ゴダール「女は女である」:分断映画に帰結のある珍しい場面
アンナ・カリーナが出演したゴダール映画で私が最も印象に残っている作品は「彼女について私が知っている二、三の事柄」と「新ドイツ零年」に次いで「女は女である」です。カラフルな映像にカラフルな衣装が重ねられています。

ジャンリュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演 「女は女である」1961年。 ©1960 UNIDEX / UGC DAI / EURO ENTERNATIONAL FILMS (ROME)
テーマ・カラーは赤色と青色と白色かと。それを凝縮した場面がこれです。

ジャンリュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演 「女は女である」1961年。 ©1960 UNIDEX / UGC DAI / EURO ENTERNATIONAL FILMS (ROME)
アンナが勤めるストリップ劇場で本に見入る彼女と同僚。今日の衣装はツーピースのセーラー・ドレス。内側には白色のコルセット・ドレスで補整しています。ストッキングは赤色。トリコロールの帽子がふざけていて可愛いです。この映画のデザイナーはジャクリーヌ・モロー(Jacqueline Moreau)。
ジャクリーヌ・モロー
ジャクリーヌ・モローはカトリーヌ・ドヌーヴと姉フランソワーズ・ドルレアックが共演した映画「ロシュフォールの恋人たち」で衣装デザインをマリー・クロード・フーケと共同で担当したデザイナーです。
このポスターを飾るカフェがあります。姉妹サイトに「喫茶 ラ・マドラグ:la madrague インスタ遠慮でにぎわう」という日記内の「たくさんの本と大きな映画ポスター」に書いていますので、そちらもご参照ください。
次のカードは「シネマテーク・フランセーズ」の1ページです。「女は女である」の詳細なデータが載っています。このサイトはフランス政府が多くを出資する大規模なデータベースです。
http://www.cinematheque.fr/film/48870.html
あらゆる場面が繋がらない映画
アンドレ・S・ラバルトの説
もとい、「女は女である」は何かと衝撃的な映画かもしれません。出来事が衝撃なのではなく映像の流れが衝撃なのでしょう。むかし、映画プロデューサーのアンドレ・S・ラバルトは「カイエ・ドゥ・シネマ」125号で、あらゆる場面が繋がらない映画だと述べました。ある場面は次の場面に重なるわけでも帰結するわけでもない、と。このような映画はゴダールの本領を発揮したものだといえます。
ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」
このような作品をヒントにした香港映画がウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」です。この映画はかなり難解でサッパリ分からんとよく学生たちが述べていますが、分からない映画と思って見ていけばOKです。ゴダールも然り。「恋する惑星」の楽しみ方は「恋する惑星 : 錯綜する距離感とその楽しみ方」をご参照ください。
唯一繋がった場面
「アンナ・カリーナ」の略伝を書くにあたって、改めて「女は女である」を見ました。アンドレ・S・ラバルトの捉え方は当っているのですが、一つの場面を見落としている気がしました。それが次の場面。
青と白のストライプがド派手なローブを着てアンナは台所で目玉焼きを作っています。

ジャンリュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演 「女は女である」1961年。 ©1960 UNIDEX / UGC DAI / EURO ENTERNATIONAL FILMS (ROME)
そこにマンション共有の電話がかかってきて、呼びだされます。上の場面は電話に向かう直前。なんとアンナはフライパンを思いっきり振って作りかけの目玉焼きを放り上げます。

ジャンリュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演 「女は女である」1961年。 ©1960 UNIDEX / UGC DAI / EURO ENTERNATIONAL FILMS (ROME)
そしてフライパンを持ったまま電話に出てブツブツ。
電話を終えて台所に戻ってきたアンナは、先ほど天井に向かって(あるいは天井を超えて)放り上げた卵をフライパンでキャッチ。

ジャンリュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演 「女は女である」1961年。 ©1960 UNIDEX / UGC DAI / EURO ENTERNATIONAL FILMS (ROME)
これはラバルトのいう場面同士の分断の上に時間幅を狂わせたまま繋げた珍しい場面です。ラバルトの分析が当てはまらず、見事に場面と場面が起と結になっています。
コメント