アンナ・カリーナ

女優・モデル
この記事はPRを含みます。作品紹介のうち「あらすじ」と「見どころ」に若干の誇張表現があり、他の項目は正確または率直な表現にしています。
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アンナ・カリーナはデンマークに生まれ、仏国で活躍した映画女優。この芸名をつけたのはガブリエル・シャネル。

監督のゴダールと結婚していたことがあります。

18歳のときにコペンハーゲンで短編映画に出演。その後にパリへ渡ってモデルを経験しました。

石鹸のCMに出演中の出稼ぎモデルが一目でジャン・ リュック・ゴダールを 虜にして、彼の監督する「小さな兵隊」で映画デビュー。

翌1961年にゴダールと結婚(のちに離婚)し、「女は女である」「女と男のいる舗道」「アルファヴィル」「気狂いピエロ」「はなればなれに」などでコンビを組み、ニュータイプのヒロイン像を確立。

次第にアンナは、ニュータイプのヒロイン像を確立していきます。

それはゴダールのテーマ「女性心理の不条理」に関わる《気紛れな言動で男を振り回す》女性像。とくに「女は女である」に際立っていたイメージです。

アンナは「ヌーベル・ バーグの女王」と呼ばれ、フランス映画史に名前を刻んでいます。

この特徴は現実生活にも及んで、俳優ジャック・ペランと恋に落ちて、あっさりゴダールを捨てました。

アンナを失なってからのゴダールは政治的映画に傾倒していきました。そこでもまたマリナ・ヴラディに劇中で自分への嫌味を自爆的に言わせていますが、これは余談。

1973年から監督業にも進出し、精力的に活動を続けました。

日本では未公開の作品が多いのが少し残念。

なむ
なむ

アンナ・カリーナが喫煙している姿や表情をみると煩悩が沸騰してきます…。

グエン
グエン

あの大きなお目々に見つめられたら窒息するとも言ってたな!

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アンナ・カリーナ

  • 芸名:アンナ・カリーナ(Anna Karina)
  • 本名:ハンネ・カリン・ブラーケ・ベイヤー(Hanne Karen Blarke Bayer)
  • 生年月日:1940年9月22日(83歳)
  • 没年月日:2019年12月14日(満79歳)
  • 出身地:デンマーク・コペンハーゲン
  • 身長:170cm
  • 体重:53kg
  • ヘア:ダークブラウン
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経歴

生い立ち

ハンネ・カリン・ブラーケ・ベイヤーは1940年9月22日にデンマークのフレデリクスベリに生まれました。

母親は洋服店の店主で、父親は船の船長だったが、彼女が生まれた1年後に一家を去った。

幼少の頃、母親は彼女の容姿を軽蔑し、目と額が大きすぎると発言。彼女は何度も家出を試みて、スウェーデンやアメリカに行く船を見つけようとしました。

若い頃から俳優になることを夢見ており、演劇学校に通いたかったのですが、当時デンマークの演劇学校の年齢条件は21歳でした。

学生時代、彼女はほとんど学校に通いませんでした。資格試験で良い成績を取ったとき、学校側は彼女がカンニングした結果だと思い込みました。そのうえ、これを原因に彼女は14歳で退学させられました。

モデルとしての出発

学校をやめてから、彼女はデパートのエレベーターのオペレーターや、イラストレーターのアシスタントの仕事に就職。

14歳のとき、街でイブ・シュメデスに見初められ、彼の40分の短編映画「Pigen og skoene」(少女と靴、1959年)の主役に起用され、カンヌ映画祭で賞を受賞。

しかし、家庭がうまくいっていなかったようで、ある晩、義父にひどく殴られたことから、彼女は家を出ることを決意。祖父からもらった15ドル相当のお金で、ヒッチハイクでパリに向かった。

1958年の夏、17歳のアンナはパリに到着。

そのとき1万フランしかなくフランス語も話せなかった彼女は、泊まる場所を見つけるのに苦労し、近所の司祭に寝る場所を尋ねました。

若い司祭がバスティーユのすぐ裏のパヴェ通りの小さな部屋を探してくれました。

ある日、空腹でパリをさまよっていたアンナはサンジェルマン・デ・プレにたどり着きます。

彼女はレ・ドゥ・マゴというカフェに座り、そこでカトリーヌ・ハルレという女性に声をかけられ、写真を撮ってくれないかと頼まれました。

最初は疑心暗鬼でしたが、フランスの新聞「ジュール・ド・フランス」用のプロフェッショナルな撮影であることを知って、結局、承諾しました。

「エル」の撮影現場でガブリエル・シャネルに会ったとき、シャネルはアンナに本名を尋ね、《女優になりたいなら、アンナ・カリーナを名乗りなさい》と答えたそうです。

アンナ・カリーナという名前は、レオ・トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」を想起させるためにシャネルが意図的に作った造語でした。

アンナはコカ・コーラ、ペプソデント、パルモリーブといった製品コマーシャルにも出演しました。

そして、いまだに演劇学校に通いたいと思っていたので、映画館に座ってフランス映画を見て、言葉を独学しました。

映画

「カイエ・デュ・シネマ」の映画批評家だったジャン=リュック・ゴダールは、モンサヴォンのパブで行なわれた映画試写会にて、パルモリーヴの広告でバスタブのままポーズをとるアンナ・カリーナを初見。

ゴダールは長編デビュー作「息もできない」(1960)のキャスティングをしていて、アンナに小さな役をオファーしたましたが、ヌードシーンがあるとのことで拒否されました。

パルモリーヴの広告でアンナは水着を着ていて石鹸水は首まであったことを知らないまま、ゴダールは自分の欲求をぶつけたようです…(笑)

結局、ゴダールがアンナに用意したキャラクターは作品に登場しませんでした。

ゴダールはアンナに、アルジェリア戦争中のフランス軍の行動をとりあげた「小さな兵士」(1963)への出演をオファーし、彼女は親アルジェリア活動家を演じました。

当時まだ21歳未満だったアンナは、別居中の母親を説得して契約書にサインしてもらいました。

「女は女である」( 1961)のアンジェラ役では、子供が欲しいと願い、MGMのミュージカルに出演することを夢見る独身ストリップダンサー(ストリッパー)でした。

劇中でアンナが着るJKファッション(セーラー服)は「「ジジ」(1958)のレスリー・キャロンを模倣したもので、演技中も着用しました。アンナははこの演技により、第11回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(主演女優賞)を受賞。

「ピエロ・ル・フー」でのアンナの役柄は元カレと逃避行中。「アルファヴィル」での役柄は「愛している」というフレーズを言うのが困難であることを要求しています。

アンナの才能や役柄を売春・二枚舌・出産願望に限定したゴタールへの評価はまちまちですが、アンナ自身は、そういう役柄をすべて演じる能力を身につけられたので嬉しかったそうです。

こうして彼女のキャリアは花開き、1970年前後に多くの映画に出演しました。主なものを挙げます。

  • 修道女(1966)
  • 見知らぬ男(1967)
  • ジュスティーヌ(1969)
  • 暗闇で笑って(1969)
  • 結婚指輪(1971)
  • ブレイのランデブー(1971)
  • ザルツブルグ・コネクション(1972)
  • パンとチョコレート1973)

などです。

1972年、アンナ・カリーナは映画製作会社を設立し、翌73年に監督デビュー作「Vivre ensemble」で出演。この作品は第26回カンヌ国際映画祭の批評家週間で上映されました。

それから、1976年に「チャイニーズ・ルーレット」に主演。もともと、監督のファスビンダーはアンナのパートナーだったウリ・ロンメルのためにこの映画を書きました。

1987年の「ラスト・ソング」では脚本と出演を務め、ジャック・リヴェット監督「パリでかくれんぼ」(1995年)に出演し、映画「シャレード」(1963年)のリメイク版「チャーリーの真実」(2002年)では歌も披露しました。

また、カナダのケベック州モントリオールとサグネ・ラックサンジャン地域で撮影されたミュージカル・ロードムービー「Victoria」(2008年)で、アンナは脚本、監督、主演を務めました。

アンナが演じる主人公は記憶喪失者。リチャード・カイパースは「バラエティ」誌で本作を「ケベックの裏山を心地よく駆け抜ける」と賞賛しました。

音楽と執筆

音楽

1960年代末、セルジュ・ゲンスブールの曲「Sous le soleil exactement」と「Roller Girl」が大ヒット。

この2曲は、映画監督ピエール・コラルニクによるTVミュージカル・コメディ「アンナ」(1967)の劇中歌で、アンナ・カリーナはゲンスブールとジャン・クロード・ブリアリとともに7曲を歌いました。

また、フィリップ・カテリーヌとアルバム「Une histoire d’amour」をレコーディング。

2005年には、映画で歌った曲を集めた「Chansons de films」をリリースしました。

執筆

アンナ・カリーナは4冊の小説を書きました。

  1. Vivre ensemble(1973年)
  2. Golden City(1983年)
  3. On n’achète pas le soleil(1988年)
  4. Jusqu’au bout du hasard(1998年)

私生活

「Le Petit Soldat」の共同制作中、スタッフがローザンヌで夕食会を開いたとき、ゴダールはメモを書いてアンナに渡しました、「愛している、真夜中にカフェCafé de la Prezで会おう」。

当時、アンナは交際中でしたが、ゴダールに会いに行きました。すでにゴダールに恋をしていたため、そして、交際相手との関係を解消します。

やがてアンナはゴダール映画の女神となり、5年間の結婚生活とその後をとおして、「アルファヴィル」「はなればなれに」「気狂いピエロ」など8本のゴダール作品に出演。

アンナは女神であることが好きだったそうで、2016年にこう語りました。「光栄じゃないわけがない。光栄に思わないわけがない。もちろん、そう言ってもらえるのはとても嬉しい。なぜならジャン・リュックは、それらの役をすべて演じる才能を私に与えてくれたのだから。まるでピグマリオンのようだった。私はイライザ・ドリトルで、彼は先生だった」。

「インディペンデント」紙によると、このカップルは「1960年代でもっとも有名な組み合わせの一つ」でした。

ところが、舞台裏での二人の関係は波乱に満ちていました。

二人は撮影現場で喧嘩し、ゴダールは何度も病に倒れ、自殺未遂を起こし、その後精神病院に入院しました。

ゴダールは連絡もせずに外出して不在がちでした。また非常に嫉妬深く、アンナの演技力を疑って彼女に言いました、「こんなセリフ、どうやって言うんだ?コメディなんだから、君には絶対無理だよ」など。

二人が結婚していた頃のゴダール映画でアンナが出演していない作品があります。

そのうち有名なものが、アンナの黒髪に似た黒いカツラをかぶったブリジット・バルドー主演の「軽蔑」(1963年)。この作品はアンナとゴダールの困難な関係を題材にしたものです。

アンナは2016年春に、ゴダールとはもう会話をしていないと語りました。

最初からすべてが刺激的だった。もちろん、私たちには素晴らしいラブストーリーやその他もろもろの話があるけど、私たちは違いすぎた。彼は私より10歳も年上で、とても奇妙だった。ゴダールが30歳のとき、私はまだ21歳にもなっていなかった。そのつもりはなかったと思うけど、ゴダールは私を傷つけた。彼はそこにいないし、二度と戻ってこないし、どこにいるか私は知らない。でも彼は私を少し狂わせた。https://www.wmagazine.com/story/anna-karina-band-outsiders-jean-luc-godard-interviewphotos

グエン
グエン

男30に女20…。ダメ男が女性と結婚するならこのタイミングしかない。

なむ
なむ

(女性を)騙すなら今のうちってとこですね。

さて、アンナ・カリーナはゴダールに留まるような小さい女性ではありませんでした。

  • 1968年から1974年までフランスの俳優ピエール・ファーブル
  • 1978年から1981年までダニエル・デュヴァル
  • 1982年から亡くなるまでアメリカの映画監督デニス・ベリー

と結婚したのです。

2019年12月14日(土)、アンナはパリの病院で79歳で亡くなりました。

彼女のエージェントであるローラン・バランドラスによると、死因は癌でした。しかし、夫のデニス・ベリーは、原因が癌ではなく筋肉断裂後の合併症であったと述べています。

レガシー

アンナ・カリーナは1960年代映画のアイコンであり、フランス・ヌーヴェルヴァーグ映画の定番であると同時に、ファッション・アイコンでもありました。

「ガーディアン」紙はアンナを「フランス・ヌーヴェルヴァーグのほとばしるような自由な精神」と評し、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、街娼役であろうとテロリスト役であろうと、彼女のスタイルはまるで女子学生のようだと評しました。

彼女の特徴的なファッション・スタイルは、黒髪、うねった前髪、濃いアイライン、原色セーラー服のトップス、ニーソックス、ベレー帽やボーターのようなチェック柄のヘッドウェア。

アンナが見せた60年代フレンチガール・スタイル(セーラー服、タータンチェック、ロングソックス、帽子)の可愛さや美しさは、今日でもスタイリッシュな人々が参考にしています。

フィルモグラフィ

公開年 題名 配役 ノート
1961 トゥナイト・オア・ネヴァー ヴァレリー
1961 女は女である アンジェラ・レカミエ
1962 5時から7時までのクレオ 婚約者 エピソード「マクドナルド橋の花嫁と花婿」
1962 She’ll Have to Go トニ
1962 サン・イン・ユア・アイズ ダグマー
1962 女と男のいる舗道 ナナ・クライン・フランケンハイム
1962 愛の3つの寓話 コロム セグメント「The Raven and the Fox」
1963 小さな兵士 ヴェロニカ・ドレール
1963 シェヘラザード シェヘラザード
1963 スウィート・アンド・サワー 貧しいジネット
1964 はなればなれに オディール
1964 愛の輪 ローズ/客室係
1964 愛することのすべて エレーヌ
1965 チビダボの泥棒 マリア
1965 アルファヴィル ナターシャ・フォン・ブラウン
1965 キャンプ・フォロワーズ エレニッツァ・カラボリス
1965 固定価格の結婚 ベアトリス・ラインホフ
1965 気狂いピエロ マリアンヌ・ルノワール
1966 修道女 スザンヌ・シモナン
1966 メイド・イン・USA ポーラ・ネルソン
1967 アンナ アンナ TV映画
1967 娼婦 エレナ/コスタ
1967 最古の職業 ナターシャ/エレノア・ロメオヴィッチ、ホステス703 セグメント「Anticipation」
1967 ラミエル ラミエル
1967 見知らぬ人 マリー・カルドナ
1968 魔術師 アン
1968 冬が来る前に マリア
1969 馬に乗った男 エリザベス・コールハース
1969 闇の中の笑い マーゴット
1969 ジュスティーヌ メリッサ
1969 悪魔の棲む家
1970 死ぬ時 The Unnamed Woman
1970 結婚指輪 Jeanne
1971 ブレイのランデブー She (The Waitress)
1971 カルロス Clara TV映画
1972 ザルツブルグ・コネクション Anna Bryant
1973 ヴィーヴル・アンサンブル Julie Anderson
1974 パンとチョコレート Elena
1974 モレルの発明 Faustine
1976 音楽家殺し Louise
1976 スクランブルエッグ Clara Dutilleul
1976 チャイニーズルーレット Irene Cartis
1978 びっくり靴下 Nathalie
1978 我が家のように Anna
1978 バナーネン Natascha
1979 母の物語 Christine Olsen
1980 シャーロット、お母さんに愛していると伝えてくれ Stéphane
1983 ヴィンセントの友人 Eleonore
1984 アヴェ・マリア Berthe Granjeux
1985 宝島 The Mother
1987 ラスト・ソング Susan
1987 ラスト・サマー・イン・タンジェ Myrrha, a cabaret singer
1987 カイエンヌ宮殿 Lola
1988 ザ・アビス Catherine
1990 ザ・マン・フー・ウォント・ビー・ギルティ Edith
1995 アップ、ダウン、フラジャイル Sarah
1996 クロエ Katia TV映画
2002 チャーリーの真実 Karina
2003 私、セザール Gloria
2008 ヴィクトリア Victoria

ファム・ファタル

アンナ・カリーナは目と口が大きく、映画女優に相応しい顔面偏差値です。

普段から可愛い顔かどうかは、おばあさん時の写真を見るかぎり厳しい判定をしたくなりますが…。

アンナの活躍した時代が1960年代頃ですから、彼女の衣装もキュートな原色ファッションが多く、また、露骨な悪役を演じたわけでもありません。

しかし、ファム・ファタルとして十分に描けた作品もあるのです。

映画監督のゴダールはアンナ・カリーナに、気紛れな言動で男を振り回す女性像を求めました。

いくつかの作品でそんな女性像をアンナが上手く演技しています。実生活でゴダールには、そんなアンナの良さを受け入れる能力など微塵もありませんでしたが。

さて、キュートなファッションやメイクをして演じたキャラクターは、ふつう、恋や仕事が上手くいくように描かれます。

しかし、アンナ・カリーナの場合、そんなキャラクターであっても、シュールな自己中の役柄が多く、何気ない日常生活の描写でビュンビュンと私たちを振り回してくれるのです。

そんなところに私は、アンナがファム・ファタルだと感じるわけです。

みみ
みみ

つまり結婚に向いていない。

女は女である

仕草も表情も衣装も可愛い。とくに室内着やセーラー服。

この映画を見ると、アンナ・カリーナが赤の似合うことを実感できます。

目玉焼きを作っているときに電話が鳴る一連の場面が衝撃。

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