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デザイナー(設計師):言葉の意味と変遷

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デザイナー(designer)とは設計、意匠、計画などの意味を持つデザイン業をする人(設計師)。ファッションの分野においては、印象や主張を衣服の形態として具現化させる役割を果たします。

以下で詳述するように、現代に進むにつれてデザイナーの意味には裁縫という衣服制作の基本の意味は抜け落ちていきました。当サイトでは「ファッション・デザイナー」「デザイナー」「衣服設計師」の言葉を用いています。
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デザイナーの発生

古来から人間は衣服を設計し裁縫してきました。19世紀後半のフランスではその工程が分化し、設計部門(デザイン部門)が肥大化し始めました。そしてデザイナーが独立職(独立色)を強め、主導的立場になっていきました。
イギリス産業革命によりフランスの絹織物業が衰退し、隣接部門の裁縫、後に衣服設計がフランスで重視されるようになったためです。
オーダー・メイドのデザイナーをフランス語ではクチュール(男性)、クチュリエ(女性)、既製服ではクレアトゥール、企業デザイナーはスチリストと呼びます。日本では全て一緒くたにデザイナーとされます。

日本での初出

日本で刊行された書籍で最も早くデザイナーという言葉を用いたのは、東京女子就職指導会編『東京女子就職案内―就職口の見附方と撰び方―』東京女子就職指導会、1936年です。
この125ページにデザイナーが「洋裁師、デザイナー」として記されています。
この説明によると、洋裁師・デザイナーは婦人子供服では1年で裁断方法を覚えることができ、一人前になるにはさらに2・3年を要するとあります(同書125頁)。裁断または裁縫の技能を要求していますが、他方で、この仕事は「移り変る仕事に注意し、デザインに独創の才がなければ成功が困難です」(同)。
≪教育年齢と程度≫の項目では、女学校卒業程度の学力の上、各地の洋裁学校で6カ月から1年間の教育で十分だが学費が高いと指摘しています。就職後の初給は20から40円程度、「独創性があればデザイナーとして780円(70円・80円)から100円位支給されます」(同書、125・126頁)。
この本の刊行された時期には設計部門(デザイン部門)独立的に捉えられ始めていたことが分かります。[デザイン>裁縫]という立場的な優位を読み取ることができます。とはいえ、裁断が仕事内容に明記されているのですから、直後に述べる現代辞書ほどデザイン部門の独立色が濃い訳でもありません。

辞書の分析

2000年代

語義が広いので、最近の辞書から見ていきましょう。チャネラー〔2001〕ではファッション・デザイナーの略伝にページを割いていますが、既に「デザイナー」という言葉を取り上げていません。デザイナーは職業よりも人物として項目を設けています。
文化出版局〔2006〕では個人デザイナーとは区分して次のように記されています。

<設計者、考案者>などの意。工業、商業、服飾、建築などの分野において、デザインを担当する専門家。すなわち独創的な発想や着想を実現するための全過程の計画、設計、組織化を行ない、斬新な意匠を創造する人をさす。(同書261頁)

まず、「工業、商業、服飾、建築などの分野」という並列表記は、服飾、建築などの芸術分野が工業や商業の営業形態と並んでいる点で間違い。
次いで、この説明ではデザイン=「全過程の計画、設計、組織化」とされている点、すなわち衣服の外見や構成を決定するのがデザイナーで、裁縫工程については切り落とされて理解されています。
「独創的な発想や着想」を実現させようとして、結果的に「斬新な意匠を創造する」と帰結されている点は同義反復。

1990年代・1980年代

杉野芳子[1993]・杉野芳子[1986]には「デザイナー」という言葉が取り上げられていません。個人デザイナーについては略伝のコーナーが設けられています。

1970年代

文化出版局〔1979〕、田中千代〔1970〕を見ましょう。
いずれも1980年代以降とと打って違って、随分と細かく述べられています。デザイン部門と裁縫部門を分化せずに叙述しているためです。
まず前者。個人デザイナーとは別にデザイナーの説明が設けられています。

一般には計画者、考案者、発案者などの意。本来、対象の有形無形にかかわらず、自己の独創的な発想や着想を実現するための全過程の計画、設計、組織化を行なう人をさすが、現代日本語では、おもに生活造形の分野のそれに限られる。また服飾でのデザイナーには包括的な意が含まれているが、およそ次の4種に分類される。①創作者。新しい発想、着想を生みだす人。フランス語のクレアトゥール(createur)にあたる。②①の発想に従い、デザインの原型をつくる人。フランス語のモデリスト(modeliste)にあたり、オート・クチュールではその主人たるファッション・デザイナーのほかに、この種のデザイナーを多数抱えている場合が多い。③①や②の創作をスケッチに描く人。フランス語のデジナトゥール(dessinateur)にあたり、①や②自身がかねている場合も多い。服飾デザイナーは、マリー・アントワネットの専属仕立て屋となったローズ・ベルタンに始まるとされる。またオート・クチュールの創始者ウォルト以来、顧客の好みや注文に従って製作する従来の仕立て屋と、自身の独創性を不可欠の特色とする服飾デザイナーの区分が明確となった。20世紀には既製服産業の伸長と流行の大衆化により、オート・クチュール・デザイナーと並んで既製服デザイナーが重要性をもちはじめた。(同書543ページ)

冒頭の説明(太字部分)は文化出版局〔2006〕に引き継がれています。
服飾デザイナーには4種があるとされるその4番目が記されていませんが、①クレアトゥール、②モデリスト、③デジナトゥールとも兼業されることが多いと述べられています。
後半部分の説明は、ローザ・ベルタンに代表される顧客の好みや注文に従って製作する従来の仕立屋と、シャルル・フレデリック・ウォルトに代表される自身の独創性を不可欠の特色とする服飾デザイナーを区別しています。
後者のデザイナーに対し、20世紀後半に既製服デザイナーが拮抗してきたと結ばれています。文化出版局〔2006〕で大幅に削除された箇所が①クレアトゥール、②モデリスト、③デジナトゥールの区別です。これらは企業単位で見ないと何ともいえないというのが実情だからでしょう。

19世紀後半のフランス

「デザイナーの発生」で既述のように、19世紀後半のフランスでは裁縫工程の内部からデザイン部門が肥大化していきました。
説明はそれを反映していて、ローザ・ベルタンは「製作」したのに対し、ウォルトは「自身の独創性を不可欠の特色とする」と述べられただけで、衣服制作の能力は問われていません。つまり文化出版局〔1979〕はデザイナーに裁縫能力の有無は関係ないと述べている訳です。

田中千代〔1970〕のデザイナー観

次いで田中千代〔1970〕ではデザイナーはどのように述べられているでしょうか。
この辞書から古くなると、個人デザイナーが職業としてのデザイナーの項目に組み込まれていますから、膨大になります。職業だけに絞って読んでみましょう。

デザインをする人。すなわち工業、商業、服飾、建築などの分野においてデザインを担当する専門家をさす。デザイナーはその職種に よって〈工業デザイナー〉〈商業デザイナー〉などのようにわけられるが、いずれもその役割はそのたずさわる造形活動に関してすべての計画、設計を行なうことで、用途、機能、経済性、加工技術などの諸条件を総合したうえで、斬新で美しい意匠を創造することにある。したがってデザイナーには、その分野に関する高度の専門的知識と専門的技術、およびすぐれた感覚が要求される。前述のようにデザイナーの種類は、その専門とするところにしたがい多方面にわかれ、この傾向は近年さらに大きくなっていくようであるが、また一方わが国では〈服飾デザイナー〉のことをたんに〈デザイナー〉とよぶ一般的傾向もみられる。服飾デザイナーの仕事は、製作する衣服のスタイルを考案し、布地を選び、色や形の具体的なイメージを絵姿にまとめることがそのおもなものであるが、さらに衣服製作の段階にあっても、裁断、仮縫い、縫製などについて、直接、間接の指導にあたるのがふつうである。デザイナーはフランス語のデシナトゥールにあたるが、服飾の本場パリにおいては、クチュリエとよばれるものが日本でいうデザイナーに相当し、デシナトゥールというよび方はほとんど用いられないようである。クチュリェは直訳すれば〈仕立屋〉の意味であるが、日本でいう仕立屋とはまったく異なった意味をもっており、自分の店をもち経営にたずさわるかたわら、デザイナーとして自らデザインし、それを製品化する権限をもつ人をいう。また自身ではデザインをせず別にデザイナーを雇い、あるいはデザイナーからデザインを買いいれて、自分の感覚にまとめて自店のオリジナルとする人もあるが、この場合もクチュリエはデザインに関するすぐれた見る目をもっていなければならないのである。パリのオート・クチュールでは、デザイナーの下にモデリストがつく場合がある。モデリストは、デザイナー(クチュリエ自身がデザイナーをかねているときはクチュリエ)のアイデアを絵姿(デッサン)にし、また自身もデザインするが、自分の名前はださない人をさす。さらにモデリストに似て、自分でデザインを行ない、それをデッサンにとってクチュリエのもとに売りこむスタイリストとよばれる人もある。モデリストが一つの店に雇われているのに対し、スタイリストはフリーの立場をとっているのが普通である。しかしデザイナー(クチュリエ)はモデリストを必要としないほどにすぐれたデザインの力をもち、あるいは裁断の技術をもっていることもまれではない。たとえばイブ・サンローランは優秀なデッサン力をもつ名スケッチャーであるし、カルダンはカッターとしての手腕をももったデザイナーである。一流のデザイナーが名をつらねているパリのオート・クチュールは世界的な信用と権威をもつものであるが、これらオート・クチュールの名前は店の屋号とでもいうべきもので、かならずしもその店のデザイナーの名前とは一致しない。デザイナーの中には自分個人の名前より、店の名前(屋号)をもって知られている人も少なくない。たとえばカルダン店はピエール・カルダンが自身でつくった店で、自らクチュリエとして、また現役のデザイナーとして活躍中であるが、ニナ・リッチ店では、二ナ・リッチはすでに引退して、現在ではジェラール・ピパールが主任デザイナーとなり、彼の仕事がニナ・リッチ店の作品ということになっている。同様にディオールといえば、現在では故クリスチャン・ディオールのことではなく、ディオール店のマルク・ボアンの仕事をさすのである。偉大なるクチュリエ、ルシアン・ルロワも、日本ではデザイナーと考えられているが、実際には彼がデザインをすることはなかったといわれる
(同書547頁)

太字にした1点目と3点目を考えましょう。
文化出版局〔1979〕はデザイナーに裁縫能力の有無は関係ないと述べたのに対し、田中千代〔1970〕はデザイナーの定義に裁縫能力を入れている点が決定的な違いです。
まず、デザイナーは「衣服製作の段階にあっても、裁断、仮縫い、縫製などについて、直接、間接の指導にあたる」と明記されています。
「イブ・サンローランは優秀なデッサン力をもつ名スケッチャーであるし、カルダンはカッターとしての手腕をももったデザイナーである」と特徴づけて、イヴ・サンローランのデッサンだけでなくピエール・カルダンの裁断にも言及している点で、デザイナーは裁縫能力を必要としていると田中千代は考えています。
田中の言うデザイナーこそ、冒頭に借用した写真を体現しているといえます。

ピエール・カルダン via pierre cardin | tomorrow started

ピエール・カルダン via pierre cardin | tomorrow started


ただし、日本の仕立屋(tailor)には少々過小評価があるようです。
2つ目の太字文章

クチュリェは直訳すれば〈仕立屋〉の意味であるが、日本でいう仕立屋とはまったく異なった意味をもっており、自分の店をもち経営にたずさわるかたわら、デザイナーとして自らデザインし、それを製品化する権限をもつ人

と記述されていますが、日本の仕立屋にも

自分の店をもち経営にたずさわるかたわら、デザイナーとして自らデザインし、それを製品化する権限をもつ人

はいます。横浜や神戸のテーラーの歴史を忘れてはなりません。
引用の後半、イタリックにした部分はデザイナーが店舗や企業を持った後に引退し、2代目のデザイナーを雇って企業名だけが残ったという当時のデザイナー企業(ブランド企業)転換期を如実に語っています。
田中千代が意識していたかは分かりませんが、このイタリック体の箇所からは、オートクチュールを日本が積極的に受容していた1960年代・1970年代にフランスのオートクチュールは自滅を始めていたことが分かります。
フランスのオートクチュールの自滅は世界的なモード産業の衰退をも意味しました。1990年代のブランド買収ラッシュが顕著です。ファッション・デザイナーやブランド間での醜い争い事も絶えず、その時代をファッションの終焉(またはモードの終焉)と見る事ができます。
そんな争い事の詳細をゴシップやマーケティングの点から活写したのがテリー・エイギンス『ファッションデザイナー:食うか食われるか(to amazon.jp)』(安原和見訳、文春文庫、2000年)です。ブランド業界が皮肉に満ちているのか著者が皮肉に満ちているのか、中々面白いのであなたの目で確かめてみて下さい!

補足

田中千代〔1970〕の増補版である田中千代〔1981〕では「デザイナー」の説明に異動はありません。
また、山口好文・今井啓子他編・文化出版局〔2000〕ではデザイン部門を重視した説明を半分、製作段階にあたり裁断、仮縫、縫製などに直接・官設の指導にあたることが多い、と明記されています(同書141頁)。新しい辞書の中では全体的な説明になっている点で高く評価できます。

1960年代

日本のファッション関係書籍で最も詳しい服装文化協会〔1969〕を最後に確認しましょう。

≪概説≫立案者、設計者、意匠家・図案家などと訳す。(中略:これまでの記述に類似する箇所は省きます)デザイナーは元来企画を立てる人 planner を意味するが、今日の日本では、もっと集約した概念に適用される。つまり、人間のさまざまな欲求にこたえる目的のために、材料を統合し統一して、新しい秩序ある形象の世界を創造する技術者で、いわば生活造形での立案家をさす。「デザイン」のことばをわが国にそのまま導入したのは1935年ごろの洋裁界であり、それまでは図案・意匠・考案などの語が用いられていた。(同書698頁)

書籍でデザイナーが初めて使われるようになったのは東京女子就職指導会編〔1936〕ですから、服装文化協会〔1969〕の調査はかなり精密だったことに驚かされます。デザインという言葉の以前には図案・意匠・考案が使われていたということです。
それの一例を下に記しましょう。

田辺又右衛門先生考案。製造販売元藤本政吉商店。via 藤本家文書「新案柔道稽古古襦袢」

田辺又右衛門先生考案。製造販売元藤本政吉商店。via 藤本家文書「新案柔道稽古古襦袢」


これは兵庫県姫路市に営業していた仕立屋の柔道着の広告です。
不遷流4代目の田辺又右衛門がデザイン(考案)し、その後、パターンから裁縫までを同仕立店が行なっていました。この資料作成年月がよく分かりませんが、おそらく1920年代・1930年代頃にはデザイン部門と製造部門が独立していたという珍しい例です。
服装文化協会〔1969〕の続きの叙述を追ってみましょう。

第2次大戦直後の洋裁ブームにのって、連続的なデザイン・コンテストが繰返されるのと並行して、「デザイナー」も一般化したが、当時、このことばは単に婦人服デザイナーのみをさしていた。やがて1951年、アメリカのデザイナー、モンド・ローイが専売公社の依頼によって「ピース」の包装デザインをし、は各のデザイン料150万円を要求したのを契機に、デザイナーの呼称は商業美術界に波及するようになった。そして工業デザインや建築部面でもデザイナーと呼ぶようになるのもその後まもなくのことであり、1950年代末から1960年代にかけて一般化したといえる。このようにわが国でデザイナーという語が広義の概念をもつようになったのはごく最近である。(中略)デザイナーのイメージは今後文明の発達につれてさらに拡大し分化していくであろう。(同書698頁)

デザイナー語の普及と衣服制作工程の分化を見通した深い説明です。
1960年代以降、既にフランスでは隆盛期を終えていた欧州の芸術運動、たとえばドイツのバウハウスやフランスのアール・デコらが1960年代の日本で流行したという流れにも繋がります。

レイモンド・ローウィがデザインした9種類のピース。

レイモンド・ローウィがデザインした9種類のピース。 via 日本に「デザイン」を根付かせた「Peace」 戦後ニッポンたばこ事情(後編) | 70seeds


なお、ここで言われている煙草ピースのエピソードを補足しておきますと、モンド・ローイは現在ではレイモンド・ローウィ Raymond Loewy と表記されます。
彼はアメリカでラッキー・ストライクもデザインしたようです。私の吸っているロング・ピースは…この後に発売されたもので、ハトかワシのマークこそ強要されていますが、私の黄色は色が浮いてますね…。
ロング・ピース long peace

ロング・ピース long peace

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いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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