本書はフランスの小説家・外交官であったポール・モランの遺作で、1947年にスイスでガブリエル・シャネルと会話した聞き語りをモラン自身がまとめたものです。
直接会話した内容がたくさん入れられているのでシャネルの生き方や考え方がかなり明確に出ています。そのため、この著書はモラン死後のシャネルの最晩年が記されていないにも関わらず、後の伝記類でたびたび参照されるようになりました。
著者ポール・モランについて
著者は第2次世界大戦中にヴィシー政府の大使としてブカレストやベルに赴任しました。
戦後、彼の著作物を再評価する機運が生まれアカデミー・フランセーズは著者を会員に入れようとしましたが、戦前の仕事に対してドゴール政権は反対し、1970年まで入会を許可されませんでした。
このような経緯からモランは対独協力者としてスイス在住を余儀なくされました。この経歴がシャネルと共感を得た所以です。
本書は「ヴォーグ」フランス版に連載されたものを一冊にまとめたものかと思われますが、本書の「はじめに」や「訳者あとがき」も、アマゾン・フランスやアマゾン・アメリカも調べてみましたが、確認できませんでした。
満載のエピソード
著者はシャネルの生き証人です。戦前へのノスタルジーと格調高い文章によるシャネルへの賛辞。これが本書を書いた著者の思いです。
本書には色々なエピソードが満載されています。エチエンヌ・バルサン、アーサー・カペルたちと出会い交流を深めたこと、ココという呼称がカフェ・コンセール時代の男性顧客たちに付けられたこと、第2次世界大戦中に恋した男性がドイツの情報機関に務めるハンス・クンター・ホンだったため戦後にスイス亡命を余儀なくされたこと、等々。これらのエピソードを詳しく知ることができます。
ファッション的にはクリスチャン・ディオールとの差別化、アンドレ・クレージュたちのミニドレスやミニスカートに対する抵抗についてもシャネルの思いに言及されています。特に1920年代にシャネルは自作のシャネル・スーツの丈を膝下にまで上げ、1960年代のミニの流行に際しても膝頭を見せず、膝下丈に固執した点は情熱的に語られています。
シャネルの人生
彼女が孤児院で育ったことはよく知られています。その辛さから彼女の言動が嘘と真実がごちゃ混ぜになっていたことが本書で指摘されています。しかし本書を読めば多くの真実が分かってくるので、そのごちゃ混ぜがすっきりとしてきます。恋愛、芸術家たちとの交流、ファッション観、これらが実に細かく実に真実味を帯びて本書では語られています。
目次
- まえがき(ポール・モラン)
- プロローグーひとりぼっち
- 少女ココ、コンピエーニュからポーへ、パリ到着、カンボン通り、イタリア旅行、ミシア、パリへもどって、ディアギレフ、ド・シュヴィネ夫人、ピカソ、フォラン、フォーブル・サントノレ、1922年の頃、シンプル・ライフ、クーチュリエの詩的発想について、富について、社会的な事業、ストラヴィンスキー、社交界の人たち、女たち,このあわれなるもの、モードについて、ある最後の王、エピローグーさようならなんていわない
- あとがきにかえてーシャネルの一生(秦早穂子)
- ガブリエル・シャネル作品と年譜
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ポール・モラン「獅子座の女シャネル」秦早穂子訳 文化出版局 1977
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