アレキサンダー・マックイーンは1969年3月17日にイギリスのロンドン市内イースト・エンドに生まれたファッション・デザイナーです(~2010年2月11日/Alexander Mcqueen)。
就職
マックイーンは16歳で学校を卒業。
ロンドンの有名なサビル・ロウ(Savile Row)でテーラーのアンダーソン・アンド・シェパード(Anderson & Sheppard)、後にはギーブス・アンド・ホークス(Gieves&Hawkes)の弟子として働きました。
サビル・ロウでマックイーンは衣服の構成を学びパターン・カッティングの技術を磨きました。その後イタリアのロメオ・ジリに勤務しますが直ぐに退職。
ファッション・デザインの修士号取得
マックイーンはイギリスへ戻りロンドン芸術大学付属のカレッジ「セントラル・セント・マーチンズ」(CENTRAL SAINT MARTINS)のパターン・カッター教師として就職。
そこでは同カレッジ修士課程のヘッド教師ボビー・ヒルソン(Bobby Hillson)から強く勧められ同課程に入学します。ヒルソンがマックイーンの作品群を高く評価したためです。入学後にマックイーンファッション・デザインの修士号取得に向けて勉強しました。
1992年の卒業時、著名なスタイリストのイザベラ・ブロー(Isabella Blow)から学位を授与され、彼の作品は最優秀に選ばれました。
当時イザベラ・ブローは「ヴォーグ」のエディターもしていて、卒業時のマックイーンの卒業コレクションを全て高額の5,000ポンドで買い取りました。またブローはマックイーンの独立時にミドル・ネームのアレキサンダーを使うよう提案しました。
創業前後
彼は自分のレーベルを作るためにハード・ワークを続け、劇的なショーや印象的なデザインで有名になっていきます。同時にイザベラ・ブローはマックイーンのために師匠として様々な助力をしました。マックイーンはホクストンへ移住しました。
ホクストンにはキプロス出身のファッション・デザイナーのフセイン・チャラヤンやアイルランド出身のバッグ・デザイナーのポーリック・スウィーニーら新進気鋭のデザイナーたちが住んでいました。
1993年にマックイーン社を設立し初コレクション。
マックイーンは2回目のコレクション「マックイーンの残酷劇場」を発表した頃、イギリス人スタイリストのケイティ・イングランドと出会い、直ぐにマックイーンの右腕として活躍します。
3回目のコレクションをキングス・クロスで開催し、マックイーンはケイティ・イングランドにクリエイティヴ・ディレクターとなるよう依頼しました。その後二人はともに仕事を続け、彼の仕事に大きな影響を与えました。
ジバンシー在籍時の活躍
1996年にマックイーンはロンドン・コレクションに初参加し、それを受けて「ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。続けざまにジバンシーのチーフ・デザイナーに就任しました。ジョン・ガリアーノの後継です。
ジバンシー在籍時にマックイーンは、1996年から1997年にかけてデヴィッド・ボウイのツアー用にワードローブをデザインし、1997年のアルバム「アースリング」のカバー用にユニオン・ジャックのコートをデザインしました。
アイスランドの歌手ビョークはアルバム「ホモジェニック」のカバー用衣装にマックイーンの作品を選びました。マックイーンは同アルバム収録曲「アラーム・コール」のミュージック・ビデオを監督し、後に「異教徒の詩」のビデオに象徴的なトップレスのトレスを寄稿しました。
またマックイーンはフランス出身のダンサーのシルヴィ・ギエムとカナダ出身の振付家ラッセル・マリファントとコラボレーションし、ロベール・ルパージュ監督の演劇「女形」(Eonnagata)のワードローブをデザインしました。
以上、アレキサンダー・マックイーンは音楽・映画・演劇方面でも衣装デザインに引っ張りだこでしたが、2000年末にジバンシー社と対立します。
ジバンシーとの決裂と退社後の動向
ジバンシーとの決裂
2000年12月にマックイーン社株の51%をグッチ・グループに売却したのをきっかけにジバンシー社と決裂します。
ジバンシー社は同グループに対立的なエル・ヴイ・エム・エイチ・グループ(LVMH、MOET HENNESSY LOUIS VUITTON モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン・グループ)に属していたからです。マックイーンは2001年10月の契約期限完了をもってジバンシーを辞めました。
ジバンシー退社後の動向
ジバンシーを辞めたマックイーンは自分のレーベルに戻り、2011年に人生を終えるまで画期的なコレクションを作り続けました。
マックイーンは自社ブランドの拡大計画をたて、ロンドン、ミラノ、ニューヨークでの店舗開店、香水ブランド「キングダム」そして最近の「マイ・クイーン」の立ち上げを進めました。
2005年にマックイーンはシューズ・ブランド「プーマ」とのコラボレーションを行ない、トレーナーの特別ラインを作りました。
2006年に彼はセカンド・ラインに「マックキュー」(McQ)を加え、若い男女向けの低価格ラインを開始しました。
2007年末までにロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ミラノ、ラスベガスでブティックを開店しました。
その頃マックイーンは化粧品会社MACのプロモーションにファッション・デザイナーとして初参加しました。
2007年10月11日に行なわれたコレクションでは1963年公開のエリザベス・テイラー主演映画「クレオパトラ」からインスピレーションを受け、モデルたちは強烈な青色・緑色・鴨の羽色(ティール色)の目に強い黒色のライナーを引いてエジプト風をアピールしました。
マックイーンは、ロンドンのメイフェアにある自宅で、40歳で2010年に自殺しました。
有名人顧客(セレブリティ・パトロン)
有名人顧客にニコール・キッドマン、ペネロペ・クルス(Penélope Cruz)、サラ・ジェシカ・パーカー、リアーナ(Rihanna)、モニカ・ブラウン。
ジェイ・ポップスの歌手では安室奈美恵、浜崎あゆみ、倖田來未らがイベント時によくアレクサンダー・マックイーンの服を着ます。 ビョーク、浜崎あゆみ、レディ・ガガはミュージック・ビデオにアレクサンダー・マックイーンの作品を部分的に取り入れることが多くあります。
作風
サビル・ロウに勤務した経験からテーラードに評価が高いです。
ファンタジックで未来的な作品やサプライズ確約の発表方法は若いアーティストにも人気。
マックイーン自身もストリート・カルチャーや若者文化から影響を受けた作風を出してきました。
関連リンク
- Alexander McQueen | アレキサンダー・マックイーン公式サイト : ウィメンズウェア、メンズウェア、ギフト、「マックイーンの世界」の4コーナー。 「マックイーンの世界」では広告キャンペーン、ファッション・ショー、ストーリー、スペシャル・プロジェクトなどの記事が随時更新されています。
- V&A · Alexander McQueen : ヴィクトリア・アンド・アルヴァート・ミュージアム(VAM)内のアレキサンダー・マックイーン展示室。オンラインのみと記されているので、ウェブで常設展となったか…。次のように説明されています。
このユニークなコレクションにはアレクサンダー・マックイーンの有名な作品群から傑出したメンズ・ウェア、レディース・ウェア、ジュエリー、アクセサリーが揃っていて、V&A(VAM)とマックイーンとの永続的な関係を反映させました。(中略)博物館のコレクションには様々なオブジェクト(織物から木彫りまで)があり、これらはデザイナーのインスピレーションの源となってきました。マックイーンはかつて言いました、「V&Aのコレクションは期待を裏切らず私を魅了し刺激してくれた」。via V&A · Alexander McQueen
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