この記事では、20世紀に女性美の基準が変化した流れを美容の観点から説明しています。
大まかにはボディケアからメイクアップへと女性美基準は拡大していきます。
時代状況
前史
1920年代までは、美的概念は重要と思われていたものの、1930年代にはっきりしてくる意味をまだ知らなかったという前史があります。
19世紀末から20世紀初頭にいたるフランス女性誌の内容を分析した研究があります。その成果によると、当時はボディケアに関連した女性美のイメージはマスコミに存在しませんでした。
そのため、ボディケアに関する「美」を扱った雑誌は「ボーテ・マガジン」(Beauté Magazine」(1929年刊)、「サンテ・フォルス・ボーテ」(Santé, force, beauté」(1931年刊)、「ル・コンセイエ・デ・ラ・フェム」(Le Conseiller de la femme)など、数少ない専門誌が雑誌名に冠していた程度に留まっていました。
ボディケアと化粧品の関連性に関する注目した例外的な雑誌は、1920年代の「ヴォーグ」フランス版と1935年以降の「ハーパース・バザー」だけでした。
背景
1920年頃は美容(ボーテ=ビューティー)というと髪型と衣服に注目され
そして自然な身体を変えていこうという動きが20世紀初頭から出
1930年代:コスメティック産業の発展と女性美基準の拡大
化学の進歩によってコスメティック産業は大きく発展しました。
口紅、マニキュア、色んな化粧用クリーム、
毛髪染料
とくに毛髪染料の人気は急増しました。
「ヴォートル ・ボーテ」誌:髪型・ファッション・メイク
マニキュア、色んな化粧用クリーム、 日焼けクリームなど、新しいメイク法も普及しました。
これには映画
1932年に創刊されたフランスの美容雑誌「ヴォートル
この雑誌は高級志向だったので、あまり読者層を広げられませんでしたが、女性美基準に新しい観点を導入した点で重要な位置を締めています。
この雑誌が刊行されるまで、多くの雑誌はは髪型とファッションに重点を置いていました。
しかし「ヴォートル ・ボーテ」は美容・髪型・ファッションを重視する雑誌として刊行され、美容(メイク)を大きく取り上げた訳です。
この雑誌は現在でも刊行されています。
女性美基準の拡大
女性美の概念は、以前は自然の身体か衣服のどちらかに関連していました。
しかし、この雑誌は編集者によって、美容製品の定期的使用の成果だと再定義されました。ここに女性美基準に化粧(メイクアップ)が加えられたのです。
この雑誌は化粧品の複合企業ロレアル社(L’Oreal)創設者の薬剤師ウージェンヌ・シュエレール(Eugene Schueller)によって刊行されました。
雑誌記事は、論説と商業広告のいずれの各ページも「ヴォートル ・ボーテ」が新しい美の定義をどう開発されたかを繰り返し述べました。
「マリ・クレール」誌
しかし、数年後の1937年に「マリ・クレール」という雑誌が創刊され、第3次産業に従事する女性たちや労働者階級の女性たちをターゲットにして読者層を広げました。
メイク方法はここで大々的に宣伝されました。
「マリ・クレール」
雑誌表紙は今までとは違う新しいもので、若く美しく、
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