寵姫ズムルン:テーオ・マテイコ
寵姫ズムルン:テーオ・マテイコ:これは1996年にドイツのベルリンへ行った時、Deutsches Historisches Museum(ドイツ歴史博物館)で買った絵葉書です。元は、ポーラ・ネグリ (Pola Negri) 主演の映画『寵姫ズムルン』(監督:エルンスト・ルビッチ)の宣伝ポスターです。
この絵はテーオ・マテイコ (Theo Matejko) の作品です。ポーラ・ネグリ主演の『寵姫ズムルン』(エルンスト・ルビッチ<ルービッチュ>監督、1920年)の映画の絵です。配給元のウーファ社(Universum-Film-AG)は1917年創立のドイツの映画会社。この映画のファッション・デザイナー(衣装担当, 衣服設計師, Costumes, Costume Designer)はアリ・フーベルト (Ali Hubert)。
テーオ・マテイコ(1893-1946)はオーストリアのウィーン生まれの版画家・画家で、第一次世界大戦中に従軍記者を務めました。1921年から1946年にかけて、たくさんの雑誌でスポーツ・イベントの図面や写真を公開しました。その傍らで、都市や戦争の無残さを記す絵も多く書いています。
私の印象に深く残るのは、粉々になったブランデンブルク門を背景に、気絶した母親と取り残された子供の絵です( » Matejko Deutsches Pressemuseum 外部リンク)。ちなみに、二人目の妻エリカ・フィードラー(Erika Fiedler)はUFAの映画女優でした。
女優ポーラ・ネグリはポーランド出身の女優です。ドイツから米国に渡り、無声映画時代に性格派の名優と言われましたが、後のトーキー映画時代に活動を休止しました。ヴィリ・フォルスト監督『マヅルカ』(1935年)で難役をこなして、久々に名演技を見せたそうです。
トーキー映画の勢いに呑まれたサイレント映画時代の俳優たちはほとんど消え、返り咲いたものはきわめて稀れでした。ポーラ・ネグリはその難事を見事にやってのけました。
とはいえ、ベティ・グレイブル (Betty Grable) やコンスタンス・ベネット (Constance Bennett) のような雑誌風の逞しい女優たちが注目されるとともに、欧州風(異国風)のグレタ・ガルボ (Greta Garbo) やポーラ・ネグリらが押されていったのも確かです。
ガルボやネグリはアメリカ大都市の高級地区で見かけるような静かで古風な幻想を与えましたが、新世代のグレイブルやベネットは一般女性たちを模倣し、図書館でお茶をすするような在り来たりの女子を表現しました。
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