ヴァルター・ベンヤミンは『パサージュ論』の中で、19世紀パリ女性の 脚の隠蔽と露出 について相反する見解を紹介しています。
前回の「ベンヤミンのモード:初期形態からの変態」に続き、サイクリングが一つのキーワードです。相反する意見を比較してみましょう。テキストは以下です。
まず、女性が脚を隠すことへの否定的見解。
カールの著作には、モードについての合理主義的な理論が見られる。それは宗教の起源に関する合理的な理論と、極めて近い関係にある。丈の長いスカートが生まれたのは、酷い「足」を隠そうとした女たちがいたからだと彼は考えている。あるいはある種の帽子の形と髪型の起源が、乏しい髪の毛を見栄えよくしたいという望みにあることを暴いてみせている。[BI, 7]ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波書店、2003年、119頁
カーが酷い脚を隠すために丈の長いスカートが生まれたこと、乏しい髪の毛を見栄え良くするために帽子の形と髪型を工夫したという説をアルフォンス・カーは述べたとのこと。
カートはアルフォンス・カー(Jean-Baptiste Alphonse Karr, 1808-1890)のことで、フランスの批評家、ジャーナリスト、小説家です。
彼の邦訳が確認できませんが、1843年出版の『悪女たち』が原典かと推測します。
このような女性衣装の否定的見解に対して、ベンヤミンは続く項目で次のように述べています。
前世紀の最後の10年間に女性たちが男たちにそのもっとも魅惑的な姿をさらし、その姿が男たちを大いに期待させたのはどこであったのかを、いまでは誰が知っていよう。それは、人々が自転車に乗るのを覚えた、あの屋根つきのアスファルト舗装のされた広場でのことだ。自転車に乗った女性は、絵入りポスターでシャンソン歌手と張り合うようになり、モードの進むべきもっとも大胆な方向を示した[BI, 8]ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波書店、2003年、120頁
当時のシャンソン歌手が絵入ポスターで人気を呈していて、新しく登場した自転車女性のポスターと競合関係に入ったとあります。
シャンソン歌手を描いたポスターは、次のようなものです。
1890年代にアスファルト舗装のされた屋根付き広場([BI, 2]の言う屋内広場)で女性たちは自転車の開発とともに乗車練習し、その姿が魅惑的であったと述べられています。
ただし、自転車乗車姿が魅惑的だったとしても、どの点でそうだったのかは明記されていません。
[B1a, 3]の「自転車は裾のまくれを表現するうえで、思いもよらない可能性を開いた」(122頁)ことでしょうか。
あるいは、従来は歩行か着席しか無かった女性の姿に動的な自転車乗車という躍動感が加わり、その躍動感が周辺男性の目を奪ったのでしょうか。
もし、前者、つまり魅惑的な姿がスカートの裾のまくれを指すのでしたら、先に引用したカールの理論、つまり醜い足(脚)を隠すためにロングスカートを穿いていたという説と合致しません。
そこで、19世紀末のモードとして、
- 女性の足・脚への評価が変わった(性的・美的対象となった)。
- スカートがまくれることが高く評価された(性的・美的対象となった)。
のいずれかを考えることができます。
最後に「In Petaled Skirts | Shane Naomi Adler」(外部リンク)によると、アルフォンス・カーは19世紀中期のペタル・スカート(花弁スカート)に対して肯定的な見解を述べており、一概に彼が同時代の女性モードを蔑視した訳ではありません。
つぎに紹介します。
『アニメーションの花』(Les Fleurs Animées)の序文で、園芸家のアルフォンス・カーは、優雅な花とファッショナブルな女性の間に存在する自然なつながりを述べ、女性たちのモードが1850年代の花弁スカートを超えて行ったと説明しています。襞から神秘的なエッセンスが出てきたことで、男性は香りを呼吸することによって「花びらの下に隠れた特定の思い出を愛する」ことを学ぶだろうと書いています。
園芸家のアルフォンス・カーと文筆家のアルフォンス・カーが同一人物だとすれば、カーは、女性の衣装で頭部や脚部よりも局部が解放されることが魅惑的であったと感じたことになります。
コメント