ファッションのポイント「メタリック」:松田和子
この写真とエッセイが掲載されたのは「婦人画報」1966年11月号、95頁です。
解説は中村乃武夫、モデルは松田和子、撮影は横須賀功光。
モデルの強い目と可愛いアヒル口におすすめ…。モデルの穿くおそらくはグレー調だったであろうラメに妄想が尽きません…。
ファッションのポイント「メタボリック」ではありませんのでご注意ください。
写真の批評
この写真が白黒で掲載されたことが痛いです。ラメ入りストッキングはおそらくグレー系の色でしょうが、うーん。ひとまず分かることをまとめます。
ノースリーブのニット、これは濃い色ですね。生地の艶から数割は化学繊維が入っているかと推測します。下半身は膝上のミニスカート、ストッキング、ショートブーツの3点が確認できます。
上衣はニットでしょうから判断付きかねます。下半身に注目しますと、3点とも1960年代に流行したアイテムです。ミニスカートは1960年代前半に民衆のファッションとして定着していました。ストッキングも同じ。
ではショートブーツはとなると、ミニスカートとセットにショートブーツを考えたアンドレ・クレージュの発想を思い出します。
彼はミニスカートを穿く女性に躍動感や運動性をさらに増すためにハイヒールを嫌い、底の平坦な靴を提案します。その意味で、この写真はクレージュ的だといえます。
唯一、この写真ほどメタリックを強調した点ではクレージュ以上の濃度があります。この点はもう一つの流行としてパコ・ラバンヌというデザイナーを上げることができます。
基本はクレージュ、装飾はラバンヌという、これも一つの1960年代ファッションです。
解説文の批評(リード文批評)
解説を書いた中村乃武夫はファッション・デザイナー。
同時代を生きたデザイナーらしくメタリックをファッションに融合的なものだと考えようとしていますが、やや無理があって叙述がぶれています。
メタリック素材流行の分析がほしかった
疎外感になやむ人間は、人肌に近い動物質の繊維、つぎに植物質の繊維でつくった衣服をまとって安心するのは自然である。「婦人画報」1966年11月号、95頁。
文章の始めの方にこのような習慣的なテーマをもってきています。
メタリックな「非自然的」なものを退治しようという流れになると予測されます。
情報アクセスが難しい時代ですから、松田和子の着る衣装のデザイナーは誰か、それがパリで流行った意味や日本人で憧れる人がいた理由などを、自身の経験も交えて分析してほしいところ。
Le 69 de Paco Rabanne est toujours aussi érotique – ║█ UNIK █║
金属繊維の定着性(または定着する可能性)について述べてほしかった
天然繊維で作られた衣装を身につけるのを「自然」と規定して、中村は対比的に金属素材へ次のような話に展開します。
日本人を含めて、豊富な金属類にとりかこまれた、20世紀後半の現代人は、動物質や植物質の素材が与えてくれた長い長い友情を拒絶することを、自然なものとして受けとるようになった。だから、メタリックな服装を、非現実的な間隔として受けとるのはかえって現実的でない。「婦人画報」1966年11月号、95頁
現代生活が進むにつれ天然繊維から金属素材へと自然な衣服材料は変化したと述べています。
流れは分かりますが、このエッセイが現実味を帯びないのは、新種の金属素材を強調するあまり、現代人が天然繊維を全く使わなくなったという誤解を与えてしまう点にあります。
同時に、全ての衣装の素材が金属に代替されるかのような誇張もみられます。
その点で、金属繊維の定着性(または定着する可能性)について述べてほしかったところ。
松田和子が股をAラインに開いた意味を述べてほしかった
松田和子はこの写真でまたをA字状に開いています。
ミニスカートで股をエーライン(Aライン)に開く姿は、当時の写真にはよくあること。ミニスカートは脚を強調します。立ったままそれを強調するには股を開くのが手っ取り早いですね。
たとえば次の写真。
これはピエール・カルダンが1957年秋コレクションで発表した投げ縄ラインのドレスです。
左の女性は股をひらいてドレスをフラフープのように広げています。右の女性は股を閉じていますが、少し足をくねらせることでドレスと足を強調できます。
クレージュのコレクションでは、Aライン股開きをさらによく見かけます。ロングのパンツやスカートでもAライン股開きが徹底されています。
やや冗長に書いてきました。
パリでミニスカートの女性がAラインに股を開く意味は、次のパコ・ラバンヌのプロモーション映像で答えがでます。
パリのエッフェル塔は数多くのファッション・デザイナーを魅了してきました。
黄金比、Aラインのスカート、懐が落ち着く、などの色んな理由からです。ソニア・リキエルの本をお勧めします。
解説よりもキャプションの方が適切
この写真の右に付されたキャプションは、中村の解説文よりも短いながら説得的です。
アルミ箔のように光った、しかし、しなやかな布地のスカート、ラメ入りのメッシュのストッキング、銀色仕上げの短いブーツは、モデルの松田和子さんご自慢のパリ土産です。「婦人画報」1966年11月号、95頁
この文章はコンパクトですね。
これまで見てきた解説本文は、モデルが土産で下半身3点を入手する一方で野暮ったい日本人デザイナーが解説を施すという、フランス詣やパリ詣にすらならない落差に唖然とします。
松田和子の言葉
この写真を写した後日談風に、本誌282頁(編集室コボレ話)で松田和子は次のように話しています。
スカートはギリギリまで短いし上等の切れ地だとか、カットがうまいとか、仕立がいいなんて時代は過ぎたわよネ。「婦人画報」1966年11月号、95頁
生地量が減るとテーラリング(仕立・縫製)の技術や作業が削減されると松田は指摘。これに対する竹内篤のコメントは松田和子を「風俗時評家」と評して上から目線。
ジェラルミンみたいな服が大はやりだし、この調子だと、もうじき服がなくなって、裸になるんじゃないかしら?「婦人画報」1966年11月号、95頁
これに対する竹内は「なかなか鋭い」と。
クソ真面目に文章を読めば「ジェラルミンみたいな服が大はやりだ」せば「もうじき服がなくなって、裸になる」ことはありません。
竹内の手の抜いた上から目線のコメント「なかなか鋭い」が痛々しい。
高齢者に多いんですよね、自分が鈍いのに他人へ鋭いと評価する会話。「鋭い」と言っている自分が鋭いかのように思わせる老害を私自身も気をつけないと…。
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