ダナ・キャラン
ダナ・キャラン Donna Karan は1948年に米国ニューヨークのロングアイランドに生まれたファッション・デザイナーです。
母のヘレン・フィスクはファッション・モデル、父のガブリエル・フィスクはファッション系のビジネスマン。最近はイギリスのモデル、カーラ・デルヴィーニュがダナ・キャランのランウェイをにぎわせています。
経歴
1968年から2年間、パーソンズ・デザイン学校(パーソンズ・スクール・オブ・デザイン)に通学。2年目(1969年)の夏休みにアン・クライン社(アン・クライン・アンド・カンパニー)でバイトをして、次年度からの本採用を獲得しました。卒業後に同社へ入社。
1971年にアン・クライン社でアソシエイト・デザイナーに任命されました。1974年にアン・クラインが亡くなり、ダナはパーソンズ時代からの友人ルイ・デル・オリオ(Louis Dell’Olio)を呼んで一緒に同社のデザイナーを続けました。1977年にアメリカのファッション界で最高の栄誉とされるコティ賞を受賞。1981年にも受賞。
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独立
1985年に独立し「ダナ・キャラン・ニューヨーク」社を設立。アクセサリーからジュエリーまで網羅したトータルコーディネートの秋コレクションを開催。
社名はダナ・キャランで終わらせたくなかったダナはシューズ企業の「Maud Frizon」の木箱に「Maud Frizon Paris-Newyork」と書かれていることに気づいて、これを参考にしました。カリフォルニアがないじゃないかとか色々言われたそうですが、《ニューヨークの匂いを消費者は求めている》と信じ、本社拠点、国際性、橋といった展望をニューヨークという言葉に託します。
https://us.maudfrizon.com/
同1985年、CFDA(アメリカ・ファッション・デザイナーズ・アソシエイション)からデザイナー・オブ・イヤーに選ばれました。
1987年、ヘインズ・ホージリー社と提携し、ダナ・キャラン・ストッキングを販売。ストッキングの宣伝キャンペーンがCFDA賞を受賞しました。
1988年にセカンドラインの「DKNY」(ディーケイエヌワイ)を始めました。ニューヨークのスピリットとエネルギーから影響を受けたブランドです。ダナ・キャラン・アイウェアを販売。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/81204
1990年、CFDAのデザイナー・オブ・イヤーに再選。エイズ・チャリティーへの寄付700万ドルを募った「セブンス・オン・セール」を計画し、会長の一人を務めるようになりました。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/147203
引退
2015年7月にダナ・キャランは引退を発表。しばらく後任デザイナーを立てず「ダナ キャラン ニューヨーク」のコレクション発表も休止。
同年4月に「DKNY」はブランド「パブリック・スクール」を設立したダオ=イー・チャオ(Dao-Yi Chow)とマックスウェル・オスボーン(Maxwell Osborne)をクリエイティブ・ディレクターに指名しています。そのためセカンドラインの「DKNY」に統合する可能性が出てきました。
https://www.dailymail.co.uk/femail/article-2250663/Cara-Delevingne-inch-Manhattan-girl-takes-New-York-streets-DKNY–fellow-Victorias-Secret-Angel-Karlie-Kloss-poses-Donna-Karan-line.html
ダナ・キャランの作風
ダナ・キャランの作品はシンプルで、洗練された大人の女性向け服作りが特徴です。ファッション先進国の米国でも1970年代頃までは女性の衣装は限られていたとダナは語っています。
百貨店が大嫌いでフリーマーケットは大好きというダナ・キャラン。スポーツウェアとシティウェアを橋渡しする発想がなかったとも。彼女がその橋渡しをするために注目した素材がカシミアでした。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/81200
関連リンク
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