トラヴィス・バントン(Travis Banton)は、アメリカのテキサス州ウェーコに生まれたファッション・デザイナー(衣服設計師)です。彼はパラマウント映画社の名優たちの衣服設計師として、1930年代の栄華と洗練のスタジオ全盛期を謳歌しました。
パラマウント社での在職期間は1924年から1938年まで。在職中に、ケイ・フランシス(Kay Francis)、キャロル・ロンバード(Carole Lombard)、メエ・ウェスト(Mae West)、そしてマレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich)のような大スターたちへ盛大に衣装を提供しました。
ドレスだけでなくスーツのデザインにも長けていました。一例に、トラヴィス・バントンとキャロル・ロンバードのツーショット写真を挙げておきます。
経歴
トラヴィス・バントンはコロンビア大学卒業後に、New York School of Fine and Applied Art (現パーソンズ美術大学/Parsons School of Design) の The Art Students League of New York ( to Official Page) でも教育を受けました。
Art Students League の学生だった時、トラヴィス・バントンは女優のノーマ・タルマッジ(Norma Talmadge)と出会いました。彼女は映画「ポッピー」(Poppy)制作のためにニューヨークに滞在していた時のことです。彼女はトラヴィス・バントンに依頼し、この映画用の衣装をデザインしてもらいたかったのですが、キャンセルされました。
当時彼は、女優アリス・ジョイス(Alice Joyce)の映画を除いて一切の仕事を受け付けず、アリス用の映画衣装のデザインを行なったのは7年後のことでした。
ニューヨークでの仕事
トラヴィス・バントンがニューヨークで最初に仕事をした職場はマダム・フランセス(Madame Frances)の仕立店 (dressmaker) です。1916年から19年まで働きました。そこではメアリー・ピックフォード(Mary Pickford)が彼のデザイン類の一つをウェディング・ドレスに選び、ダグラス・フェアバンクス (Douglas Fairbanks) と結婚しました。
ハリウッドへの進出 : パラマウント映画社へ
1924年にパラマウント映画社のウェスト・コースト・スタジオ (West Coast Studio) から依頼があり、トラヴィス・バントンはハリウッドへ行きました。
彼のキャリアはリートライス・ジョイ(Leatrice Joy)主演の映画「パリから来たドレスメーカー」(The Dressmaker from Paris)に始まります。彼以外には考えられなかったと言われています。
この映画では、数十セットもの衣類・雑貨が俳優やファッション・ショーに必要とされ、映画ファン向けの雑誌に大量の宣伝が行なわれました。
映画スタジオの刊行物は「彼ら新米デザイナーはパリ出身だが、悩む必要は彼らにない。ここ数年以内に、トラヴィス・バントンのデザインは、どんなフランス人のドレス・デザイナーよりも膨大な支持者を集める」と断言しました。
1920年代にデザインした相手女優たち
トラヴィス・バントンが贅沢な映画衣装を1920年代に創作した相手女優には次のような人物たちがいました。
- フローレンス・ビダー(Florence Vidor)
- ビーブ・ダニエルズ(Bebe Daniels)
- ポーラ・ネグリ(Pola Negri)
- クララ・ボウ(Clara Bow)
- イブリン・ブレント(Evelyn Brent)
1930年代に迎えたバントンの全盛期
1930年代こそがトラヴィス・バントンにとってピークを迎えた時期です。
この頃、パラマウント映画社は世界中で最も美しく上品な女優たちと契約中でした。
たとえば
- キャロル・ロンバード
- マレーネ・ディートリヒ
- ケイ・フランシス
- リルヤン・タッシュマン(Lilyan Tashman)
- クローデット・コルベール(Claudette Colbert)
- シルヴィア・シドニー(Sylvia Sidney)
- ゲイル・パトリック(Gail Patrick)
- ヘレン・ヴィンソン(Helen Vinson)
たちです。
トラヴィス・バントンと仕事をともにした女優たちの多くは、出演映画用に彼がデザインした服を他の映画会社のスタジオにも貸し出すよう、お願いしました。
他社へも協力
たとえば、キャロル・ロンバードの衣装は「襤褸と宝石」(My Man Godfrey)、「Love Before Breakfast」 (以上、ユニヴァーサル社)、「無責任時代」(Nothing Sacred/デヴィッド・セルズニック・プロダクション社)、「Fools for Scandals」(ワーナー社)などの映画の衣装は全てトラヴィス・バントンがデザインしたものです。
パラマウント映画社を退社後
パラマウント映画社で仕事をした14年間の後、トラヴィス・バントンは自分の店舗を開店するために退社しました。しかし直ぐに映画界へ戻り、1939年から41年までフォックス社で働き、ユニヴァーサル・スタジオ社では1945年から48年まで主任スタイリストとして勤めました。1958年、永眠。
エピソード:メエ・ウェストとの間接的接点
1932年、メエ・ウェストが映画「Night after Night」と「わたしは別よ」(She Done Him Wrong)のためにハリウッドへやって来ました。彼女は戯曲「Diamond Lil」(この戯曲のリメイク映画が「わたしは別よ」)で舞台成功をおさめた脚本家です。
トラヴィス・バントンの伯父であるジョアブ・バントン(Joab Banton)はニューヨーク州検察官をしており、メイ・ウェストの演劇「セックス」の出演者たちを起訴していました。若者を腐敗させる作品だという理由です。その間、この演劇は2年間も上演されたといわれています。
それはさておき、ウェスト女史はこの事件全体を見事に忘れていて「わたしは別よ」用の新しいスタイルをいくつか考案しました。また、ドロシー・ツリー(Dorothy Tree)は独自のブロードウェイ作品を仕上げ、自分のデザインをリリアン・ラッセル(Lillian Russell)やジョン・ジェイコブ・アスター夫人(Mrs John Jacob Astor)に縫製してもらっていました。
演劇女優がパラマウント映画に招聘されて映画女優となった時代でもあります。
関連リンク
- Travis Banton – IMDb : トラヴィス・バントンに関する情報。略歴と Costume designer (衣装設計) に関わった映画一覧。
- Silver Screen Modes by Christian Esquevin – A blog about classic movie costume design and fashion : DAVID CHIERICHETTI AUGUST 13, 1948 -NOVEMBER 28, 2016 Hollywood costume historian, author, archivist, and lecturer.
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