本書はフランス文化史の山田登世子が20世紀前半の女性史上で大きな役割を果たした与謝野晶子とガブリエル・シャネルを論じた本です。
それぞれの得意とした文学とデザイン、そして彼女たちの人生から戦前の社会史を紐解いています。分量的には晶子の方が1.5倍ほど。その意味ではフランス研究者の日本文学史として新鮮でもありました。
ほとんどが晶子とシャネル。
でも終章では与謝野とガブリエルとして読めます。
女性の生き方をあえて2極化してぶつけ直すという著者の手腕が発揮した本だと思います。
出版経緯
著者は既にシャネルを「モードの帝国」で扱っていることもあり、また出版社の勁草書房から晶子について書いてほしいと頼まれたこともあって、シャネルと同時代人として晶子を論じようと決めたそうです(あとがきから)。
活躍しはじめた時期は晶子の方が1900年頃(「明星」創刊や「みだれ髪」など)、シャネルの帽子屋開店は1909年頃ですので約10年開いていますが、20世紀初頭に活躍した女性の代表的な存在として位置づけられています。
1900年パリの意味
あえて両者の時間差を埋めるとすれば、1900年。
そして場所はパリ。
≪パリのみだれ髪≫であるアール・ヌーヴォー万博が開催された年です。そして、晶子の夫・鉄幹はパリへ遊学しに行きましたし、晶子自身もパリへ行きました。
鉄幹の手紙には「モードのことが詳しい」(同書195頁)と記されています。
しかし、その文面には衣装ではなくひたすら帽子の流行と帽子屋の繁盛ぶりが記されている点が20世紀初頭の帽子流行とシャネルの帽子店開店に直接つながってくる面白い所。このような繋ぎ方は著者ならではの技能。
そして著者は
アールヌーヴォーから断髪、女学生スタイル、ダンス、自転車ブーム、そしてギャルソンヌの登場にいたるまで、20年にわたる日仏の文化交流は私を夢中にさせた(同書)
と記しています。この20年間に著者は夢中になったとのことで、第1章「恋する女」と第3章「はたらく女」を結ぶ第2章「100年 パリ―東京」の原稿が膨れ上がっていったようです。
このように晶子とシャネルは1900年代から20年代にいたるパリをキ―エリアに本書で結ばれるわけですが、著者の冷静な観察は二人の生き方の違いをも逆に照らし出します。
シャルル・ルー「シャネル ザ・ファッション」に記された有名な言葉≪シャネルは無からの創造者であった≫を手がかりに与謝野晶子には鉄幹無くして作品無しという特徴を加えます。
与謝野とガブリエル
21世紀初頭において、女性の生き方は色んなパターンが許されてきました。
晶子(というか与謝野)のような恋もして結婚もして働いたというパターンに近い方は多いでしょうが、ガブリエルのように恋をしたが結婚をせずに働いたという女性も増えてきています。
両者の確執はまだ存在しますが、その垣根が取り払われていけば女性はもっと楽に生きられると感じました。
といっても、ガブリエル程の孤独を味わうのはなかなか耐えれるものでは無いでしょうが。
目次
- 序章 二つの名
- 第1章 恋する女(1『明星』というメディア、2花咲く乙女たち─シニフィアンの戯れ、3相聞のスタイル─愛の遊戯形式、4古語の衣裳─「君」と「我」、5恋する身体─性の解放、6わが愛欲は限り無し─貞操論争、7シャネルのフェミニスト批評)
- 第2章 1900年パリ─東京(1パリのみだれ髪─アール・ヌーヴォー万博、2自転車にのる少女─20世紀のヒロイン、3鉄幹の巴里─遊学の記、4晶子の巴里─最後のベルエポック)
- 第3章 はたらく女(1モード革命─性からの解放、2パリは踊る─「明星舞踏会」まで、3シャネルの様式─黒の越境、4「はたらく女」シャネル─勤労のスーツ、5「はたらく女」晶子─<母性保護論争>を糾す)
- 終章 赤と黒、注、引用・参照文献、あとがき。
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