イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュ : Inès de la Fressange
イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュ : フランスのヴァール県ガッサンに生まれた元ファッション・モデルです。
シャネルの専属モデルへ
1983年にシャネルのデザイナーに就任したカール・ラガーフェルドから熱いラブコールを受け、専属モデルとして契約しました。以後、スーパー・モデル誕生前夜の1980年代後半を中心に、百花繚乱のモデル事情のなかでトップ・モデルとして君臨しました。
シャネルの専属モデルに起用したラガーフェルドにはオート・クチュール全盛期の常識、ハウスマヌカンのシステムを蘇生する意図がありました。が、専属モデルに起用することと小売店で客にスタイリングの助言や商品説明をする女性販売員を雇用することとは別物です。ラガーフェルドはそれを錯誤しました。
とにかく獅子座の女ココ・ガブリエル・シャネルと同じ星座のもとに生まれたフレサンジュ。コレクションの舞台をはじめ、広告ビジュアルからイベントまで、カール・ラガーフェルドが望むシャネル再興というストーリーに彼女は欠かせないヒロインとなりました。
ラガーフェルドとの亀裂
しかし1989年にフレサンジュはラガーフェルドの反対を押し切って「マリアンヌ賞」を受賞しました。この賞は19世紀のフランス王政を覆した庶民の象徴マリアンヌを記念した賞であり、またフランス革命200年を記念した賞なので、シャネルというブランドに貴族的なイメージを強調したいラガーフェルドにあっては受賞してほしくない賞だったわけです。
これを受け同1989年7月にラガーフェルドはオート・クチュールのコレクションでイネスの出演をキャンセル。両者の仲は険悪になり、フレサンジュはシャネルとの専属契約を破棄されました。ところが翌1990年1月にシャネルのモデルとなったのはハウスマヌカンという気品とは次元を異にした元祖スーパー・モデル、クラウディア・シファーでした。
独立
その後にフレサンジュは自分のブランドを設立。刺繍やカッティングを駆使したニット使いの服飾デザインをはじめ、香水や眼鏡のデザインにも力を入れました。
2002年春夏にはモスキーノのキャットウォークを務めました。このときフレサンジュはラガーフェルドへの嫌みなジョークを加え、かつて彼が言った「モスキーノはスタイルではない。コピーだ」(Moschino n’est pas un style, c’est un pastiche !)の言葉が彼女の着ていたティー・シャツにプリントされていました。
関連リンク
- Ines de la Fressange Paris – Le style de la Parisienne : イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュの公式サイト。イーショップ(ファッション、レザーグッズ、シューズ、アクセサリーズ、バザー、アウトレット)、イネスについて、店舗紹介、ルックバック。
- Inès de la Fressange, a Frenchwoman’s Parisienne – The New York Times : 53歳時のフレサンジュへのインタビュー記事。自身がパリジェンヌとなった自負をビジネスとの関わりから語られています。(2011年4月20日の記事)
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