アナ・スイ(Anna Sui)は、1955年にアメリカのミシガン州の中国系アメリカ人の家庭に生まれたファッション・デザイナー。
単にアナスイと記されることが多いです。
経歴
スタンプやコインなどのコレクターだった母の影響で5歳の頃からファッションページをクリップしはじめデザイナーを夢に。
ファッションへのパッションは、もっぱら『ヴォーグ』から膨らませました。
ミシガン州デトロイトの高校を卒業後、1973年から2年間、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインで学びました。
1970年代のニューヨーク・パンクシーンの影響を強く受けます。パーソンズでは後に共同制作者となるスティーブン・マイゼルと親友になりました。
卒業後、ジュニア向けのスポーツウェアの会社や、イタリアのファッション雑誌『レイ』のスタイリストなどを経ました。『レイ』ではシューティングで既に写真家として活躍していたスティーブン・マイゼルのスタイリストをしました。
独立と展開
1981年に友人たちと小さなブティック・ショーを開きました。
友人たちはジュエリーやハンドバッグなどを作成。アナスイは、5・6着の服を制作し、これらはメーシーズとブルーミングデールズに販売されました。
これが、メーシーズのクリスマス・ウィンドウを飾ることとなり、「ニューヨーク・タイムズ」でメーシーの広告ともなりました。
同1981年からアパートの自室で受注を開始。
1980年代後半には若手デザイナーを育てるアネット・ブランデルに援助を受けます。
1991年に親友マイゼルや、当時「ヴォーグ」アメリカ版のファッション・ディレクターだった、ポール・カバコ、モデルの友人ナオミ、リンダ、クリスティらの協力によって、初のランウェイ・ショーを開催。
ナオミら3人は服と引換に無料でショーに出演した女の子たちでした。
このショーは「ニューヨーク・タイムズ」で「ヒップなパスティシュ」と評され、1990年代のレトロ・スタイルの先鞭を切ります。
当時のモデル・ブームにも乗って、アナスイの服を着たナオミたちの人気や、グランジ、パンク・リヴァイバルの波とも呼応し、ミュージック・シーンに敏感なアナスイのショーは注目され続けました。
ニューヨークのグリーン通りに開店
1992年、ニューヨークのソーホー、グリーン通り113番地に新しいブティックをオープン。
翌1993年にはCFDAペリー・エリス賞を受賞しました。
日本店舗は1997年5月の表参道が最初で、同年秋には大阪の心斎橋で店をオープン。2番目の大阪店は2000年(この大阪店は、アナスイ・ブランドとライフスタイルの継続的な世界的な拡大がテーマ)。
伊勢丹がコレクションの主なライセンスを取得しており、「Mammina」(伊勢丹の子会社)がライセンス部門とスペシャリティー・ストアのディストリビュータを引き受けています。
アナスイ・シューズ
1997年、アナスイ・シューズを初披露。
イタリア・ベニスの靴職人バリンがデザインしたアナスイのコレクションは、ベルベット、絹、エナメル革、蛇、トカゲの皮、毛を1回刈った羊、スウェードなどを含んだ包括的なスタイルでした。
ロサンゼルスに開店
1998年春夏コレクションでは、チベット、ハワイ、カリブ、バリ、日本の民族衣装に影響されたフォークロア調のプリントを入れ、一層厚みのある内容を示しました。
翌1999年にはハリウッド西部のサンセット・プラザで、ロサンゼルス店をオープン。
香水部門やコスメ部門への進出
アナスイの躍進は続き、既に1997年にドイツのウエラ社とライセンス契約をしていた香水を1999年に製造開始。同時に化粧品ラインもスタートします。
ウエラは、現在、アナスイ・ビューティーのうち、アナスイ・カラー化粧品とスキンケア・ライセンスを、日本の化粧品メーカー「アルビオン」と提携し、アルビオンがアナスイ・カラーを国内とウエラ社に販売し、ウエラ社はドイツ国内と「アルビオン」に対し、スキンケアを販売するという方法が採用されています。
2000年秋には香水のセカンドライン「スイ・ドリーム」が世界中でスタート。
アナスイの顧客にはパトリシア・アークェット、クリスティーナ・リッチ、シェール、ナオミ・キャンベル、ソフィアコッポラらがいる。
ダウンタウン・ボヘミアン・ルックを貫く彼女のモットーは「あなたの夢を生きて」(Live yourdream.)。
関連リンク
- ANNA SUI (アナ スイ)公式サイト – アナ スイ公式サイト。アナ スイ コスメティックス・香水・ファッションの新商品・限定品情報、ショップ情報など。
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