イシドール・パカン(Isidore Paquin)は、1890年にパリのリュ・ド・ラ・ペに創設されたオートクチュールのメゾン。夫が経営を担当し、イシドール・パカンが衣服を製作した。
夫の方は元銀行家(のち早世)。表記上、イシドール・パキャンとも。
妻の方のパキャンは、マギー・ルフの母の店「ルフ」で手ほどきを受け、豪華でロマンティックなラインを打ち出せるクチュリエールとして高い評価を得た。また社交上手だった彼女は、自分の作ったドレスをマヌカンに着せ、当時絶好の社交場だったロンシャン競馬場やオペラ座を練り歩いたエピソードは有名。
入念なクチュール技術と社交場を中心にした宣伝力によって、パキャンは海外にも需要層を獲得し、当時パリのクチュール・メゾンとしてははじめて、ロンドン、マドリッド、ブエノスアイレスに支店をオープンした。
後、女性では初めてオートクチュール組合会長に選ばれ活躍したが、1956年にメゾンを閉店。
パキャンは世紀末のエレガンスと気品の粋を代表した店で、贔屓客(ひいききゃく)にはスペインや英国の王室が列せられた。2度と似たものは作らないというほどのこだわりで、ベル・エポックの格調高いドレスやランジェリーを製作した。
またパキャンは、スーツやコートのトリミングに毛皮を使った初めてのクチュリエールとしても知られ、ブランド史上初の著名な女性デザイナーとして記憶されてきた。
パキャン自身の眼で選び抜かれたマヌカンたちは、誰もがパリ1番の美女揃いと評判で、先述のような社交場には10人程度のマヌカンたちがパキャンのお供をしたそうである。
パキャンのメゾンには、ごく短期間だがディオール入店前のピエール・カルダンが下積みを行なった(1945年)。
イシドール・パカン:女性初オートクチュール組合会長
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