悪したのではありませんか。
とはいえ、その後、私たちがその嫌悪と引き替えに得たものは何だったのでしょうか。
近代の規律は強制的で排他的なものでした。
しかし、私たちはそれを嫌悪したにも関わらず、私たち自身のなかで憧れたり惹かれたりするようなモードやモデルが消え去ったわけではありません
。常に新しいのに、直ぐに寂れるモードを私たちは数え切れないほど知っています。過去になったモードをもう一度引っぱり出してくるのもまた、モードです。
次の写真は、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画「彼女について私が知っている二、三の事柄」(フランス、1967年)の一場面です。
売春仲間の主婦同士が仕事を終えて服を着替える場面です。
赤のセーターを着た同僚が、主演を演じるマリナ・ブラディ(紺のジャケットの方)に「これを着て帰宅する」と話します。
ブラディは「どこの?」と聞きます。相手の女性は「ヴォーグよ」と答えました。
この一場面は、「高級vs大衆」「高貴なvs卑賤な」「素晴らしい人格vsダメな人格」といった二項対立を一瞬で超えます。
「ヴォーグよ」という返事には、ヴォーグ社の製品であることと、新しい製品であることとが掛け合わさっています。
そして、それを着る女性は主婦であると同時に売春婦でもある点で、上流階級に属するとはいえません。
モードではなく、ヴォーグだからでしょうか?
私はそう思いません。
赤いセーターを着た女性が帰りに着ようとしているピンクのジャケットが、もし仮にモード社製の物であっても同じ場面が映し出されたでしょう。
すでに述べたように、深井晃子編〔1996〕や深井晃子編〔2001〕は近代化以前の未開な教科書・啓蒙書に留まっています。
これらの本に比べて、ファッション系の専門学校に通う学生たちがモードを奇抜性と理解するのは遥かに面白い捉え方です。普通ではなく奇抜性にモードの意味を求めるのは、様式の意味とは逆の方向にあります。
もっとも、奇抜と普通とは切り離せないものですから、両方を合わせてモードと考えることもできますが。
最近では、モードとファッション(Mode and/or Fashion)の関係が曖昧なまま、≪高級風に見える衣装≫の意味で「Mode fashion」という言葉も使われはじめています。屁理屈をこねれば「Fashion mode」ならば一般的な衣装となるのでしょうか。
21世紀が「Mode or Fashion」を乗り越えたとしても「Mode and Fashion」いまだにカオスあります。
まとめ:モードとファッションの意味や関係から途上国日本の文化を考察
この記事の最後に、田中千代の4区分(モード、ファッション、ヴォーグ、スタイル)について、現在の私なりの位置づけをはっきりさせたいと思います。
やたらと語句を詰め込んだ雑煮のようなものになりますが…。
下の写真は先にも取り上げた「彼女について私が知っている二、三の事柄」の一場面です。
この場面にはモード、ファッション、ヴォーグ、スタイルの全てが表現され、凝縮されています。
この場面を4要素に解体できるでしょうか。
私見では、この場面のファッションとは、陳列されたドレスやガウン、そして店長・店員・顧客の合計3人が着ているスーツ、セーター、スカートなど、総じて現物です。
ヴォーグとはこの店の名前です。
スタイルとは、場面に記された全衣料品の形態や縫製などディテールを指し、また、画面中央に立っているマリナ・ブラディの服装や身体のライン、そしてツーピースの配色や上下のバランス等々です。
モードは、以上のことを総合した上で、この狭い店内に閉じ込められた店長・店員・顧客たちの思惑が全く異なりながらも、多種多様の衣料品という広い世界が展開していること自体です。
換言すると、小規模な近代小売店における夢と監禁の交錯です。
田中千代はデザイン開発の時間と衣服の階層性に基いて、ヴォーグで開発・実用化され、モードで上流階級が吟味し、ファッションとして一般人に普及し、時間を超えて定着した場合にスタイルとなる、こういう風に理解しました。
私の場合、簡潔な言葉から複雑な言葉や広くて深い言葉へと並べていきます。
スタイルは、ついスタイル・ブックを想像するのでかなり盛り込んだ印象です。
- ファッション(fashion)…現物衣服とその組み合わせ(帽子から靴まで)
- ヴォーグ(vogue)…流行するか流行しつつある現物衣服とその組み合わせ(着用状況、着用目的を過小に留め現物衣服を強調させるファッション・ショーを念頭に置いてます)
- スタイル(style)…現物衣服の輪郭(ライン、シルエット)や裾丈の長さ、ポケットやベルトなどの付属機能の有無や配置、ツーピースならば上下の接点に対する工夫。
- モード(mode)…現物衣服とそのディテール、着用状況、着用目的、着用場所、着用時期・時代を総合的に捉えた上で浮かび上がる様式。
以上、モードとファッションの関係は、ファッションが開発・実用化され、ファッションとは異なる奇抜なものがヴォーグとして開発されますが普及する必要はありません。
スタイルは4つの言葉のうち最も裁縫技術が塗り込まれた言葉ですから、モードやファッションとは別の系列です。
ファッション、ヴォーグ、スタイル、それら全てを総括しながらも一定の方向性や特徴をもつ全体像がモードとなります。
ですから、モードの世紀がどんどん膨張したサイトになっているのも仕方がないと言い訳しておきます。
最後に一言
モードはファッション・デザイナーのスケッチから作られますが、ミシンからも作られます。
デザイナーはいわば空想が現実になる着弾点を担いますが、ミシン工は現実化した空想を最終的に梱包直前の段階にまで作り上げます。
デザイナーばかりを称賛するのではなく、ミシン工の存在も決して忘れないでください。
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