トランスペアレント(transparent)は「透明、透かし、透かし絵」の意味でファッション用語では≪透ける衣服≫のことです。シースルー(See Through)と同義。最近は「透け感」とよくいわれます。
オーガンジー、ボイル、モスリン、ローン、シフォン、レース、目の粗いニットなどの透ける素材や、それらを使った身体を透かして見せる衣服。
呼称のダサかった1960年代頃は「透視ルック」「透け透けルック」「スケスケ・ルック」などと呼ばれました。近年ではファッション要素の一つとして愛用されています。
トランスペアレント・カラーといえば透明色のことです。また、はめ込まれた透けるアイテムはトランスペアレント・インセットといいます。
トランスペアレント(シースルー・透け感)の歴史
単に「透ける」というファッションなら古代エジプトなどで見られますし、1930年代以降に開発されたナイロン・ストッキングなど、デニール数の小さいものはだいたい透けます。
フランス革命の時には、それまでの慣習やモラル、礼節を打破する動きの中で、厚地の絹の紋織りドレスの代わりに、木綿の薄い透けるモスリンのドレスが流行しました。
有名なのはタリアン夫人(1773~1835年)という美人のエピソード。彼女は靴下留めの色が見分けられるほど薄い綿チュールのドレスを着てチュイルリー公園を散歩したそうです。
ほかにも、ダヴィッドが描くレカミエ夫人の肖像画でも、清楚なエンパイア・ドレスの白いモスリンからは、ピンク色をした乳首が見えます。
1960年代のシースルー・ルック
このような歴史古い「透けるファッション」をシースルー・ルックとして打ち出したのが、1960年代後半のフランスのデザイナーたちです。
なかでも、1968年にドレスでセンセーションを巻き起こしたイヴ・サンローランが有名。彼の発表したドレスでは、ブラジャーなしの胸、胴部、腕が透けて見えるシフォンが用いられました。以後、1960~1970年代の性革命を代表するファッションの一つとなりました。皮肉にも1968年は5月革命の年。
その後、1972年のアンドレ・クレージュが続きます。
そのため世界初のシースルーがそこに誕生したように思いがちですが、20世紀前半にも無名のシースルーのドレスが中国にあっただろうと考えられます。他地域でも確認できるかもしれません。
1990年頃のシースルー・ルック
1989年春夏コレクションでは、再び透けるファッションが話題となりました。
ロメオ・ジリ、クロード・モンタナ、コム・デ・ギャルソンなど。
しかし、その背景には反体制という意味合いは薄まっており、布の軽やかさ、軽快さ、重ねられた素材や色の効果といった点がポイントになっています。フランス革命や5月革命の状況とは異なり、ファッションの一般的循環の一つになっています。
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