アイリーン・レンツ(Irene Lentz)は、アメリカのサウスダコタ州ブルックリンに生まれのファッション・デザイナーです(1901-1962)。1942年から1949年までMGM社で主任デザイナーとして働きました。ギルバート・エイドリアンの後任です。
通称、アイリーンと呼ばれる場合はアイリーン・シャラフではなく、レンツのことが多いです。
経歴
アイリーン・レンツはモンタナの高校を卒業後、南カリフォルニア大学に進学しました。大学卒業後の1927年、20代半ばにロサンゼルスに出て、ウォルフ・スクール・オブ・デザイン Wolf School of Design へ通い、音楽を専攻しました。
彼女は婚約者のディッキー・ジョーンズ (Dickie Jones) に説得され、衣装店を開店します。その店は繁盛し、彼女の最初の映画スターの顧客、ルペ・ヴェレツ (Lupe Velez) を知りました。
彼は他の俳優たちを説得して、アイリーン・レンツの顧客にしていきました。彼女は夫を亡くして店を閉じ、ヨーロッパへ渡り、ほとんどの時間をパリで過ごしました。
映画界への進出
1933年、アイリーン・レンツは復帰後に2回目の店舗を開店し、大きなステップを上がります。有名な会社、バロックス・ウィルシャー社 Bullocks Wilshire の重役が、アイリーン・レンツの店のディスプレイに魅了され、彼女に連絡を取り、同社の Costume Design Salon の主任の座を与えました。
それを機会に、アイリーン・レンツはスターたちが映画で着用する衣服をデザインし始めます。パラマウント映画、RKO、コロンビア、ユナイテッド・アーティスツなど、あらゆる映画会社がアイリーン・レンツの作品群をスターたちに使いました。
独立
1942年、Louis B Mayer はアイリーン・レンツを MGM の契約下におき、彼女はそこで1949年まで主任デザイナーとして働きました。ギルバート・エイドリアンの後任です。
アイリーン・レンツは、MGMを去るまでの2年間、Mayer に量販型ファッション・デザイナーとして事業をするのを認めるように説得し続けました。とても珍しいことですが映画会社はそれを許諾し、アイリーン・レンツはロイヤルティーを会社と分割するようになりました。
また、これも珍しいことですが、MGMの跡継ぎ社長が彼女のベンチャー企業を承諾しました。アイリーン社はアメリカ中の25の企業から融資を受けました。こうして、25社は自社の地域内でアイリーン・レンツのスタイルを排他的に独占できるようになりました。
映画界への復帰
アイリーン・レンツはMGMを去った後、スターたちに非映画用衣装(私用衣装)を設計していましたが、映画界へ復帰しました。
そして、Midnight Lace 用にドリス・デイへたくさんの衣装を提供し、「Gathering of Eagles」でメアリー・ピーチが使う衣装類をデザインしました。 アイリーン・レンツ自身は The Great Morgan という映画に出演しました。
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