リーバイスは1853年にアメリカ合衆国で生まれたジーンズ会社と商標です。
リベット、ツーホースマーク、501ジーンズなどで有名です。
私たちはいつもリーバイスといっていますが、じつは名前がややこしいです。
リーバイスは商品のシリーズ名(商標・ブランド)。会社の正式呼称はリーバイ・ストラウス・アンド・カンパニーです。
商品のリーバイスは英語表記で「Levi’s」、社名は「Levi Strauss & Co.」。
創業者はリーバイ・ストラウス(Levi Strauss)。
リーバイスの歴史1 : 原型の形成
創業者のリーバイ・ストラウスは1829年にドイツ南部・バイエルン地方のバッテンハイムに生まれました。
1853年にドイツ移民として米国サンフランシスコへ移住し雑貨屋を開きました。
デニム地とインディゴ・ブルーの導入
ゴールドラッシュに沸く当地の金鉱で働く人々の意見をもとに、キャンバス地を使った丈夫なワーク・パンツを商品化しました。
のちに素材をデニム地に変更し、色をインディゴ・ブルーに決めました。この間、ワーク・パンツの耐
久性を高めるために工夫を重ねます。
リベット補強の導入
取引先の仕立屋ヤコブ・デイビスがポケットの四隅をリベットで補強するというアイデアを1873年に思いつき、リーバイ・ストラウスに話を持ちかけます。
両者は共同で「衣料品のポケットの補強にリベットを使用する方法」に関する特許(「Improvement in fastening pocket-openings」US139121A)を取得しました。
このリベットによってジーンズはワーク・パンツとは異なる独自性を獲得しました。つまり今のジーンズの基本要素がリベットで揃いました。
1880年代、リーバイスと他者のジーンズに決定的な違いがあったのは、リベットの有無でした。
そのうえツーホース・マークを考案します。生地の頑丈さを示す2頭の馬がリーバイスのジーンズを左右に引き裂こうとするが上手くいかない絵柄です。
このマークは1900年代から世界中で商標登録されていきました。
リーバイス501の誕生
1890年になると品番統制により、ロット・ナンバー「501」が初めて商品に付きました。
ここに全てのジーンズの原点501が誕生しました。
リーバイス501はリーバイス社のオリジナル・ジーンズの代表格でジーンズの原型ともいわれます。
細身でストレート・ラインのブルー・ジーンズ、ファイブ・ポケット、前をボタン式にしたボタン・フライがポイント。
ちなみに、リーバイス502は、501と同じシルエットで、前をジッパーにしたジーンズ。
リーバイスの歴史2 : 生産性の向上とジーンズの国内展開
1902年に創業者リーバイ・ストラウスが死去。
1906年にはリーバイス本拠地のサンフランシスコに大地震が発生。同社の本社ビルが倒壊し工場も大きな被害を受けましたが迅速に復旧。
生産性の向上
1915年になるとリーバイスは衣料品業界では初めて流れ作業による生産を開始しました。
これは米国自動車メーカーのフォード社デトロイト工場のシステムを応用したもので、製造速度からみた大量生産が可能になりました。
ジーンズ対象者の拡大1 : 女性・子供
1910年代は女性運動が世界的に広まっていったことを反映し、女性用の衣料品が時には子供用衣料品とともに急速に製造販売されていきます。
アメリカで女性参政権が付与された1920年の2年前、1918年にリーバイスは初の女性向け商品として快適で働きやすい衣服「フリーダム・オール」を発売しました。
ジーンズ対象者の拡大2 : 学生と兵士
リーバイスのジーンズは1940年になるとアメリカ西海岸の大学で501ジーンズが流行しはじめました。
1945年には全米へ拡大、とくに第二次世界大戦中にブランドの名声と品質の高さがアメリカ東部の兵士たちに伝わったからです。
ハリウッド映画との連動 : ジーンズ・イメージの形成
色んな属性の人々をターゲットにリーバイス社は自社ジーンズを販売していきました。
その傍らで1930年代ハリウッド黄金時代にカウボーイのイメージとジーンズを結びつけました。
1950年代になると、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンたちジーンズの似合うヒーローが登場し、若者の自己表現アイテムのファッションとして人気を高めていきました。
ヒッピー・ベトナム反戦運動などにも使われたジーンズ
1969年にニューヨーク郊外で「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」が開催されました。
集まった50万人の若者の多くがリーバイスのジーンズを着用したといわれます。
ライフスタイル革命、ヒッピー文化、フリー・スピーチ運動、ベトナム反戦運動の中で、リーバイス・ジーンズは若者のステータス・シンボルや対抗文化の制服になりました。
リーバイスの歴史3 : ジーンズの海外展開と製造工場の苦渋
ジーンズの海外展開
他方で1960年代後半にはリーバイスのジーンズは世界的に大流行していきます。
アメリカ人だけでなく、世界中の若者の服になりました。同社はホワイトジーンズやコーデュロイなどの商品も発売しました。
1971年に株式公開し、1970年代にリーバイス社は世界最大規模のアパレル企業に拡大していきます。
1985年にアパレル業界最大のレバレッジド・バイアウト(Leveraged Buyout)が生じ、リーバイス社は再び私有企業となりました。
リーバイス・ジーンズが世界的に有名になっていくなか「501®」が登録商標として認められていきました。
1999年の「タイム誌」が「20世紀を代表するファッション」としてリーバイス501ジーンズがミニスカートとリトルブラック・ドレスを破りました。
製造工場の苦渋
この頃までのリーバイス社は米国内のアパレル工場を買収しまくっており、直後の1990年代になると突如として工場の海外移転を促進していきます。
同社に勤務する移民縫製工たちが難儀したことはミシェル・リー『ファッション中毒』が記すところです。
1980年代初期、アメリカ国内におよそ50あったリーバイ・ストラウスの自社工場は、2002年にはわずかふたつを残すのみとなっていた。ミシェル・リー『ファッション中毒―スタイルに溺れ、ブランドに操られるあなた―』和波雅子訳、日本放送出版協会、2004年、245・246頁
この間、米国内縫製工たちの健康問題を抱えていた同社は1991年に「グローバル・ソーシング&オペレーション・ガイドライン」を策定しました。
このガイドラインは世界各地の製造・加工請負業者を対象にしたもので、賃金、労働時間、労働条件、倫理、環境に関する包括的な基準を規定したTOE(業務提携条件)を含んでいます。
このサプライヤー向けの行動規範は後に他のアパレル企業が追随するモデルとなりました。
21世紀のリーバイス
グローバル化の問題や労働者の問題を抱えながらリーバイスもまた、21世紀を迎えています。
2008年に501ジーンズのフルモデル・チェンジを実施し、世界10都市における消費者リサーチを経て、グローバル・スタンダードとなるストレート・ジーンズを開発しました。
2013年にブルー・ジーンズ生誕140年を記念し、リーバイス・ブランドのアイコンである501のシルエットをアップデートして全世界で新発売しました。
グローバル・コレクションで初となる4色(レッド、グリーン、ブルー、ベージュ)を加え、全16種類が発売されました。
関連図書
関連リンク
- ABOUT – 会社情報 – リーバイス®の歴史 | Levi Strauss Japan リーバイ ストラウス ジャパン – リーバイス®(リーバイ・ストラウス ジャパン)公式企業サイト内「ABOUT – 会社情報 – リーバイス®の歴史」
- リーバイスオフィシャルオンラインストア(LEVI’S E-SHOP) – リーバイ・ストラウスジャパン社の直営通販サイト。ジーンズの原点にして頂点である「リーバイス501」を中心に、デニムジャケットやアクセサリ、ビンテージなど多彩なファッションアイテムを販売。
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