ベネトン:飽くなき企業拡大の経緯と世界制覇の要因

ファッション歴史
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ベネトンはイタリアのカジュアル衣料品ブランド。

代表的なブランドはユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン(UNITED COLORS OF BENETTON)。

創業者の1935年、ルチアーノ・ベネトンはイタリアのトレヴィゾに生まれました。

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1960年代後半:開業から多角経営へ

1955年、初めてのコレクション「トレ・ジョリー」を発売。

これを機に妹ジュリアーナ・ベネトンの協力によりベネトン社が誕生しました。

カラフル戦略

当時のイタリアのセーターは第1に高価格なイギリス製で、第2に家庭内で母親や娘が手で編み、最後が品質の劣る機械編みの3種類しかありませんでした。色は英国調の地味なものがほとんどでした。

そこに目をつけたルチアーノとジュリアーナは36色の色鮮やかなセーターの生産を開始します。二人が市場に送り出した斬新でカラフルな商品は若者を中心に爆発的な人気を呼びました。

ベネトンの誕生

1965年の春にベネトンの最初の工場が完成し、夏には最初の自社ショップ「マイ・マーケット」をイタリア・ベッルーノにオープン。

会社名をトレ・ジョリーから「ベネトン」へ、ブランド名も「ベネトン」へと変更しロゴ・マークを発表しました。

この頃のベネトンの躍進の理由は、ウール・セーターでは困難とされていた後染めに成功し、過剰な在庫を抱えることなく市場の動きを見ながら即座に売れ筋商品の納品を可能としたことが大きいといわれます。
1969年にヴィラ・ミネリ家を購入し、修復・改装をはじめました。現在の本社です。

1970年代:多角経営化と多国籍企業化

パリへ進出

1969年にフランスのパリ、サン・ジェルマンにオープン、これが国外第一号店です。

子供服ブランドとジーンズ・ブランドへ進出

1972年に子供ブランド「012(ゼロ・ドディチ)」を発表。

1974年にジーンズ部門「ジーンズ・ウェスト」ブランドを発表し、同名の自社ショップをパドヴァにオープン。

本格的に多国籍企業化

1974年にフランスのブランド「シスレー」を買収しました。その頃のベネトンはイタリア国内で800店舗、国外で100店舗以上と躍進を遂げました。

1977年にイギリスのロンドンに第一号店をサウス・モルトン通りにオープン。翌年にはフランス国内で200店舗を突破。

1979年にはアメリカのニューヨークに米国第一号店をオープンするなど、ベネトンの世界進出は留まることを知りません。

1980年に日本における生産・販売を西武・セゾングループと共に行う契約を結び、翌1981年にはルチアーノ・ベネトンが初来日を果たすなど、本格的な日本進出を開始しました。

1985年5月にベネトン・ジャパン株式会社を設立。名誉会長ルチアーノ・ベネトン、代表取締役シルバーノ・カッサーノ、代表取締役社長ファブリツィオ・デナルディスのメンバーで本格的な日本進出を果たした。

1985年にアメリカ国内で500店舗を突破しました。

1987年には日本でライセンス事業を開始。

1980年代:スポーツへの注目とセンセーショナルな宣伝

スポーツウェア部門への進出

1980年代に同社はスポーツウェア部門に拡大。

トレヴィゾ・バスケットボールチームの公式スポンサーになりました。

このときチーム名を「ベネトン・バスケット」と改名しました。

F1参戦

F1では、1983年にF1ティレル・チーム、1984年にアルファ・ロメオ・チームのスポンサー。

1985年にはトールマン・ハート・チームを買収し、ベネトン・チームを結成しました。

1986年にメキシコシティーのF1グランプリで同社チームは優勝しました。その時のドライバーはゲルハルト・ベルガー。

センセーショナルな宣伝

1982年に写真家オリビエトロ・トスカーニ(Oliviero Toscani : 1942-)はベネトン・グループの会長ルチアーノ・ベネトンとタッグを組みました。

トスカーニは2000年までアートディレクターに起用されました。

1984年から社会的テーマを鮮明にした広告でセンセーショナルな話題を提供しはじめ、誰もが無関心でいられない社会的なメッセージ、しかも広告においてタブーとされてきたものを曝すというメッセージを発信し続けてきました。

たとえば次の広告。

11月25日の「国連女性に対する暴力撤廃の国際デー」に合わせ、男女平等と女性の地位向上を促進する国連ウィメン協会を支援するグローバルキャンペーン広告を発表した。http://www.afpbb.com/articles/-/3033874

1980年代末から:多角経営の展開と企業買収

多角経営の展開

1988年、ベネトンは下着ブランド「アンダー・カラーズ」をロンドンで発表、ベビー服ブランド「ゼロトンド」を発表、香水「コロール・ドゥ・ベネトン」をパリで発表。

飽くなき多国籍展開と企業買収

1988年にエジプトのカイロに同国1号店をオープン。翌1989年にはニューヨークの株式市場に上場し、イタリアのスキー・ブーツ・メーカー、ノルディカの株を7割を購入。

1990年代になってもベネトンの拡大は続きます。

1990年4月ロシアのモスクワに最初のベネトンショップをオープン。

またノルディカ、アメリカのインラインスケートメーカー、ローラーブレード社、アメリカのテニスラケットメーカー、プリンスを買収しました。

1991年オーストリアのスキーメーカー、ケスレーを買収、原料自前のためパタゴニアに大牧場を購入。アウトドア用靴メーカー「アゾロ」、スノーボード・サングラスメーカー「キラーループ」を買収し、ベネトン・スポーツ・システム社を創立。

1992年にルチアーノ・ベネトンはイタリアの国会上院議員に選出されました。1993年にベネトンの店舗数は世界で8,000店を突破しました。

F1業界ではミハエル・シューマッハが1991年にベネトン・チームに移籍し、翌年から同社チームのドライバーとして活躍しました。1994年にシューマッハは同社チームのもとでドライバーズ・チャンピオンのタイトルを獲得しました。

1996年、ローラーブレード社の株式一部を、ニューヨーク・ロンドンの株式市場に上場。

新素材206を開発し生産を開始しました。

また新配送コンピューター・システム「ロボストア2000」を始動させ、マタニティーブランド「マンマ・オブ・ベネトン」を発表。

1997年にはスポーツウェア・ブランド「プレイライフ」を発表し、日本では「ベネトン ジャパン株式会社」と社名変更。さらに、ユナイテッド・コンドームズ・オブ・ベネトンを発売。

1998年にはアゾロを売却、ヴィラ・ロレダンが改装終了、スポーツ関連オフィスが集結し、プレイライフ第一号店がイタリア・ボローニャにオープン。

1999年、アメリカの大手小売店シアーズ百貨店をパートナーとし「ベネトンUSA」コーナーをシアーズ450店に1800ヶ所を設置。

1999年から世界各地で大型店「メガストア」を開店しました。これによって、直営店でブランド・イメージを高め消費者ニーズを捉え、それまでのフランチャイズ店に還元しようとしました。

2000年3月、それまで成績の振るわなかったF1チームをルノーに売却。5月にはオリビエーロ・トスカーニがベネトンを辞任。やや躍進に陰りがみえたと思われましたが、シドニー・オリンピックでイタリア・チームのオフィシャル・ウェアに選ばれました。

同2000年9月に「ファブリカ」の施設をオープン、12月には日本初のメガストアを表参道にオープンしました。

ベネトンの経営

グローバル企業の生産・流通体制

以上述べてきたほとんど全ての店舗へ商品サポートを円滑にするために、ベネトンは南米パタゴニアに自社の運営する牧場を持っています。ここから製品の素材が確保されます。

イタリアのカストレッティにある世界最大級の生産・流通拠点を運用し、徹底的なコストダウンに取り組んでいます。

カストレッティでは1年あたりの衣料品の生産能力が約8,000万点、配送能力が1日あたり4万箱。これにより市場のニーズに的確、迅速な対応が可能となっています。

多角経営の内容

ベネトン社の主力ブランドとしては、レディス、メンズに加え、子供服、マタニティ服が挙げられます。

サイズも多様で、ベネトンが得意とするカラー・バリエーションは豊富。

靴や眼鏡、バッグに加えて、使い捨てカメラや文房具など「ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン」の商標をつけたライセンス・ビジネスは多岐にわたります。

ベネトン・グループの別ブランド「シスレー」は唯一パリのアバレル・メーカー、シスレーから買い取ったものです。

ベネトン・グループは、グループ拡大戦略の鍵をスポーツ部門と位置づけています。

そのため、基幹ブランド「ベネトン」に次いでオリジナル・ブランド「プレイ・ライフ」を重視してきました。若者のあらゆるライフスタイルに照準をあわせた新領域を開発しています。

世界制覇を実現した要因

独特な広告戦略

ベネトンが世界制覇を実現した要因は、ふつうの広告とは趣の異なる、独特な広告戦略でした。

商品の宣伝広告はショーウィンドーで見せることが一番だという判断です。

商品やその説明を一切登場させず、人々へさまざまな問題提起を投げかけるメッセージによって、ベネトンのブランド・イメージを強めてきました。

フランチャイズ・チェーンの導入

経営面の斬新な展開も見逃せません。ビジネスの拠点となる販売網が急速に広がった成功の秘訣は、それぞれの地元の経営者に販売を任せるという形式、つまりフランチャイズ・チェーンを採用したことです。

とはいえ、ベネトンのフランチャイズは上からの押し付けでなく、各自がその場での判断で販売ができるというもの。昨今の日本のコンビニとは違います。

そのため地域別にレップ(販売代理人)と呼ばれる営業サポート制度を採用しています。この制度のもとで各地域での営業活動を取りまとめ、店鋪開発やショップ指導、商品発注などを行なっています。

ベネトン・ジャパン

現在、ベネトン・ジャパンは大きく分けて「卸業務」「ライセンス商品の管理」の2つの業務を行なっています。

具体的には「UNITED COLORS OF BENETTON」「SISLEY」等のブランド衣料品の輸入・卸売、「NORDICA」「KILLER LOOP」「ROLLERBLADE」「PLAYLIFE」等のブランドスポーツ用品の輸入・卸売、及びライセンス管理業務などです。

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この記事を書いた人

いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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