『モードの帝国』は男女を形(表象)から捉えて、エロス変容の光景を語ります。
20世紀末に訪れた高度消費社会のもとで、男性のモードが黄昏に向かったのと逆に、女性のモードは誘惑を増し、男女間の性の在り方(エロス)を変容させました。
一世を風靡したファッション雑誌群から選りすぐりの写真が散りばめられ、本文には著者の文学・社会学・歴史学にまたがる幅広い教養が惜しみなくエッセイ風に軽やかに述べられています。
1992年に筑摩書房から刊行され、2006年にちくま学芸文庫に入りました。
本書が依拠する問題関心は、ファッション雑誌が溢れかえるようなイメージ資本主義の時代にも関わらず、モードという現象を多少とも見据えた性愛論かつイメージ論が無さ過ぎる点にあります。
そういう書物を読みたいという思いが高まり、結局、著者自身が書いてしまった、そんなモード論を性愛論で語るというエッセイ風著作です。
モードの帝国:男性モードは黄昏に女性モードは誘惑に
『モードの帝国』目次
本書の目次は以下の通りです。
- 空虚のエロス
- ファッション/誘惑ゲーム
- 惑乱しに、とモードは言う
- 小物の物語り
- シャネル皆殺しの天使
- ドレスの涙
5に著者が惚れこむガブリエル・シャネルが取り上げられています。
文庫版では落とされたらしいのですが、1992年のハード・カバー版では4「小物の物語り」として香水、ブーケ、ボタン、手袋、マーガリンが取り上げられています。
女性衣装を取り巻く小物にも注視した著者らしいきめ細かい視点です。
内容
まず、1「 空虚のエロス」では衣装から醸し出す幻想的なイメージが空虚のエロスとして捉えられています。このイメージが無秩序的なものとしてモードとなるという風に理解されているようです。
ロラン・バルトの言葉、《無秩序にかえられるためにある秩序》を著者は引いています。
つぎに、2「ファッション/誘惑ゲーム」では衣服と身体の関係が述べられています。
衣服とプロポーション、その関係から出てくる嘘と幻想、除隊の中でも昔から妖しさを秘めてきた脚と靴、ハイヒールから平坦なブーツへ注目を移行させたアンドレ・クレージュのミニスカート。
このような女性の艶めかしさは《モードとポルノのあやうい関係》が新たに論じられます。そこでは、一つに、1981年に『ヴォーグ』誌に掲載されたヘルムート・ニュートン「裸体の女と着衣の女」が取り上げられています。
そもそもモードには無秩序的な性格があるのですから、先入観や偏見を打破するシュルレアリスムへとエッセイは回顧します(3「惑乱しに、とモードは言う」)。
《ファッションはシュールレアル》とみなして、ダリ「身体のための夜の服、昼の服」(1936年)は「衣服でもあり身体でもあり窓でもあるドレス」と著者は説明します。
そう言われてみると、ダリのモード論はかなり深かったのかと感じました。
著者によると、この作品の《だまし絵》は、衣服・身体、着衣・脱衣、見せる・隠す、外面・内面などの二項対立を無効化し、ファッションという行為の逆説を暴きます。
「見ないで、でも見て」という二重性が一つになって訴えてくるという訳です。
ファッションの二項対立無視の姿勢は、4「小物の物語り」で、先述の著者らしいきめ細かい視点が発揮されます。
パリ貴族たちの不潔さを20世紀になって克服することとなった香水、女は花というイメージで衣装アイテムに欠かせないブーケ、ファスナー(ジッパー)よりも懸け外しに時間のかかる所にエロスを醸し出すボタン、元は19世紀末のダンディズム男性の衣装アイテムだったのに女性のお洒落アイテムとなった手袋、自然と反自然がごちゃ混ぜにさせるマーガリン(バターでは無い)が取り上げられています。
2「ファッション/誘惑ゲーム」で取り上げられた靴、ストッキングを「小物の物語」の有名アイテム版として読み直すこともできます。
さて、5「シャネル皆殺しの天使」は著者の力が入る所でしょう。19世紀までの過剰な女性装飾を否定し、簡潔さを前面に出したシャネルの革新性が述べられています。
コルセットからの解放はシャネルの前座としてポール・ポワレの話が挿入され、ポワレの功績は簡潔さよりも平坦さを提起した点に求められます。
面白いのは、シャネルの作る衣装の簡潔さをポワレが貧乏主義と酷評した点(168頁)、ダンディズム男性の衣装を女性に転用したシャネルは簡潔さを提示したために、かえってお洒落を難しくしてしまったという指摘(172頁)です。
シャネルもまたモード(ファッション)の逆説性からは自由になれなかったということでしょうか。それにしても、従来は下着に特化して用いられていたジャージーを上着に使った点は、改めて感服します。
ダンディズムというシャネルの特徴は黒を強調する衣装でもありました。
それに対し、白色とは何か。これを述べたのが最終章の6「ドレスの涙」です。
前章の最後に、シャネルのシックで簡潔な衣装に逆行するような流れとして、イヴ・サンローランの1990年頃の黒のドレス・白のドレスを取り上げています。
それを受けて、黒の派手さに対する白の空虚さがマラルメの詩などとともに描かれるわけです。
以上、参照したのはハードカバー版(1992年刊行)ですが、文庫版は、山田登世子『モードの帝国』筑摩書房、2006年として刊行されています。
文庫版では「タイタニックからシャネルまで」が追加されています。下のリンクには文庫版を貼っておきます。
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