団地妻ジュリエットの日常からみる映像と言語の関係

批判と理論
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このページでは、ジャン・リュック・ゴダール監督のフランス映画「彼女について私が知っている二、三の事柄」から映像と言語との関係を考えています。

この映画は、1960年代パリの都市再開発と、分断されて枯れ切った住民の生活とを、ジュリエット(マリナ・ヴラディ演)という団地妻日常から描いたものです。

モードとファッション : 途上国日本のファッション文化」で述べたように、日本のファッション文化は欧米に対する途上文化として展開してきました。

それでは、欧米は文化も経済も軽やかにスムーズに進めてきたのでしょうか。映像と言語がぶつかり合う時代、それが20世紀半ばの欧米地域に生じていたとしたら?

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団地妻ジュリエットの日常からみる映像と言語の関係

マリナ・ヴラディが演じたジュリエットという団地妻の日常から映像と言語の関係を考えましょう。

この映画評を以前から書きたくて、先日から断続的に見ていますが、結局、《映像と言語が干渉する》(または衝突する・擦れ違う)時代に、映像(写真も)を説明したい気持ちは高まるのですが、ゴダールいわく、それは非常に難しい。

映像と言語が干渉し合う

2 ou 3 choses que je sais d’elle ©1967 – ARGOS FILMS – ANOUCHKA FILMS – LES FILMS DU CAROSEE – PARC FILM.

撮影場所というのは二つの意味をもちます。

映画が撮影された場所と、このキャプチャ写真が撮影された場所。

といっても、映画撮影がパリで行われたことも、私が自宅でキャプチャ写真を撮ったことも、この写真からは分かりません。

映像とは不思議です。

写真も不思議

それでは写真はどうでしょうか?

私は写真も映像に準じて不思議なものだと思います。

次の写真は「ハーパース・バザー」日本版(2005年11月号、通算62号)の表紙裏に掲載されたサルバドール・フェラガモという靴の会社の広告です。

サルバドール・フェラガモ via 「ハーパース・バザー」日本版(2005年11月号、通算62号、表紙裏)。

私はこの写真を一瞬みて、網タイツを強調しているのか、ハイヒールのサンダルを強調しているのか、あるいはミニスカートを強調しているのかが分かりませんでした。

「Salvadore Ferragamo」の文字が入ってきて、初めてハイヒール・シューズの広告だと分かりました。

この広告写真はグレー調に写されています。

グレー色の背景に黒色の網タイツを重ねる一方で靴には白色の背景を重ねて、その上これだけに金色風に着色しているのですから、写真だけでもハイヒールを強調していることは分かりそうなものですが、つい脚に目が行くもので…(苦笑)。

そして、決め手は「Salvadore Ferragamo」という会社名ないしロゴ名です。

もし、この写真が全て白黒調またはグレー調で、社名やロゴ・マークがなかった場合、この写真は焦点を失い、訴えようとする場所がスカート、網タイツ、タイツ越しの脚、靴、あるいは背景が平等な関係になります。

写真もハイヒールの金色やフェラガモのロゴ・マークのような「解釈を強要する誘導」が必要となるわけです。

パリとはどこか?

一応、格好を付けて、行ったことのないパリを撮影場所に指定しておきます。

文字資料によると、映画撮影はパリで確かに行われたらしいので。ここまで厳密にすると、多くの文系実証科学(歴史や経済史ほか)が一挙に陳腐になりますね。

映像とは不思議、しかし丁寧に接すると1枚の写真ですら、とてつもなく私たちを賢くしてくれます。
面白いことに、撮影場所は2つあるのに1つしか登録できません。

<パリ 大阪府大東市>を入力すると、そのままFaceBookの場所検索が探そうとします。他のインターネット・サービスでも、多分必ず1か所しか登録できません。

批判と理論
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この記事を書いた人

いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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