カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)は、1943年10月22日、フランスのパリに生まれた映画女優です。1960年代フランス映画の潮流「ヌーヴェル・ヴァーグ」の周辺にいた女優ですが、同年代後半に潮流鈍化のなか、ポスト・ヴァーグ女優の立場を確保していきました。
両親・姉も俳優で、姉はフランソワーズ・ドルレアック(67年に交通事故死)。中学生の頃から、幾つかの作品に端役で出演。デビュー作は『Les Collegiennes』(1956年)ですが、本格デビューは準主役の『Les Portes claquent』(60年)。翌年『パリジェンヌ』で主役の一人に抜擢され、第4話に出演しました。
輝いた1960年代
1960年代前半
カトリーヌ・ドヌーヴを女優として成功させた映画監督はジョン・ヴァディムです。1961年の「パリジェンヌ」と1962年のマルキド・サド原作『悪徳の栄え』で大注目を受けました。さらにジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』で人気は決定的になりました。これは、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞のミュージカル映画。ダイナミックなハリウッドのミュージカルとは異なり、メランコリーな感じが強い作品です。
次いで『反溌』(1965年)。セックスに嫌悪感を抱く少女が、次第にセックスに狂っていく役を上手くこなしました。この作品を機にドヌーヴは、女性のもつ愛憎・欲望などを表情や仕草だけで表現する力を発揮し、外面・内面を備えた女優として評価されるようになります。
この「反溌」を機にドヌーブは文学的な演技を展開できるようになりました。その頃の作品としてルイス・ブニュエル監督の「昼顔」(1966年)や「哀しみのトリスターナ」(1969年)が挙げられます。
1960年代後半:ヌーヴェル・ヴァーグ以後の女優の中心に
1960年代後半は傑作ラッシュのうえアメリカに進出し「世界最高の美女」という肩書きがつきました。アメリカでの最初のヒットは、ジャック・レモンと共演した『幸せはパリで』(68年)。
これを機に、彼女のポートレートは「ニューズウィーク」、「ライフ」といった国際的な雑誌の表紙を飾るようになります。アメリカでは、官能、退廃、背徳などの表現力ゆえに「魔性の美女」とも呼ばれました。
ドヌーヴが国際的に知名度をあげていた1968年、ザ・サンデイ・タイムズ・マガジン(The Sunday Times Magazine)のジャーナリストであったフランシス・ウィンダムがよく彼女を取り上げました。そして、次のように述べています。
彼女は手際がいいし、かなり文学的な心をもっていて、そのうえ活発で優雅な作法を身につけている。また、気強い半面で打ち解けやすくもある彼女は逆説的な料理「ショーフロワソース」に似ています。
この時期、他にも、ルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(1966年、Belle de Jour)、当時姉の恋人だったフランソワ・トリュフォー『暗くなるまでこの恋を』(1969年)、『哀しみのトリスターナ』(70年)などに出演。1971年には、後に恋人となるマルチェロ・マストロヤンニと『哀しみの終わるとき』で共演。
トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』では、ラストの雪のシーンの豪華な衣装が有名です。これは、アラン・レネ監督が1961年に撮した『去年マリエンバードで』を衣装担当したココ・シャネルが主演のデルフィーヌ・セイリグに着せた羽毛飾りの付いた衣装をヒントに、イヴ・サンローランがオートクチュールで作成したもの。
1970年代以降
以後、匂い立つような妖艶さを活かしつつ、演技にも磨きがかかり、多数の作品に出演。そのどれもが代表作といえる名演でファンを魅了しました。
なかでも、1980年に製作されたフランソワ・トリュフォー監督の『終電車』では、同年のセザール賞を、作品賞、監督賞、主演男優賞(ジェラール・ドパルデュー)、主演女優賞(カトリーヌ・ドヌーヴ)というように、全て受賞するほどの評価を得ました。40代に入っていたカトリーヌ・ドヌーヴは、この作品でさらに美貌に磨きをかけていて、献身的な妻でありながらも新人俳優に惚れる女性の二面性を見事に演じ切っています。
トリュフォーはドヌーヴ主演では前作になる『暗くなるまでこの恋を』で、世界最悪の悪女といっていいほどの冷酷な女性を演じさせた後悔がありました。《トリュフォー+ドヌーヴ》の2作目の『終電車』では、彼女の才能をあらゆる面から引き出すように考慮したそうです。1990年代になっても、その美貌が衰えることなく、正に『大女優』の名で21世紀の今も活躍を続けています。
ゴシップ
『パリジェンヌ』で脚本を担当したロジェ・ヴァディム監督と1961年から交際が始まり、1963年にクリスチャンを出産。結婚はせず、その年に別離。1965年には『欲望』の写真家モデルとなったデイビット・ベイリー(David Bailey)と結婚しましたが1970年に離婚。マストロヤンニとの間には、1972年にキアラを出産しましたが、未婚で同棲のまま、1996年にマストロヤンニは死去(クリスチャン、キアラ共にその後俳優になりました)。
関連外部ページ
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