この記事では中世から20世紀初頭までの絵を数点みて、ヨーロッパの女性美基準がどう変化したかを概観しています。
身体の輪郭や強調箇所は時期によって異なります。腹部が強調された時代から男性風平坦(flat boy-like)に至る時代までを大まかに見ていきましょう。
中世ヨーロッパの女性美基準
ヨーロッパでは中世・16世紀まで、正しい姿勢とは下腹部を突き出し、肩を落とすことでした(Paul Tabori, The Art of Folly amazonへ)。
つまり、腹部を強調していたわけです。
これには中世までのヨーロッパの貧困があったのではないかと私は推測しています。
ルネサンスから大航海時代を謳歌した17世紀になると、ヨーロッパではオリエンタリズムが興隆し、外部への視線を強めます。
つい先ほどまで下腹部の強調を自分たちの正しい姿勢としていたにも関わらず、トルコ方面を始めとするオリエンタルな人たちの丸みを帯びた身体、腹部が目立つ体型、およびそれを隠そうとしないゆったりした衣装や気だるそうな姿を蔑視するようになりました。
次の絵は、LE HAY, Recueild e cent estampesr eprésentantd ifférentesN ations du L event…Paris, 1714. に収録された「トルコの女性」と題す絵です。
大丸弘が論文「西欧人のキモノ認識」で取り上げていて知りました。
女性美基準の変化
その頃から、ヨーロッパの衣装絵画では身体の一部に細身ある輪郭や凹凸が重視され始め、裁縫技術では輪郭(Shape)や線・ライン(Line)、凹凸を可能にするダーツ(dart)も開発されていきました。
といっても、中近世のヨーロッパの衣装は、トルコ、インド、中国等のオリエントに比べればメリハリがあったとしても、現代からみればルーズでした。
1830年代の絵
上の絵は1830年代に描かれた物です。肩・胸部・腰部をみますと、肩が一番出ていて、腰部に向かって細くなっています。胸部の大きさはその延長線上に設定されているにすぎません。つまり、胸部は強調されていません。
18世紀・19世紀に女性衣装に導入されたクリノリンやコルセットは、女体に悪影響を及ぼすという議論も沸騰する中で、富裕層を中心に浸透しました。
上の絵も下の絵もクリノリンで下部を膨らませています。
しかし、いずれも胸部は強調されておらず、当時の女性美基準が腰部の細さと臀部の大きさが重視されていました。
1880年代の絵
1910年代の絵
ある程度の女性がコルセットから解放されたのは1910年代のことです。
胸部・腹部・腰部を1品で締めつけていたコルセットは3部分に解体され、それぞれ部分的な女性下着が開発されていきます。
胸部だけ記しますと、1910年代に平面的ブラジャー(brassiere)が登場しました。当時はギャルソンヌ・ルックが流行し始めた頃で、平面的ブラジャーはかなり流行したようです。
平坦なブラジャーや乳房は、男性風平坦(flat boy-like)や平坦な乳房(the flattened-breast)と呼ばれました(Jille Fields, An Intimate Affair amazonへ)。
中野香織が、ヨーロッパの近現代ファッション史では男性スーツが女性衣装に導入された(男性服が女性服をリードした)歴史だと斬新な発想をしています。
男性風平坦という女性美基準から見ても、彼女の指摘が的確であると示唆しているでしょう。
上の絵の4人の内、少なくとも3人の女性の胸部が見えます。
乳房の物理的な盛り上がりが3人ともに確認できません。
左から二人目のグレーのジャケットを見ますと、真ん中で打ち合わす仕様ですが、その中心線が首から始まり腹部に付いた頃には左に大きく逸れています。この打ち合わせの線が曲線として設計されているなら、それもあり得ます。
しかし、それでも不自然さが残ります。
それは、胸部と腹部の間、つまり普通は凹むはずの腰部が一番盛り上がっているように描かれている点です。また、4人とも、胸部と腰部はほぼ垂直に描かれています。
これは絵ですので、かなり極端に男性風平坦を示したものですが、同時代の少ない写真類では物理的に避けられない盛り上がりは確認されるものの、ブラジャーの機能によって乳房を大きく見せる設計はありません。
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