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エマニュエル・ウンガロ:色彩の魔術師・プリントの詩人

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エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro)は、1933年にフランスのエクサンプロバンスに生まれたファッション・デザイナー。

エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro)

エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro) via Emanuel Ungaro – Fashion365

学校を卒業したのち、テーラーだった父のもとで、22歳まで紳士服の裁断・縫製・仮縫いの技術を学んびました。1958年から63年までバレンシアガの店(マドリード店も含む)で働き、翌64年の1年間、アンドレ・クレージュの片腕となって働きました。
彼の名で初めてコレクションを開いたのは1965年夏で、オートクチュール界の輝ける新人の座を獲得。翌66年にはパリのマクマボン通りにオートクチュールのメゾンを開店。68年、モンテーニュ通りに移転。


当初の作風は「未来感覚派」や「若いテロリスト」と呼ばれ、構成、色彩、裁断技術などにわたり、メタリックな素材や斬新な配色で、クレージュの影響を感じさせます。

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色彩の魔術師へ

後に、テキスタイル・デザイナー、ソニア・ナップとの出会いによって美しいプリント配色を駆使した独自の作風を打ち出すようになります。
特にプリントどうしの重ね着、多彩な配色の組み合わせに関するテクニックは、プリントのレイヤード・ルックとして発表され「色彩の魔術師」「プリントの詩人」などの異名を取りました。

左のモデルはハイディ・ウィーデック、右のモデルはスー・ムレイ。ウンガロ制作のチェック柄パラレル・コート。「グラマー」誌、1968年3月。

左のモデルはハイディ・ウィーデック、右のモデルはスー・ムレイ。ウンガロ制作のチェック柄パラレル・コート。「グラマー」誌、1968年3月。Model on left is Heide Wiedeck (Heidi Wiedeck) and on right is Sue Murray, Wearing Checked Ungaro Parallele Coats, Glamour March 1968 © William Connors via Glamour March 1968 | © Pleasurephoto

1977年の春からはプリントの配色はより鮮明になり、レイヤード・ルックは単純化され、無地や幅広い縁取りでボリュームを補います。
次第に無地物の占めるスペースが増え、1978年秋には大半がプリントなしの単色の組み合わせへと変化しました。ニューヨークの専門店、ボンウィット・テーラーで発表したコレクションはヤング・マーケットに広く浸透しました。

FORSTER WILLI ST-GALL

FORSTER WILLI ST-GALL via Vogue France, No.534, 1973, Mars, p71. ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)撮影。

プレタポルテ部門はウンガロ・パラレル(Ungaro Parallèle)。設立時期は不詳ですが、1973年にはありました。
ウンガロはプレタポルテに次のような信念を持っていました。長くなりますが紹介します。

≪より少ないことはより多いこと≫。クチュールは夢で、プレタポルテは現実です。詩的要素を残しておく必要はありますが、機械に任せることも重要です。私は障害物が好きです。それを取り除こうと思うからです。各々の女性は自分の歌の雰囲気に気づかなければなりません。彼女がそれに気づいた時、その中に自分自身を見出します。内面と外見とが結ばれてハーモニーが生まれます。それこそスタイルなのです。洋服を忘れなければなりません。何かを着ているという印象は消さなければなりません。問題はモードに従うことではありません。どんなモードかといえば、自分自身の流れに従うことが大切です。欠点の方に歩いていくべきです。私は水のようなモードを望んでいます。念入りに作られたテクニックのように、背後にある者が何であるかを知らぬような、私は全てが流されることを、色彩は移り変わり感情も変わり、美しさも変わることを望みます。ロング・ベストや流れるようなプリーツ・スカート、パンタロン、シャツ・ドレス、ローブ。裏地の付いていないマンと、自然の繊細な布など、全てが身体の上で流れるような感じのもの、イヴニングには夢を広げることができるし、全体に種々様々であることを楽しめるのです。単純さから出発して、各々の個性をつけ加えていく手法、メイクアップやヘアスタイルの選択、昼間身に付けたものとは違う宝石を身につけたりすること、等々。さらに、私は自分に自信をもてない女性が好きです。スタイルも全然よくないし、綺麗でも無いのではないかと心配している。そういう時の女性が好きなのです。それは素晴らしいことです。あたかも、私が表面をすっと撫でて、何かを見つけだすことができるようですから。
via Vogue France, No.535, 1973, Avril, p76.

Vogue France から

ジャクリーン・ビセット、夏、夕方、素肌

ジャクリーン・ビセット、夏、夕方、素肌 via Vogue France, No.536, 1973, Mai, p100. エマニュエル・ウンガロ衣装、トニー・ケント(Tony Kent)撮影、ジャクリーン・ビセット被写体。

このモデルはジャクリーン・ビセット(Jacqueline Bisset)。
雑誌刊行頃に公開されたフランソワ・トリュフォー監督『アメリカの夜』(La Nuit américaine)に出演した女優でもあります。上下の写真はいずれもバックレスのワイド・スカートでシンプルな作りです。


上の写真のロングスカートはソニア・ナップ(Sonia Knapp)のデザインした生地を使っています。白黒のタイル状に花柄を描いています。ブレスレットもウンガロ製です。
下の写真は白地に黒のドット柄をまぶしたシルク製のサン・ネックラインのキャミソールとロングスカートの組み合わせです。

ジャクリーン・ビセット、夏、夕方、素肌

ジャクリーン・ビセット、夏、夕方、素肌 via Vogue France, No.536, 1973, Mai, p101. エマニュエル・ウンガロ衣装、トニー・ケント(Tony Kent)撮影、ジャクリーン・ビセット被写体。

パリ・オートクチュール最高の栄誉あるデ・ドール賞をはじめ、ドイツ・クレフェルドのルエット・ドール賞、メキシコ最優秀デザイナー賞、アメリカのニーマン・マーカス賞など、受賞は数多いです。
1996年「サルヴァトーレ・フェラガモ」がエマニュエル・ウンガロを買収。
当時、戦略的なパートナーを探していたウンガロは、醜い買収劇に興じていたモエヘネシー・ルイヴィトンやグッチではなくフェラガモを選びました。未だファミリー・メゾンの一つとしてファッション・ブランドへの成功を維持していた点を高く評価したからです。

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いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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