「ブルマーの社会史」は、日本で1910年代から体育の授業で着用が義務付けられ、90年代に廃れていったブルマーの近現代史をまとめたものです。
20世紀初頭から流行り始めた女子教育と運動を関係づけて述べています。
概要
19世紀的な袴が世紀転換期にはくくり袴となり、1910年代にブルマーが定着しはじめました。この時期のブルマーは、旧習からの解放という意味合いをもっていましたが、90年代には女子学生を抑圧するアイテムだと認識されていきます。それがブルマーのジレンマという風に記されていて面白い所です。
日本では1910年代に、ブルマー用ミシン、ニッカース用ミシンといったアメリカ製ミシンが輸入されはじめます。それを受けて、コンビネーション、ブルーマー、ニッカーボッカーズ等の洋装肌着・下着の製造販売が、1920年代に本格化しました。
私の著書『ミシンと衣服の経済史』で、その背景を確認するために運動のあり方や女子教育の在り方の点で参照しました。
著者の一人、高橋一郎によりますと、1920年代は女子体育が従来の健康目的から競技目的へ移行した時期で、その移行とともにブルマー型・ショートパンツ型が定着したようです。
といっても、118頁の写真7「福岡県立嘉穂高女の運動服」のパンツは膝丈ですし、123頁の図1「簡単な婦人ブルームの作り方」では股下に少々の丈が残されていることから、この頃のブルマーは、戦後に流行ったショートパンツ風ブルマーだけでなく、ニッカー・ボッカーズも含まれていたのでしょう。
ブルマーの正当性
1990年代まで学校で使われていたようです。日本が経済的にどれほど繁栄しようとも、女子や女性への侮辱的文化というのは野蛮なまま、つい最近まで続いていたのですね。
ま、1990年代には男の視線を挫かせる役割をブルマーは果たしました。男性社会へのささやかな反抗だったのかもしれません。
高橋一郎・萩原美代子・谷口雅子・掛水通子・角田聡美著『ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし―』青弓社、2005年
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