トム・フォード(Tom Ford)は1962年にアメリカのテキサス州で生まれたファッション・デザイナー。グッチを破綻の淵から救い、世界3位のブランドに育て上げた元モデルです。
経歴
パーソンズ・スクール・オブ・デザインでインテリアの建築学を研究。卒業した1986年以降、ペリー・エリス、キャシー・ハードウィックで働きました。
グッチへ
1990年にグッチのレディースウェアのデザインスタッフに参加。女性向け既製服のチーフ・デザイナー、および、デザイン・ディレクターとして、当時グッチのクリエイティブ・ディレクターであったドーン・メローにより採用されました。
クリエイティブ・ディレクターに就任
1994年にグッチがバーレーン拠点の投資会社によって買収されたとき、トム・フォードは同ブランドのクリエイティブ・ディレクターに就任しました。
このとき彼のパートナーでジャーナリストのリチャード・バックリーと一緒にミラノに赴任しました。
フォードはグッチの威信を取り戻すために、ホルストン・スタイルのベルベット、細身のサテンのシャツなどのファッションの導入に帆走。また1995年にフランス人作家・編集者カリーヌ・ロワトフェルド(Carine Roitfeld)と写真家マリオ・テスティーノ(Mario Testino)を広告キャンペーンに勧誘して成功。
ほとんど破産だったグッチ家の財産は1999年までに43億ドルの評価を得るまで復活しました。グッチの最高経営責任者(CEO)であるドメニコ・デ・ソーレとともに、グッチを破たんの淵から救い世界3位のブランドに育て上げた立役者といわれる所以です。
2000年代の躍進
トム・フォードの躍進は止まらず、2000年にニューヨークで初めて催されたVH1放送のヴォーグ・ファッション賞で、最高国際デザイナーに輝きました。
グッチがイヴ・サンローランの企業支配権を買収し、サンローランは2002年1月にオートクチュール部門から引退しました。2001年春夏コレクション以降はサン・ローランのプレタポルテ部門であるイヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュのクリエイティブ・ディレクターも兼任します。
この時点でトム・フォードはグッチとサンローランの2つのブランドを並立させることとなりました。
2つのブランドを操るトム・フォードは両ブランドに対する彼自身のイメージを「ヴォーグ」イギリス版の2001年2月号で次のように述べました。
歴史的にみて、グッチはソフィア・ローレンであり、イヴ・サンローランはカトリーヌ・ドヌーブだ。そして、彼女たちは、ともにセクシーだよ。
また、両者のブランドの違いについては、いささか単純な事例を引いて次のように述べました。
グッチはサンローランより、少しだけ分かりやすいんだ。イヴ・サンローランという女性は、セックスする前に自分のボーイフレンドを強く抱きしめ熱い蜜を垂らすが、グッチという女性は既にセックスを始めているんだよ。
グッチを退任
2003年秋に報道されたトム・フォード退任の知らせは、モード界で一番のネタとなりました。
完全な自主性を求めていたデ・ソーレCEOとトム・フォードの「ドリーム・チーム」は契約の更新をめぐって、親会社の仏国ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)と折り合いがつきませんでした。PPRがグッチを完全子会社化すると想定した2004年4月30日付で、二人はともに退陣しました。
既にPPR側はトム・フォードの後任に2人のデザイナーを雇う方針を明らかにしました。フォードがグッチとPPR傘下のイヴサンローラン双方のデザインを希望していたことが、この対立ポイントでした。
作風
トム・フォードの作品は黒を基調に、ロマンチック、セクシー、力強さ、リラックスさなどを特徴にします。また、馬具にヒントを得た、緑・赤・緑のライン(ウェビング・ライン)を用いたり、CGを表面に鞣したジャガードのバッグ、全て手づくりのバンブー・バッグなど、多数のヒット商品を生み出しています。
ファンたち
フォードのスタイルを称賛するセレブたちには、ビアンカ・ジャガー、マドンナ、トルーディ・スタイラーらがいます。世界で最も厳しい仕事はファッション・モデルだと述べる彼はキャロライン・リベイロの大ファンです。
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