ボニー・キャシン:ファッション・ビジネスの母

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ボニー・キャシン(Bonnie Cashin)は米国カリフォルニア州に生まれたファッション・デザイナーです。彼女は2つの巨大な資産によって知られています。1つにファッション・ビジネスの母親、2つに有り余る才能です。

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キャリアの始まり

彼女のキャリアは1930年代のニューヨークで始まりました。ロキシー劇場でデザイナーとして就職。同時に「アート・ステューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(外部リンク : The Art Students League of New York)」に通学しました。
よりお金を稼ぐために、彼女はメーカー向けにスポーツ服をいくつかデザインし、その後もショー・ビジネスと衣料品貿易をこなし、時間をとても上手に分割し続けました。

自作の服を着るボニー・キャシン(1961年)。彼女の典型的な作品で、黒白ツイードのケープにレザーのトリム。 via The Forgotten Designer Behind Some of Fashion’s Biggest Trends – The New York Times

フォックス社への就職

1943年末に彼女はカリフォルニアの20世紀フォックス・スタジオで働くように誘われました。美しく優雅なハリウッド女優の一人ジーン・ティアニー(Gene Tierney)主演の「ローラ殺人事件(Laura)」(1944年)が幸運にも当初の課題の1つでした。

「ローラ殺人事件」(1944年)のジーン・ティアニーとヴィンセント・プライス。 via GENE TIERNEY IN A HAT – LAURA | BEGUILING HOLLYWOOD


この映画でジーン・ティアニー用に作った衣装は、アメリカの1940年代映画によく見られる飾り過ぎの衣装とは対照的でした。当時の映画は戦時統制ゆえにとかくシンプルになっていますが、振り返ってみるとやや馬鹿げたように見えます。
しかしボニー・キャシンはこの罠に陥りませんでした。残念なことに「ローラ殺人事件」で使われた服は残っていませんが。
またフォックス社は当時、ベティ・グレイブル(Betty Grable)やジューン・ヘイヴァー(June Haver)らと共に豪華なミュージカルを作っていました。ロキシー劇場でキャシンが積んだ経験は非常に有利でした。

独立

1950年にキャシンはニューヨークに戻り、1953年に自身のデザイン・スタジオをオープンしました。

評価

彼女はアメリカで最もオリジナリティが高く成功したドレス・デザイナーの1人で、ファッション評論家から無数の賞や称賛を得ています。

関連リンク

http://www.theartstudentsleague.org/

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この記事を書いた人

いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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