世紀単位や10年単位で時間を区切り、モード歴史と女性美基準の転換を解説しています。

ピエール・ブーラ:脚足の曲線美とエッフェル塔の曲線美
ピエール・ブーラという写真家の脚足作品を中心に論じています。略歴や作品を紹介しています。1924年にフランスのコンデ・サント・リビエールに生まれました。1957年以降ピエール・ブーラは、有名な「ライフ」誌と初めて独占契約を結びました。

1930年代:コスメティック産業の発展と女性美基準の拡大
20世紀に女性美の基準が変化した流れを美容の観点から説明しています。1930年代に化学の進歩によってコスメティック産業は大きく発展しました。口紅、マニキュア、色んな化粧用クリーム、日焼けクリーム、毛髪染料などの化粧用品です。

カーラ・デルヴィーニュ:ユニセックス代表モデル
カーラ・デルヴィーニュは1992年8月12日にイギリスのロンドンに生まれたファッション・モデル、女優、歌手です。全寮制の寄宿学校ビデールズ校に進学。在学中にモデル事務所にスカウトされ、16歳でモデルになりました。

ナイロン・ストッキング:デュポン社の開発と急速な普及
ナイロン・ストッキングとは1930年代にアメリカで開発されたナイロンで作られたストッキングのことです。ナイロン・ホーズとも呼ばれます。1940年に販売されて以来、それまでの絹製・木綿製などのストッキングを駆逐していき、今では女性用ストッキングの圧倒的な位置に立っています。

ブラジャー:立体形の登場とスパンデックスの開発
ブラジャー brassiere は胸囲のファンデーション(補正下着)のことです。単にブラ(bras)。フランス語のbrassiere(ブラシェール:胸衣)が英語転化した言葉です。乳房を支えるため、乳房を保護するため、乳房の形を美しく整えるため(bust-up)に設計されています。ブラジャーは多くの部分から制作される複雑な衣料品です。

オート・クチュールの誕生:ヴァルター・ベンヤミンのモード4
オート・クチュールの誕生 : ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin は『パサージュ論』の中で、モードの特徴をつかむ短文をいくつか書きならべています。ヴァルター・ベンヤミンが無意識に捉えたオート・クチュールの誕生に関する文章を説明します。

サイクリング時の裾のまくれ:ヴァルター・ベンヤミンのモード3
サイクリング時の裾のまくれ : ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin は『パサージュ論』の中で、19世紀パリ女性が自転車に乗る姿を繰り返し述べています。このページではシャルル・ヴェルニエ(Charles Vernier)という画家の二つの絵をめぐって、ヴァルター・ベンヤミンのいう《サイクリング時の裾のまくれ》について当時の絵とともに確認します。

脚の隠蔽と露出:ヴァルター・ベンヤミンのモード2
前回の「ベンヤミンのモード : 初期形態からの変態」に続き、サイクリングが一つのキーワードです。相反する意見を比較してみましょう。

初期形態からの変態:ヴァルター・ベンヤミンのモード
ベンヤミンのモード : ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)の『パサージュ論』は未完成の著作物で、近代パリ、または19世紀の首都パリに関わる事柄をテーマ別に分けた引用集とメモ帳から成り立っています。

女性美基準の変化:ヨーロッパの絵にみる強調箇所の推移
女性美基準の変化 : このページでは、中世から20世紀初頭までの絵を数点みて、ヨーロッパの女性美基準がどう変化したかを概観しています。身体の輪郭や強調箇所は時期によって異なります。腹部が強調された時代から男性風平坦(flat boy-like)に至る時代までを大まかに見ていきましょう。

トランスペアレント(シースルー・透け感)の歴史
単に「透ける」というファッションなら、古代エジプトなどで見られます。シー・スルーと同義。現在はフランス革命や5月革命の状況とは異なり、ファッションの一般的循環の一つになっています。

ガブリエル・シャネル:働く女性を愛したデザイナー
ガブリエル・シャネル Gabrielle Chanel は、1883年にフランスのオーベルニュ地方のソミュールに生まれたファッション・デザイナー。「ココ・シャネル」、「グランド・マドモアゼル」と愛称された20世紀最大級のデザイナーです。シャネルは唯一のスタイルしかもたなかったといわれることが多く、シャネルの真髄は近代生活に適した実用性と機能性、そして遊び感覚に尽きます。

エルザ・スキャパレリ:モード界のシュルレアリスト
エルザ・スキャパレリ Elsa Schiaparelli は1890年にイタリアのローマに生まれたファッション・デザイナーです(1890-1973)。父は東洋語学者、叔父は天文学者、従兄は考古学者というアカデミックな名門の家柄。第1次世界大戦後に娘とパリへ移住。オート・クチュール組合に初めてファスナーを導入しました。