ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は1960年にイギリス領ジブラルタルに生まれたファッション・デザイナーです。クリスチャン・ディオールの主任デザイナーを1996年から2011年まで務めました。2014年からはマルタン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターを務めています(2017年現在)。
経歴
ジョン・ガリアーノ は服飾史や異国趣味をアバンギャルドに読み替える華麗な世紀末的作風が中心。クチュール的な技術の高さや博物館・図書館での徹底的な調査にも定評があります。
6歳でロンドンへ移った後、名門セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アートを卒業。卒業作品は大きく注目されます。当時、サウス・モルトン・ストリートのブティック「ブラウンズ」のジョーン・バーンスタイン(Joan Burstein)が飛びつき、ガリアーノと5年間の契約を結びました。
当時のヴォーグ誌のコラムは「ロマン主義と心理主義の得意な流行衣装の請負人」としてガリアーノを賞賛しました。
1980年代の活躍
卒業後のガリアーノは、現代という枠組みのなかで歴史的な影響を受けたデザインを数多く生みだし、1984年にロンドンで独立。
1985年秋冬ロンドン・コレクションでデビュー。デリケートなバイアス・カット・ガウンと、オーダーメイド・スーツは、いち早く人気を博しました。この「恐るべき子供」と評されたロンドン時代を経て、1990年以降はパリで活躍。
ディオールへ
パリでガリアーノはモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)で活躍し、その後、1995年に、引退したジバンシーの後継者として主任デザイナーに任命され、1996年からはクリスチャン・ディオールの主任デザイナーに。
翌1997年の1月20日、クリスチャン・ディオールの50周年記念で、ガリアーノは、ディオールのためにショーを披露しました。以降、ディオールの主任デザイナーとして活動し、プレタ・ポルテ部門の売上げも驚異的に伸ばしたといわれています。
1980年代のモード界
1980年代にモード界は身体の輪郭をかたどる方向へと向かっていました。胸衣はその流れで注目されたものの一つですが、なかでもブラシエールをはじめとして、ボレル、ジレ、ビュスチェ、デバルドゥールなどのアイテムやディテールが数多く表現されました。
1987年春夏のウィメンズ・コレクションでジョン・ガリアーノがみせたのはフランス語で婦人の胸衣や子供用の袖付き胸衣をさすブラジエールでした(ブラジエールは英語のブラジャーの語源となりましたが、形態は異なります)。
1980年代後半以降の作品
ガリアーノの1980年代は実に挑戦的だったといわれます。イノセントなイメージのあるエンパイア・シルエットのドレスや、エコリエとよばれる子供っぽい服装、さらには、テイラード・スーツに派生した括弧付きのタイユールなどは、ガリアーノの特徴を如実に示しています。
1980年代後半以降の作品をざっと追ってみますと、1986年春夏では、水に濡れたオフェーリア風の少女ルック、1986~1987年秋冬にイノセント・ルックなど、この時期は、ラファエル前派の影響がみられます。
1988年になるとガリアーノはハイウェストのシルエットをつくるためにボレロを使用し、1989~1990年秋冬では、ポワレからヒントを得たようなコレクションを披露しました。1989年秋冬ロンドンではチュニック、また1980年代後半にはデコルテに薄いスカーフ(フィシュー)をかけた作品も出しています。
1990年代になると、まず、1990年春夏パリ・コレクションでブリジッド・バルドーを意識したドレス、1993年春夏パリ・コレクションでは、底の厚い木製のサボサンダルなどを発表しました。
http://www.bykoket.com/news/fashion/happy-birthday-john-galliano-celebrating-years
このように、ジョン・ガリアーノは、ミスマッチ、前衛的、歴史主義といったキーワードによく引っかかる作品を提出してきました。退廃的・挑戦的な発表方法もまた、常に話題となってきました。
イギリスの「Designer of the year」には、1987年、1994年、1995年、1997年に受賞。このうち、1997年の受賞はアレクサンダー・マックィーン(ジバンシーの後継者)と賞を分かち合っています。
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