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スタイリストの台頭:1960年代のモード界

1960年代ファッション
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このページではスタイリストの台頭から1960年代のモード界をまとめています。

1962年からモード界は今までの階級社会に世代差が加わって流れができてきます。

この背景のもと、20歳以下の若年層を対象にする20歳以下の若年層によるスタイリストが台頭してきました。

スタイリストは英語のカタカナ表記です。フランス語のカタカナ表記では「スチリスト」といわれます。

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スタイリストの台頭

世代差を強く出した最初のデザイナーの一人はジェラール・ピパールです。

彼はマイメ・アルノダンの紹介で、いくつか由緒あるプレタポルテ・メーカーにスタイリストとして入り、その製品を次々に若返らせました。

1959年から少しずつ仕事を積み上げてきたダニエル・エシュテルは1961年に自分の会社を設立します。

その後、ヤングカジュアルの分野で一目置かれる存在になりました。

とくにダッフルコートやフロックコートの新しいスタイル、スータン(カトリック教会の神父が着る長い、ゆったりしたコート)に似た長いマキシコートなどを制作しました。

キャシャレルの婦人用シャツブラウス

1960年まで紳士用シャツ・メーカーを営んでいたキャシャレルは1961年に婦人服メーカーに転向します。

マドラス地のシャツブラウスを打ちだして、ブラウスのイメージを一新しました。

これを機に、それまでの婦人用ブラウスはデザインが凝りすぎて女性の間ではあまり着られなくなりました。

10代の女子はセーターを着ていました。

しかし、キャシャレルが打ちだしたシャツブラウスは男性用シャツに近い、非常にシンプルなデザインだったのです。

そのカラフルな色合いとニットに勝る着心地の良さで大流行しました。

キャシャレルの名前は普通名詞になり、世界中でシャツブラウスをキャシャレルというようになりました。

ユニセックス・モードの再生

女性のブラウスが男性用シャツに近づいたのは1962年以降。

ユニセックス・モードに向けて大きな一歩を踏み出したことを物語っています。

貫頭衣やチュニック以来のことです。

エマニュエル・カーンはユニセックス・モードの一つ、パンツとブルゾンの組み合わせを洗練させていきました。

彼女はパンツの共布をブルゾンの衿とカフスにあしらい、上下をトータル・コーディネートしたアンサンブルを考えました。

フェイク・ファーに改めて注目したのもエマニュエル・カーンでした。

1963年からクリスチャーヌ・バイイというデザイナーが、大きく広がったケープのようなマントとロング・ジャケットのスタイルで有名になります。

ウィンタースポーツ用に素晴らしい作品を次々に生み出していきました。プリント模様の、透明や不透明なビニールのレインコートも発表しました。

パリ・オートクチュール業界の変動

1960年代初頭、オートクチュール業界でも新しい風が吹きます。

決意を強くスタイルの創造にピエール・カルダンというデザイナーが登場しました。

彼は1962年にプレタポルテを打ち出しました。

プレタポルテを軌道に乗せたのはイヴ・サンローランです。

彼ら二人はモード業界の新しい方向性を切り開きました。

つまり、オートクチュール部門で上流階級を顧客層に取り込んできたうえに、新たにプレタポルテ部門で中産階級を顧客として迎えていきます。

大切なのは、オートクチュールであろうとプレタポルテであろうと、発想となるスタイルは同一だったことです。

ピエール・カルダンは、プレタポルテ部門でポンチョ風コート、シャジューブル、ホールター・ネックのデコルテなどを発表しました。

シャジューブルとは司祭がミサのときに着る袖なしの長方形衣服から派生し、これに似たドレスをも意味します。

映画女優のジャンヌ・モローはフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』をはじめ、スクリーンのなかでたびたびカルダンの服を着て登場しました。

そして彼のモードを広めることに大きく貢献しました。

イヴ・サンローランはバリ・クチュール組合の運営するクチュール学校を卒業後、1953年にディオール店に入社。

1957年にディオールが他界したあと、チーフ・デザイナーになりましたが、1962年に独立して、シンプルな服をより若々しく、洗練させることに取り組んでいきました。

とくにブレザー、トレンチコート、カーディガン、プリーツスカートといったトラディショナルなアイテムに新しい生命を与えた功績は大きいです。

非常に都会的な感性の持主アンドレ・クレージュは1961年にメゾンを開店しました。

クレージュは土木技師の勉強を修めた後に、故郷のフランス、ポーにある仕立屋のために紳士服のモデルを趣味で作っていました。

まもなくオートクチュールに転向し、25歳のとときにバレンシアガの店舗に入りました。

クレージュは独立するまで、この類い稀な衣服の建築家(つまりバレンシアガ)のもとで完壁な服づくりのテクニックを習得しました。

1965年に発表されたクレージュの構築的なモードは、バレンシアガでの仕事内容が開花したものでした。

イギリス・モードの転換

1960年代初期にスタイルのモードはイギリスにも登場しました。

まず、ジンジャー・グループ社に所属する若いトルコ人スタッフたちによって具体化されました。

イギリスの伝統的な既製服にパンチを食らわせていきます。

ジンジャー・グループ社のスタイリストとして最もよく知られていたのがマリー・クワントです。

彼女は1955年にキングス・ロードに「バザール」というブティックを開店し、この店の服をデザインすることから出発します。

そして1963年にジンジャー・グループ社を設立。

既製服のスタイリストとして幅広く活動していきます。

ルパート・ニセット・グリーンは1962年、ドーヴァー・ストリートに紳士服店「ラ・メゾン・ブラッド」を設立しました。

紳士服に若々しい現代的なスタイルを与えたことで、たちまち評判をになりました。

この成功によって、1966年にグリーンはバーリントン・ガーデンに店を移転しました。

マリオン・フォールとサリー・タフィンはウォルサムストウ美術学校と王立美術学校で学んだ後、1962年に「フォール・アンド・タフィン」という既製服会社を設立しました。

まとめと展望

次の写真は教え子が写してくれたヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の展示物です。

写真撮影は許可されています。

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)@Mar.18.2018

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)@Mar.18.2018

向かって右が「フォール・アンド・タフィンのスカート・スーツ」、右から2点目が「アンドレ・クレージュのミニドレス」です。

パリとロンドンのファッション・デザイナーの動向をみると違いがよくわかります。

クレージュのようにパリで開店した若いデザイナーたちはスタイルを創造する方向に向かっていました。

これに対し、フォール・アンド・タフィンのようにイギリスで活躍したデザイナーたちは、まだ伝統的な服づくりをめざしていました。

ジーン・ミュアは既製服のスタイリストとして出発しました。

まずイエーガーで働いていましたが、後にジェーン・アンド・ジェーンという自分のブランドを手掛けるようになります。

1966年にバートン・ストリートに自分の名で会社を設立しました。

この時期のデザイナーには珍しく時代を超えた正統派の作品を生みだし、高い評価を受けていきます。

ジーン・ミュアは、リバティ社(Liberty)とイエーガー社(Jaeger)を経て、1962年から5年間ジェーン・アンド・ジェーン社(Jane and Jane)でデザイナーとして働きました。

出典 https://mode21.com/jean-muir/

この系列に属するデザイナーにはミュアのほかに、1964年にデビューしたシア・ポーター、1962年に活動を開始したマダム・アスチエらがいます。

また、バレンシアガの門下生の一人で、帽子デザイナーから出発したアドルフォ・サルディーニャは1962年にニューヨークで「アドルフォ」の名前でメゾンを開店しました。

以上、これらのデザイナーたちが生みだしたモードは、純粋に仕立といえる最後の作品だったといわれます。

モードの歴史はスタイルの時代に大きく移行しようとしていました。

参考文献

この記事は次の図書を参照しました。

残念なのはスタイリストの定義が甘く、389頁の説明ではデザイナーとの区別がわからない点です。

このページではスタイリストとファッション・デザイナーを区別せずに述べました。

  • ブリュノ・デュ・ロゼル『20世紀モード史』西村愛子訳、平凡社、1995年、389頁・392頁~395頁

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